隙だらけの牙城
「殿下、よろしいですか」
「なんだ。話せ」
新生アイゼルは未だ国家と呼ぶには未熟で規模も小さい共同体だが、政治基盤は存在している。基本は第三皇子による専制政治である。彼が「王」ではなく「皇子」を名乗り続けているのは、あくまで「暫定指導者」であるという立場を強調し、反撥を抑制する狙いがある。
「領地」としてはおおよそ三つの砦からなり、砦は四つの区画に分けられている。そして、それぞれの区画に政治的代表が存在している。
今日、第三皇子の執務室を訪ねたのは農業区画の代表だった。
「農作物の成長が芳しくありません。日照量が足りないせいでしょう。このままでは収穫量は想定の三分の一ほどになるかと……」
「備蓄は?」
「二か月分です」
「ふむ」第三皇子は少し考える。「狩猟採集はリスクと対価が釣り合わない。また、彼女に頼ることになってしまうか」
「でしょうね……」
両者とも気が重い。二人のいう“彼女”とは、食糧生産の魔術者である。「ただの泥をパンに変える」という貴重な魔術だが、一個人の能力には限界があった。
「このことは彼女には伏せておけ。あれは放っておくといくらでも無理をする。いざというときに倒れてもらっては困るのだ。休ませておけ」
「同感です。ですが、対案としてはいかがいたしましょう?」
「備蓄に余裕があるなら今は保留だ。同様の魔術を再現できないかという試みもある」
「……了解しました。それと」
「まだなにかあるのか」
「例の、グラスとかいう――機兵についてです」
「ふむ」
それを聞き、第三皇子は軽くため息を漏らす。
「まず、その時点で誤解があるようだな。あれの本質は眼鏡だ。機兵はただ身体を借りているに過ぎない」
「話としては、たしかにそのように伺っております。しかし――」
「わかりづらいか」
「はい。そんなところで……。多くのものが不安がっています。あれはいったいなんなのか、と」
「で?」第三皇子は苛立っていた。「私にどうしろと?」
「その、それだけではないのです。大変口にしづらいことですが、看過しがたいことでもあるため報告だけでも、と思いまして。その、つまり、“殿下は敵と手を結んでいるのではないか”などという、根も葉もないうわさが――」
「なに?」
第三皇子は眉をしかめた。
「いえ、私はわかっているのです。そんなはずはないと。馬鹿げた噂だと一笑に付しております。しかし、そんな噂が一部ではまことしやかに語られてもいるのです……」
「そうか」と、第三皇子は背もたれに体重を預ける。
「私もまだ未熟だな。そんな噂が立つとは想定もしなかった。未だ民の心は読み切れない」
「いえ! 殿下はご立派にやられています。しかし……」
「もうよい。話はそれだけか? ならば下がれ」
「は……」
第三皇子は一人、執務室で思う。
――たかが三百人程度の社会でこれだ。
あれは幾度もなく“自分は違う。自分はわかっている”と厚顔にも言い放った。実際のところはあれも同じ、代弁の体裁をとっているだけで非合理な不安に蝕まれている。
そのようなものに係っている場合ではない。かといって無視してよいものでもない。この新生アイゼルが敵によってではなく、内側から崩壊してくなど目も当てられない。
なにか手を打つ必要がある。しかし、今はまだ。
***
影から影へと縫うように、素早く、しかし慎重に。
眼前に聳える奇怪な城。夜闇に紛れ、少しずつ距離を詰めていく。息を潜め、影に伏せながら。
一方、グラスはそんなことを気にも留めずに堂々と歩を進めていた。
「おい。グラス」
馬鹿らしくなり、落日は声をかける。
「もしかして、俺がやってること意味ないのか?」
「基地に警備があるなら必要な行動だろう」
それは暗に、警備はいないから無駄だと告げているようだった。
「本当にないのか? たしかに遠目からは見えなかったが」
「基地のサイズが巨大であるため正確に“見る”ことは難しいが、いくつか断片的には見えてきた。警備はいない。しかし、施設の保守・点検として数体の非武装機兵は存在する」
「なら、やはり隠れる必要があるんじゃないのか」
