第三皇子の庭②

 その部屋には、驚くべきことに椅子と机があった。

 いずれも木製の、手作り感溢れる粗末なものだった。だからこそレシィは驚いた。


「あの、ボリスさん。この砦って……」

「ん?」

「一から、つくったんですか」

「そうだね」

「あの日、世界が燃え尽きて……あの日から、今日まで、つくったんですか、この砦を」

「うん。大変だったよ。各地で残された物資をかき集めたり、木を伐採したり、石材を切りだしたり、初めの頃は僕もその作業に明け暮れていた」

「初めの頃って……もしかして、ボリスさんはここの初期メンバーなんですか?」

「そうだね。この新生アイゼルを指導してるのは皇国第三皇子ガエル・ブランケイスト・アイゼル殿下。僕はあの方の近衛だ」

「す、すごい……ボリスさんってすごい方だったんですね」

「すごいのは殿下だよ。あの方の指導があればこそ、この砦もここまで形になったんだ」

「ボリスさんも、機兵を倒したりしたことってあるんですか?」

「んー、僕自身は一度か二度かな。どちらかっていうと落日とかアーガスさんの仕事だからね。彼らなら二桁は倒してるんじゃないかな」

「やっぱりすごいです」

「はは。お腹は空いてないかな? 簡単な食事だけど用意させてるから」

「あ、はい。ありがとうございます……」


 疲れはあった。だが、それ以上の感動があった。グラスにずっと背負われていたのでだいぶ回復していたのもあるが。とにかくレシィは目を輝かせて部屋中を見回った。

 窓から外を覗くと、ここが塔の上階で砦の中心だとわかる。砦内はこの司令塔を中心に、大きく四つの区画に分かれていた。

 人々が寝泊まりする宿舎の区画。芋や野菜を栽培する農地の区画。軍事魔術訓練場の区画。家具や服など生活必需品、あるいは武具などを製造する工場区画。それらを囲う城壁はずいぶんと遠くに見えた。


「レシィちゃん。ところで、彼女とはどういう関係なんだい」

「彼女?」

「ああ、グラスといったかな。いまいち呑み込めていないが、眼鏡が本体というなら性別はよくわからないか。身体としている機兵もそうだしね」

「そうですね。私もそのあたりは混乱してますが……。はじめは男の人の姿をしてましたから」

「どんなふうに出会ったのかな」

「出会いは、たまたまでした。たしか、貴族の別荘とかいってましたけど、あの人はそこで……機兵の残骸を研究していたり、私に戦うということを教えてくれました」

「なるほど。それで、今はなんで機兵の姿をしてるんだい?」

「私と同じように、たまたま機兵が紛れ込んできたんです。あ、その別荘でも認識妨害の障壁が張られていて、だからずっと安全で、そこで一か月くらいは暮らしてたんですけど。その機兵と戦って、なんとか倒したんですがグラスさんの元の身体の人は死んでしまって……」

「それで乗り換えた、というわけなのか」

「はい。グラスさんにはずっと助けてもらって」

「ふうむ」


 食事が運ばれてくる。

 用意された食事は芋をふかしたもの。食器もまた手作りに見えた。それどころか芋も砦内の農地で収穫したものらしい。何百人も暮らしているうえで、生活基盤が安定している。驚くべきことだった。

 しかし、ふと冷静になってみると、疑問もあった。


「あの城壁って、なんのためにあるんですか?」

「え?」

「いえ、その、いってしまうとなんですけど、機兵相手には、防御としてはまったく役に立たないんじゃないかって……すみません」

「なるほど」ボリスの表情が真剣になる。「僕も謝る必要がありそうだ。君を子供だからといって侮っていたかもしれない。機兵にはこれまで何度遭遇したんだい?」

「えっと……七回くらい、でしょうか」


 それを聞き、ボリスは思わず息を呑む。


「すごいな。よくここまで生き延びてこれたね」

「いえ、ただ……隠れていただけで」

「それでもすごいよ。さて、城壁がなんのためにあるのか、だったっけ。機兵の攻撃に対しては役に立たないんじゃないか、と」

「その、はい」

「それ自体は正しい。たぶん、石材を積み重ねただけの城壁など彼らの攻撃の前には紙細工みたいなものだろう。ただ、それでも意味はある。単純に、高いところに立てば遠くまで見えるようになるからね」

「あ、なるほど」

「ただ、防御面で城壁をあまり当てにしていないのは君の指摘の通りだ。円形なのもそのあたりと関わっている。なぜこの砦の城壁が円形をしているのかはわかるかな」

「そういえば……円形だとなにかよくない、というような話は聞いたことある気がします」

「そうだ。円形では防御面でどうしても死角が生じる。だが、そもそもこの砦にそこまで接近されて防衛戦を続けるだけの能力はない。ゆえに、砦内の広さを確保することを優先して円形が採用された。障壁は球状に展開するからね。このあたりも散々議論を重ねて今の形に落ち着いたよ」

