勝つために戦う③

 振り下ろされた大剣が、大地を抉る。

 それは彼の殺意と共にこの世に姿を現す魔剣である。

 ボリスは間一髪でその一振りを躱すことができた。


 昨夜からつい先ほどに至るまで、それはあくまで「疑念」に留まっていた。だが、いまに至っては「確信」できる。

 ――やはり、アーガスさんは間違っている。

 シロゥの話を聞くうえで、彼には彼なりの悩みや葛藤があるのだろうとは察せられた。あるいは、同情を引くためのデタラメかもしれない。だが、どちらでも同じことだ。

 彼は殺人衝動を抑えられない。それだけで、彼はこの世にいてはならない人間だ。それはもはや、人の形をした災いである。

 ――この場で殺す。正当防衛という形でなら、アーガスさんもさすがに文句はないだろう。

 ボリスは剣を抜き、構える。


「逃げるのは、よくないと思うんですよボリスさん。あ、いえ、逆にいいかもしれません。一人でも、時間をかけて殺すと、そのぶん満足度は高いですから。数より質を、心掛けるべきなのかもしれません」


 シロゥが横薙ぎに大剣を振るう。

 ボリスはこれを自らの剣で、左手の籠手で刃を支えながら防ぐ。


「ぐっ……!」


 火花が散る。

 身体が芯から痺れるような、重い一撃だった。受けるのは現実的ではない。一撃でもまともに喰らえば、骨ごと断たれて間違いなく死ぬだろう。

 そんな一撃を何度も、シロゥは無造作に振るってくる。そのたびに大気が震えるようだった。

 たしかに、強い。その威力は獅士にも匹敵するものだろう。

 しかし、彼は正規の訓練を受けていない。殺意に身を任せているだけで、“正しい殺し方”というものを知らないのだ。得物は重く、隙は大きい。

 ならば、十分に勝機はある。ボリスでも勝てない相手ではない。


「業炎」


 距離をとり、魔術攻撃を放つ。炎がシロゥの身を包む。

 すかさず遠隔斬撃を浴びせる。三撃。そのすべてが容易く弾かれる。


「今、なにかしましたか?」


 ――かといって、こちらの攻撃が通じるわけでもない。

 業炎もまるで通じている様子がない。火傷のあともなく、その笑みすらも崩せていない。

 すなわち、互いに決定打のない状態。

 ボリスも、大振りなシロゥの攻撃に当たる気はしない。

 だが持久力は、確実にシロゥの方が上だろう。それどころか、攻撃のたびに勢いが増しているように見える。考えもなしに繰り出される大剣の一振りが、ただ狂気に駆動され、どこまでも相手を追い詰める。

 右へ。左へ。後ろへ。最小限の動きで攻撃を躱し続けながらも、ボリスは焦りを覚えていた。


「いやぁ、汗をかくって、気分がいいですよねボリスさん。そう思いますよね?」


 ――いつまで続く。

 わずかな気の緩みが死へと直結する。呼吸すらも忘れかねない重苦しさ。集中力を絶やすことはできない。その緊張感のなか攻撃を見極め、躱し続けるのは、思う以上に精神を摩耗させた。

 精神の高揚のまま剣を振り続ける男の肉体的疲労と、それをただ躱し続ける男の精神的疲労。どちらがより重く、そしてどちらが先に力尽きるのか。

 そのとき。

 ボリスは背に硬さを感じた。空間がない。樹だ。

 逃げ場が、一方向塞がれた。そのことに気づくのに一瞬。その対処の逡巡に一瞬。

 致命的な二瞬の隙。死が、目前まで迫ってくる。


「そこまでだ」


 ゴン。と、シロゥの後頭部に質量が投げ当てられ、彼の勢いは止まった。

 意識の途絶えが殺意を切らせ、禍々しき刃もこの世から姿を消す。


「お前ら。遊んでる場合か」


 アーガスの声だった。


「“星の所有権”は回収した。早急に離脱する」


 ――助かった。という思いもあった。だが、アーガスの言葉が気になった。

 彼は先ほど、なにを投げたのか。ボリスは目を配らせる。


 それは、機兵の首だった。


「機兵! まさか……!」

「おうよ。嗅ぎつけられた。さっさと逃げるぞ」

「いてて……」


 と、シロゥが後頭部を押さえながら立ち上がる。


「シロゥ。よく耐えたな。ボリスを殺さずに済んでるじゃねえか」

「あは。つい、楽しくて、我を忘れるところでした」

「は? え?」

「ボリス! こいつを頼む! あとこれもだ!」


 投げ込まれたのは、気絶している五十部よべと長方形をした小さな木箱だ。


「な、なんですかこれ」

「五十部だ。見りゃわかるだろ」

「この箱は!」

「“星の所有権”とやらが入ってる。頼んだぞ。俺はここであいつらを足止めする」


 銃声。四発。それはアーガスに向け放たれていた。

 着弾と同時に、銃声と同じ数だけ金属音が鳴り響く。アーガスには傷一つない。


「――!」


 ボリスにとってあまりに急で慌ただしい状況だったが、即応できるよう訓練は受けている。

 星の所有権を懐にしまい、五十部を担いで、ボリスは駆け出す。


「行くぞ、シロゥ!」


 こんなやつでも、今は仲間ということにするしかない。


「行ったか。よう、俺たちも遊ぼうぜ」


 アーガスの前に立つのは、四体の機兵。

 何度も目にしてはいるが、いずれも同じ顔、同じ背格好、同じ構えをしている。グラスを間近で見たのもあり、改めて彼らを観察すると、顔も身体もなかなかことに気づかされる。皮膚だか服だが知らないが、妙にテカテカした青い質感も悪くない。これで向けられているのが殺意でなく好意なら完璧なのだが――と、アーガスは思う。


