第三皇子の庭③

 レシィはボリスが部屋を出たのを確認すると、すぐに起き上がった。

 そして、しばらく様子を伺うと頃合いを見てこっそり部屋を抜け出した。疲れなどより、グラスに会いたい気持ちの方が優っていた。

 とはいえ、グラスはどこにいるのか。ボリスは「殿下と話している」といっていた。なんとなく、偉い人は上の方にいるのではないかという気がした。しかし、上に行っては見つかったときに袋小路だ。上階にいたとしても、そのうち降りては来るだろう。ここにきて及び腰となり、レシィは階段を下ることにした。



「おや? 見ない顔でやすね」


 そうして階下で出会ったのは、猫背で出っ歯の小男だった。といっても、レシィよりやや背は高い。


「あ、はい。今日ここに来たばかりで、レシィといいます」

「ほほう。いや~、つまるところこれも奇跡の出会いでやすね? あっしも生存者を探してたびたび外へ出ることがあるんでやすが、嬉しいでやすねえ。新しい人はもう二か月ぶりくらいでやすよ。ずいぶん苦労されたんじゃないでやすか? ここには霊信で辿り着いた感じで?」

「まあ、はい。そうですね」

「よかったでやすねえ。ここまでくればもう安心でやすよ。おっと、自己紹介が遅れやしたな。あっしは五十部よべといいやす。ところで、レシィさんはについての話はもう聞きやしたかな?」

「あれ、というのは?」

「あー、まだみたいでやすね。だとしたら逆にチャンスでやすよ。ちょっと声を低めて話しやしょうか」


 と、五十部はレシィを手招きする。


「この砦では新人が入るたびにちょっとした恒例行事がありやしてね。ここから見えやすか。ほら、農地の奥でやす。あの小屋は食料庫になってやしてな、あの場所からどれだけの芋を奪って来れるかという競技のようなものでやす」


 見れば、小屋の前には数人の警備が巡回しているようだった。食糧庫というのはたしかにそれっぽい。


「え? なんですかそれ」

「いろいろ目的はあるんでやすよ。一つは新入りの自己紹介。これでバッチリ顔と名前は覚えられやす。能力のアピールにも繋がりやすからね。あとは娯楽に飢えてるんでやすよ、あっしらは」

「は、はあ……」

「レシィさんがまだ説明を受けていないってことは警備も油断してるってことでやすから、新記録が狙えるかもしれやせんよ。手段は問わないというのが慣例でやすからねえ」

「楽しそうな話をしているようだな、ええ?」


 五十部の背後から、彼を覆い尽くすほどの巨大な影が現れる。レシィが見上げてようやく顔が見えるほどの大男だ。厚い胸板、広い肩幅、太い首、厳つい顔。男は五十部の首根っこを掴んでひょいと持ち上げる。