「いろいろあったんですね。あれ? でも、それならやっぱり城壁って要らないんじゃないですか? 高さが欲しいだけなら櫓とかで十分じゃないでしょうか?」

「……やっぱり、君は鋭いね。まあ、あまり大きな声では言えないが、あえて隠すようなことでもないか。つまり城壁は、どちらかといえば内側にとって意味がある」

「内側?」

「そう。一つは、“守られている”という安心感のため。生存者の多くは無力なただの一般人だ。実際の効果はともかくとして、“内”と“外”が明確に区切られているのは安心感に繋がる。ただ、これは主な理由じゃない。主な理由は、“住民を外に出さない”ことだ」

「……え?」

「少し誤解を招く言い方だったね。この砦は対認知障壁によって隠されている。そして、外へ出るときは必ず空間転移によって砦とは離れた場所へ出る。出入りによって砦の位置が判明することを防ぐためだ。つまり、住民が勝手に砦を出入りした場合、そのせいで砦の存在が露呈してしまう危険性がある」

「わざわざ外に出たがる人がいるんですか?」

「基本的には安心安全な砦の中の方が好きだろうね。ただ、百人以上も人間がいると、必ず例外が発生する。この砦も、結構ギリギリのところで秩序を保ってるってことだよ」

「はあ、なるほど……」

「あまり面白い話でもなかったね。食事でもとって、休むといい。今後のことは後ほど話すことになるだろう。君のような子供でもなにか仕事があるかもしれない」

「あの、もう一ついいですか」

「なんだい」

「どうして、私とグラスさんを引き離したんですか」

「離した……?」


 少しの間の、沈黙。


「彼女はきっと殿下とお話してるはずだよ」

「グラスさん、いえ……私たちのこと、信用できませんか?」

「ふうむ」


 ボリスは頭を掻く。


「これは少し僕も反省すべきだな。態度に出てしまっていたか。とはいえ、新たに住民を受け入れる際トラブルが発生するのは今に始まったことではなくてね。許してほしい。ましてや、機兵の姿を借りた眼鏡と、それと行動を共にしてきた少女というのは、僕の目からはどうしても奇異に映ったんだ」

「あ、いえ、こちらこそすみません……」

「いやいや。僕も悪かった」

「あの、そういうわけでグラスさんに――」

「それはできない」


 ボリスの顔から笑みが消える。


「な、なんでですか」

「君たちのことをまだ信用していないからだ」

「そんな……」

「これは規則のようなものだ。すまないけどね」

「……わかりました」

「今日はもう休むといい。ここにはベッドもあるからね」


 ***


「どうでした? アーガスさん」


 空間転移術式より二人の男が帰還した。術式管理者がこれを迎える。


「どうもこうも、見つかんねえよ生存者。今回も成果はなしだ。ちょっと遠出もしたのによお」


 一人はアーガス・ブラウン。二本の斧を背負う屈強にして大柄な男。二つ名をそのまま〈双斧〉のアーガスという。太い眉に太い首、蓄えられた髭はいかにも力強い。また、右手の甲に妙な刺青をした男だった。


「いつ機兵に襲われるかわからない外を歩き回るんでやすから、おそろしいったりゃありゃしねえでやすよ……。アーガスの旦那はともかく、あっしはか弱い一般市民なんでやすから」

「なにが一般市民だ」


 もう一人の小男は五十部よべ。アーガスとは対照的な、猫背で小柄な体格だ。


「あ、でもノエルさんとボリスさんの二人は生存者を発見したそうですよ」

「お! どんなだ」

「二人――といっていいのか。眼鏡をかけた機兵と、少女です」

「眼鏡をかけた……機兵??」

「ええ。正確には、眼鏡が機兵の身体を乗っ取っているとかなんとか。そういうわけで、殿下からの言伝ですが、砦内でその機兵を見かけたからといって襲って破壊することにないようにと」

「……殿下は俺をなんだと思ってるんだ。いや、たしかに前情報なしで機兵が砦内を歩いてるのを見た日にゃ咄嗟にぶっ壊さねえとは言い切れないが」


 ――なにか面白いことになっているようだな。と、顎髭を撫でつつも、アーガスはどこか上の空な印象があった。


「アーガスさん。まだ、あの人を探していらっしゃるんですか?」

「……まあな。俺にはとても、団長が死んだとは考えられない。あの人は、まだどこかで戦っているはずだ」

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