「どうした? 攻撃が効かなくて戸惑ってるのか? 構わず撃ちゃいいんだよ」


 アーガスの固有魔術〈硬化〉は、発動中あらゆる攻撃を無効にするものである。

 ただし、発動中は身動きが取れない。そして、最大持続時間は三分という制限がある。


「じゃ、こっちから行くぜ」


 アーガスは背より二本の斧を掴み、跳び上がる。

 それは、相手からは大きな隙に見えた。

 滞空するアーガスに向け、即座に銃撃を浴びせる。しかし、やはり同じように、そのすべてを弾かれる。

 アーガスはその固有魔術を持つから強いのではない。その固有魔術を使いこなせているからこそ強い。

 敵が銃弾を発射し、着弾するわずかな間のみ〈硬化〉を発動させ、滞空しているならそのまま自由落下と慣性によって目標地点には到達できる。

 攻撃に転ずる際は〈硬化〉を解く必要がある。それは隙であるはずだ。だが、それを微塵も感じさせないほど、彼の一連の動きは洗練されていた。

 両斧が、大地を叩き割る。

 荒々しく無造作にも思える暴力を、高い練度に基づく流麗な動きで繰り出す。だから強い。

 機兵も物理に従う身なれば、足場が崩されたのなら姿勢制御に演算処理のリソースを割くことになる。人間の言葉でいうならば、すなわち「隙」である。

 その隙に、アーガスは機兵を両断する。強引に引き千切るように腰から上半身と下半身を隔て、あるいは頭頂から股間まで縦に斬り裂く。右手を損壊させ火力を奪うことも忘れない。

 重く、武骨な斧を両手に携えながら、その動きは舞踏のようだった。

 機兵からの反撃もあるも、瞬時の〈硬化〉によりこれを防ぐ。

 瞬く間に四体の機兵は、すべての機能を奪われた残骸と化して転がった。


「さて、と」


 問題は、これからだった。


「……もう増援かよ。はえーわ」


 数は、先ほどの四倍か。

 これほどの数を同時に相手にするのは、彼にとっても未知の領域だ。


「こりゃやべーかもな」


 冷や汗が、頬を濡らす。


 ***


「はっ、はっ……」


 ボリスは役立たずを肩に抱えながら、空間転移拠点を目指して駆ける。後ろからは殺人狂がついてきている。

 なんだこの地獄絵図は。思考を振り払う。

 アーガスさんは無事だろうか。思考を振り払う。

 今はそのようなことを考えている場合ではない。任務の達成を最優先する。

 彼はあくまで近衛であり、軍人ではない。このような任務の訓練は受けていない。ただ、いかなる状況でも冷静であるための訓練は受けてきた。なにを優先すべきかの判断もついている。

 ただ、今は駆ける。生存し、“星の所有権”を送り届ける。それ以外に考える必要はない。


「んにゃ? なんでやすこれ……」


 と、肩に担がれた役立たずが目を覚ましたらしい。


「機兵……?」

「なに?」


 ボリスは足を止める。寝起きで虚言か。そう思った、が。

 その影は、たしかにあった。距離はある。しかし、進行方向上に、機兵の姿が確かに見られた。


「くそ、まさか……」


 背を向けている。機兵は一体だけ? まだこちらには気づいていない? 機兵には全方位の視野があるはずだ。転移拠点はまだ遠い。迂回するか。突っ切るか。

 多くの不確定要素がある。数少ない確定要素がある。判断の遅れは死を招く。判断の誤りもまた死を招くだろう。思考を巡らす。秒すら惜しい。ほんのわずかな判断材料からでも、最適解を導かねばならない。


「ボリスさん。感覚保護です」


 シロゥからの一言。ボリスは気づき、感覚を魔力で保護する。

 機兵の影は霧散した。幻影だ。すなわち、それは五十部の見せた幻だった。


「おや、見間違いだったようでやす。すいやせん」

「貴様……!」


 この場で地面に叩きつけてやりたいくらいだった。

 ボリスは努めて冷静になる。こんなクズでも、アーガスの命令ならば見捨てることはできない。

 意識が戻ったのなら降ろして走らせてもよいが、その方が足手まといになる気がした。ボリスはそのまま役立たずのクズを担いで駆けて行った。


「はっ、はっ……」


 やがて、ようやく辿り着く。

 対認知障壁によって外からは見えない。周囲1kmの霊信網によって、魔術者だけがその位置を推し量ることができる。


「ボリスさん!? ……アーガスさんは?」


 拠点の転移担当者は、息を切らしながら汗だくのボリスに驚きの声を上げる。


「機兵の襲撃を受けた。アーガスさんは、足止めで残った」

「そ、そんな……」

「この転移拠点も放棄する必要がある。術式の痕跡は残せない」

「ですが、アーガスさんは……」

「……あまり長くは待てない。あの人なら――、いや、今回ばかりは、さすがにあの人も――」

「死ぬかと思ったぜ。おし、拠点を放棄し離脱だ」

「アーガスさん!?」

「急げよ。適当に煙に巻いてきただけだ。まだまだ群がってくるからな」


 騎士〈双斧〉のアーガス・ブラウン、健在。

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