「急にいなくなったと思ったら、また新入りにわけのわからんデタラメを吹き込んでるのか」

「なんの話でやす?」

「この子になにをさせようとしてたっつってんだよ」

「実際、やってみたら盛り上がると思うでやすよ?」

「悪びれねえよなあ……」


 男は無造作に五十部を投げ転がした。


「あ、あの……」


 レシィはいまいち状況についていけていない。


「ん? ああ、悪いな嬢ちゃん。俺はアーガス・ブラウン。さっきのアレは、ああいう男だ。気にするな」

「心外でやすねえ。まるであっしが嘘ついてるみたいに」


 埃を払いながら、五十部はのそりと起き上がる。


「嘘じゃなかったらなんなんだよてめーは」

「アーガスの旦那は冗談や演劇なんかも“嘘”だとかいって馬鹿にするタイプでやすか?」

「ったく。嬢ちゃん、こいつどうするよ。もう少し適当に痛めつけてやるか?」


 アーガスは再び五十部をひょいと摘み上げた。


「あの……」レシィはあたふたしている。「グラスさんがどこにいるか知りませんか?」

「あ? なに? グラス?」


 五十部のことなど眼中にない様子に、アーガスは逆に戸惑う。


「その、私と一緒にここに来た人で、いえ、人ではないんですけど……」

「あー、聞いたよ。なんか眼鏡をかけた機兵だか、機兵がかけた眼鏡だか。俺も気になるから会っておきたいと思ってたところだ」

「いえ、でもなんか、もともと一緒にいた人は別々にされるみたいなのって……あるんですか? なんかこう、秩序のために、みたいな……」

「なんだそりゃ。知らんな。五十部はそんな話もしてたのか」

「いえ、ボリスって人が……」

「あいつか。ったく、どいつもこいつもこんな女の子に嘘ばかりつきやがる。グラスか。俺もさっき帰って来たばかりでよくわからんが、殿下のとこにでもいるんじゃないか――」


 と、話を遮るように、銃声が響く。


「なんだ!?」


 鳴った先は、訓練場である。アーガスは慌てて駆けつけた。



「くぁ~、やっぱり無理じゃったか」

「やっぱ鋼じゃよ。鋼でなければ話にならんて」

「ラグトル鉱鉄じゃろ。でなけりゃ、ろくに魔力も通わん」

「いうても、その精錬魔術使えるやつおるか?」


 その実験を前に、老練の職人たちが口々に意見を交わしている。

 机の上に鉄兜が置かれ、グラスがそれを撃ったのである。結果は無惨にも貫通。

 機兵は、まず傾向として頭部を狙う。ならば、頭部を守らねばならない。その発想のもと鉄によって簡易な兜がつくられたが、実験の結果彼らの現在持ちうる技術では強度が到底足りないことが判明した。


「ラグトル鉱鉄の試料はあるか? もしあれば、私がそれを“見る”ことでその精錬魔術の再現法を知ることができる」


 グラスの一言に、職人たちは目を丸くする。


「マジかおぬし」

「なんでもありじゃなその眼鏡」

「ちょっと待っておれ。剣があったはずじゃ!」

「その代わり一つ頼みが――」


 グラスの言葉を待たずに、職人たちはトコトコと工場区画まで走っていった。


「なんだありゃ……?」


 呆然と眺めていたのはアーガスである。


「おいおい、マジで機兵じゃねえか。ホントに眼鏡かけてやがる。こりゃ確かに、いわれなかったら反射的にぶっ壊してたかもな」


 そういい、アーガスはグラスに歩み寄った。

 場違いとしか思えない機械仕掛けの人形が立っていた。魔力も感じられず、生気も感じられない。それでいて確かに活動している。不気味なほど均整な顔立ちに、芸術のような完成された肢体。アーガスもこれほど間近で活動している機兵の姿を眺めるのははじめてだった。