「君の場合はそうだろう。私の場合はむしろ不自然となる。彼らとて私を一目見ただけで“眼鏡に乗っ取られている異常機体”とは判断できないからだ」
「なんにせよ、その点検係に見つかるわけにはいかないだろ」
「警備の不在からも彼らはここが襲撃されるような事態を想定していない。これまでそのような事態は発生していないからだ。常駐する非武装機兵が異常事態に対応する能力を有しているかは不明だ」
「つまり、俺たちを舐めてるってわけか」
「費用対効果に基づくリソース配分を計算した結果だ。彼らはむしろ生存者の捜索に注力している。この基地もそのための施設だ」
「…………」
敵基地の潜入に際し、グラスは余裕の態度に見える。一方、落日は不安を隠せない。
ここが、基地だというのなら。
たとえば、大隊規模以上の機兵が待機状態にあってもおかしくはない。
それだけの数を相手にして戦える自信は、落日にもさすがになかった。
「恐怖による緊張性発汗か。無理もない。この先は未知だ。君のような強者でも死に至るリスクはいくらでも想定される」
「……ノエルとの会話を聞いてても思ったが、あんた人を煽るのが上手いよな」
「私自身にそのような認識はない」
やがて、あと数歩の距離まで迫る。
重く、冷たい圧迫感があった。威容を示す装飾もなく、ただ機能性にのみ特化した鉄の城。落日は固唾を飲む。
もし皇国軍が健在であったのなら、より潜入任務に適した人材はいくらでもいただろう。たとえば、鼠のような偵察魔獣を扱えるものならリスクを最小限に内部の様子を知れる。〈空間接続〉の術者がいれば危険を察知した瞬間に離脱できる。
だが、ないものをねだってもしょうがない。落日はただ強いだけだからだ。
「で、入り口は?」
「これだ」
それは両開きの扉に見えた。だが、取っ手がない。
押し開きにも見えず、どう開けるのかと訝しんでいたところ、グラスが扉に手を翳す。それだけで、扉はガシャリと独りでに左右に開いた。
「なっ」
「自動扉だ。私の機体番号を認識して開いた」
扉の先には、また扉がある。
「二重扉か。警備もないわりには厳重だな」
「これは警備上のものとはまた別の理由によるものだ」
再び扉を開く。中からは光と、冷風のようなものが感じられた。
「なんだ、涼しい……? いや、寒いくらいだな」
「空調が効いている」
「帰りも、この扉は開けられるんだよな?」
「緊急時にはロックされる可能性もある」
「だ、大丈夫なのか……?」
「リスクはある。これはそういう任務だ」
グラスはスタスタと中へと足を踏み入れていく。落日も後ろからついていく。
床も壁も冷たく硬質だ。落日にとってはすべてが未知だ。
中からは規則的に鳴り響く機械音が聞こえてきた。
「これは……」
内部は眩しいほどに明るかった。
昼の明るさとも違う。松明とも魔術灯とも異なる、不自然な白さだ。
その広い空間に、見上げる必要のあるほどの構造物が存在する。それは落日にとって、そしてすべての魔術者にとって見覚えのないものだった。
「自動工場だ。ここで機兵が製造される」
人の気配はない。それは当然だ。それどころか機兵の気配もない。
だが、決して静かではなかった。熱もある。装置の稼働により発生した熱が排出されているのだ。
この施設は独立して完全に機能している。まるで一個の巨大な生き物のようだと、落日には感ぜられた。
鉄、銅、炭素、珪素など大部分の資源は現地の地下から採掘される。現地調達の困難な資源は他所より採掘され資源輸送車によって搬入される。それらは分解炉に投入され、原子レベルで組成を再配置され、必要な素材が製造される。太い管を通してそれらは自動工場のもとへと届けられる。
自動工場の中核をなすのは積層造形と呼ばれる技術だ。
ナノチューブにより分子回路を形成。チタン合金にて骨格を形成。カーボンを繊維状に人工筋肉を形成。積層結晶化プラスチックにて皮膚を形成。熱光学センサー。聴覚素子。触覚素子。通信機器。リアクター。冷却装置。それぞれの部品をそれぞれに組み立て、やがて一つの形を成していく。