「よう。俺は――」

「アーガス・ブラウン。魔術階級は騎士。新生アイゼルには245日前に合流。固有魔術は――」

「なんだ、俺のことは知ってんのか。いや、聞かされたのか?」

「私は“見た”もののすべてを“知る”ことができる」

「ほう?」

「あ、グラスさん! こんなところに」


 レシィがあとから駆けつけて追いついてきた。


「レシィか。休息をとっているものと思っていたが」

「いえ、あの、グラスさんに会いたくて……」

「よく見知ったものが身近にない環境は不安感を招く。人間心理の一つとして理解しておこう」

「えっと、まあ、はい……」


 特に言い返すこともなく、グラスを目にして安心感を覚えたのは確かだった。


「よし。いい機会だ。五十部、お前もやってみろ」

「は? なにをでやすか?」

「対貫通障壁、ちゃんと練習してんだろ?」

「なにをいってるのかわからないでやすが……」

「わかってるから逃げ腰なんだろ。ちょっと来い」


 と、アーガスは無理矢理に五十部をグラスの前に引きずり出す。


「対貫通障壁だ。全力で頭部を守れ」

「マジで言ってるんでやすか?」


 五十部はいわれるがまま、仕方なく対貫通障壁を展開する。


「どうだ? グラスさんだったか、こいつで銃撃は防げそうか?」

「無理だ。このまま頭部へ撃ちこめば彼は確実に絶命する」

「だ、そうでやすよぉ!?」

「真面目にやってんのか五十部」

「全力でやすよ! あっしの限界なんてこんなもんでやす!」

「四割ほど余力を残している。ただ、仮に全力でも銃撃を防ぐだけの強度は期待できない」

「嘘じゃねえか」

「アーガスの旦那はあっしよりもそんなポッと出の機兵もどきを信用するんでやすか!」

「当たり前だろ」

「どっちにしろ無理らしいんで意味ないでやすよこれ!」

「ん~、とはいえ、てめえの練習の成果くらいは見ておきてえしな。そうだな、肩を狙ってもらおう。死にはしねえが痛えだろうな。ま、そこそこでも防げていたらなんかやるよ。褒賞とか」

「いやいやいや。マジでやすか? マジでやるんでやすか? こんなこと許されるんでやすか?」

「おう。だから全力で防げ。グラスさんよ、そういうわけでやってくれ。責任は俺がとる」

「責任ってなんでやすかその不穏な――ぎえっ!?」


 放たれた銃弾は、超音速で五十部の肩へと迫る。

 五十部の魔術によって展開された二層の対貫通障壁は、その質量圧力に対し集中硬化反応と弾性防御で対抗する。が――結果、銃弾をいくらか失速させるのみで、あえなく貫通を許してしまう。


「いでぇぇぇぇ!!」


 銃弾が肉を抉り血が噴き出る。五十部は肩口を押さえて転げ回った。


「なにが“いでぇ”だ。しかしま、思ったよりはやるじゃねえか。医療棟までは歩いていけるな? 今日はもう休んでいいぞ」

「はあ。めちゃくちゃでやすよアーガスの旦那。そもそも、対貫通障壁じゃどうあっても防げないって話じゃなかったでやすか?」

「なに言ってんだ。落日は防げてるぞ」

「あの人を引き合いに出してる時点で不可能って言ってるんでやすよ……」


 さっきまで痛みに悶えていたのが嘘のように、五十部はスッと起き上がって、そのままトボトボと医療棟へ歩いて行った。


「さて、次は俺だ。あいつばっか撃たれるのもさすがに不公平だからな」


 そういい、今度はアーガスがグラスの前に立つ。


「だ、大丈夫なんですか……?」


 心配そうにするのはレシィだ。


「結果は見えている。あえて試す必要はない」


 そういうのはグラスだ。


「まあいいじゃねえか。嬢ちゃんに対しての自己紹介もある。ていうか、マジで見るだけで知れるのか? 殿下から聞いたとかではなく?」

「リスクがゼロとは言い切れないが、それでも実践するか」

「構わねえよ」


 撃つ。それも頭部に目掛けて。

 ガキン。と、鈍い金属音が鳴り響く。

 ただの一発で人間を死に至らしめるその銃弾は、しかし、彼の額からひしゃげて落ちた。撃たれた頭に傷はなく、少し煙が残るだけだった。


「どうよ?」


 と、アーガスはレシィに振り返り笑む。


「え? え?」

「これが俺の固有魔術ってわけだ。銃じゃ俺は殺せねえ。あとはそうだな、もう一つ見せておこう」


 アーガスが歩いていく先には丸太があった。太い丸太だ。そして、背から斧を抜く。巨大な、武骨な斧だ。

 丸太に対し、斧。しかし、別に薪割りをしようというわけではない。丸太は中心に鉄棒が刺さっており、地面の重しによって固定されている。見れば、丸太は傷だらけだ。訓練用の標的として使われているのだろう。

 それを、アーガスは、無造作な一振りで、容易く斜めに両断した。


「す、すご……」

「まあ、こんなもんだ。改めて名乗っておこうか。俺はアーガス・ブラウン。だ」


 騎士。と、かっこよく名乗りを上げたが、さっきグラスが言っていたので知っていた。

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