すなわち、一個の
「なるほど……?」
そこに神秘はない。かといって、理解の範疇に収まるものでもなかった。
それはこの地より遥か系外、光年の単位で隔てた天体にて発生した文明による知の結晶である。思わず見惚れていたとしても、決して責めは負えないだろう。
「……!」
製造された機兵が目覚めるのではないかと落日は思った。
流れるような作業の結果、形として表れたそれは幾度となく敵として対峙した姿である。
だが、その機兵は動かぬままクレーンに吊られて、どこかへ運び出されていった。
「あれは予備として製造されたものだ。この基地にはそのような機体が数百ほど被活性状態で保管されている」
「……数百。眠っているということか?」
「そのようなものだ」
「それでいてこの無防備か。これはチャンスなんじゃないか? 今ここで攻撃すれば――」
「攻撃すれば脅威とみなされる。チャンスというならば、これは情報収集のチャンスだ」
「……まあ、そうだな。もとより偵察が任務だ」
「奥へ向かう。私が見たいものは他にもある」
と、グラスは自動工場を横に通り過ぎ、さらに進んでいく。落日も後ろからついていく。
「機兵……!」
少し奥へ進み、落日は目にした影に身構える。これをグラスが制止する。
「
「機兵も眠るとは知らなかったな。しかも立ったまま」
回り込むと、背骨に壁からなにか管が刺さっているのが見えた。
「人間でいうところの睡眠とは異なる。省力のための機能だ。日に二回の定期点検、あるいは問題発生時以外は待機している。地下倉庫には自動工場の故障に備え修理用部品があらかじめ自動工場によって製造され保管されている。必要な場合は自動でその部品がここまで運ばれてくる」
「そこまで万全に備えておきながら襲撃される想定はしていないのか」
「まったく考えにない、というわけでもないだろう。おそらくは“襲撃されてから考えればいい”といった方針だと思われる」
「ん? そこはいつもの断言口調じゃないのか」
「情報が不足している範囲だ。これも直に補われるだろう」
まだ奥へ進む。冷ややかな空気に身が竦んできた。
ここまでくれば、やはり警備はないのだろう。だが、得体のしれない畏怖がある。
これならば、むしろ襲ってきてもらった方がわかりやすいというほどに。
「……今だから言うが、俺はこれで結構ビビりなんだよ」
「なにをもって意外性を主張しているかは不明だが、君の反応は人間にとって概ね標準的かつ平均的な防御本能によるものと思われる。それを“ビビり”と呼称すべきものかどうかは私には判断しかねる」
「あ、えーっと、慰め?」
「そのような認識はないが、致命的な誤解がない範囲であれば解釈は自由で構わない」
「へえ。あんた、意外と優しいんだな」
「…………」
「優しいついでに聞きたいことがあるんだが」
「なんだ」
「第三皇子について」
「そのことか。幾度か君の内心でいつ尋ねようかと逡巡しているのは知っていた」
「……心を読まれるってのは恥ずかしいもんだな」
「答えてもよい。だが、しばらく別件に集中する」
そしてグラスの足が止まる。
「見えて来たぞ。本命――通信制御システムだ。これを見ることで、私は彼らの全貌を知ることができるだろう」
***
「遅くない? ねえ遅くない?」
「こいつが! こいつがいつまでも見続けてやがったから! そもそも中からだと外の様子がまったく見えない!」
とうに夜も明け、落日は必死の形相でノエルの待機する対認知障壁陣地へ戻って来た。グラスは涼しい顔で立っている。
「というか、夜が明けたら離脱しろと命令してなかったか?」
「いや? “夜が明けたら戻る”と、“合図があったら離脱しろ”かな。というか、具体的な合図がなんなのかも聞きそびれたし。あまりにガバガバ命令すぎる」
「……それはすまなかった。指揮経験はほぼないものでな」
「でしょうね」
「いずれにせよ全員無事でなにより。これより帰還する」
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