第三皇子の庭
それは砦だった。
各地の地脈に杖を刺し遠距離霊信を広域に発して生存者に呼びかけ、発信元を遠くから監視し、生存者が現れたのなら空間転移によって本拠点へ案内する。そんな体制を構築しているようなものたちだ。そんな彼らの拠点は、もはや砦と呼べるほどまで整備されていた。
円形に高く積み上げられた石造りの城壁。それを覆う魔術障壁。屋根のある建物。農地まである。そこでは人々が生活していた。
「待たせてすまなかった。これから君たちを我々の拠点へ案内しよう」
杖の位置で待っていた二人を迎えに来たのは銀髪褐色肌の女性だった。後ろにはもう一人、男がいた。短く切り詰めたような色素の薄い金髪で、極端に肌の白い男である。
「なるほど。やはり私の姿を見て警戒していたというわけか」
「……そうだ。どう見ても機兵にしか見えん。私はまだ半信半疑だがな。万識眼鏡、だったか?」
「グラスと呼んでくれ。後ろの少女はレシィ」
「わかった。グラスか。万識眼鏡というのが本当なら、我々の自己紹介は要らないな?」
「ああ。ノエル・コルセア。元軍所属の獅士。現在は第三皇子の近衛」
「さすがだな。仮にもともと知っていただけ、としてもだ」
「もう一人。君はボリス・アバルキン。同じく第三皇子の近衛。シャピアロンからの亡命者でもある」
「……驚きましたね。ノエルさんはともかく、僕のことまで」
「誰であろうと関係はない。“見る”ことができたのなら、私は“知る”ことができる」
レシィは蚊帳の外だった。
「レシィちゃん、だったかな」
「あ、え、はい」
砦に着いたとき、話しかけてきたのはボリスと呼ばれた男だった。穏やかな物腰で、親しみやすい印象を受ける。
「疲れていると思うから、ひとまず休める部屋に案内しますよ」
「お、お願いします」
「グラス。お前はこっちだ。疲れは知らなそうだからな」
もう一人の女性――確か名はノエル――は、ボリスとは対照的に氷のような冷たい目をしている印象を受けた。それぞれに案内されて、グラスとレシィは別れた。
「ようこそ、万識眼鏡。私は皇国第三皇子ガエル・ブランケイスト・アイゼル。この新生アイゼルの暫定指導者だ」
グラスが案内された先は、執務室といった様相だった。とはいえ、ここ一年程度でなんとか形にしたといったもので、内装は手作りの椅子と机が置いてあるといった程度の粗末なものだ。
迎えたのは机を挟んで座る第三皇子。彼はこの境遇にあってなお、高貴さを失ってはいない。その堂々とした佇まいは彼が皇子であることを確かに感じさせるものだった。
隣に立つ黒髪の男はやはり彼の近衛だ。グラスのことは霊信であらかじめ聞いてはいたが、実際に機兵の姿を目にし、いつでも剣を抜けるよう身構え警戒を隠してはいない。
「掛けたまえ。座る必要があるかはわからんが、歓迎の形式はとらせてもらおう」
「グラスだ。私は自らの呼称にその名を採用している」
「グラスか。なるほど。実を言うと、私はお前のことを以前から知っていたのだよ」
「見たもののすべてを知ることができる眼鏡。ただし、かけ続けると眼鏡に意識を乗っ取られてしまう。前者は魅力的な特性だが、後者は危険極まる。両者の天秤をより正確に見極めるため幾度かの実験が行われた。囚人に刑期と引き換えに取引し、彼の身を拘束した状態で眼鏡をかけさせ、その経過を観察した。場所を変えたり、着用者を変えたり、時間を変えたり、見せる対象を変えたり、何度も繰り返し対照実験が行われその特性が調査された。私もその実験に何度か立ち会っている」
「理解した。私は現在の姿がこのように機兵であるため、君たち人間に受け入れられるのは難しいだろうと考えていた。私のことを知っているものがいたというなら納得だ」
「私も知らなかったよ。まさか、人間以外でも着用者となるとはね。ずいぶんと繰り返し実験をしたが、そこは盲点だった。ともかく結果として、万識眼鏡は危険指定と封印を決定した。囚人一人の意識を犠牲にして運用するだけの価値はあると判断したが、自由な活動をさせた場合の危険性が評価できなかったからだ」
「私を招き入れたのは私を無力化するためか?」
「ん? そんなものは、お前ならば見ればわかるんじゃないか?」第三皇子は挑発的に笑む。「いや、わからんだろうな。お前の性質は知り尽くしている。お前が対象を“見る”ためには、その全影がハッキリ見えていなければならない。お前は机によって輪郭が隠れている私を“見る”ことができない」
実際、机の板張りによって第三皇子の下半身は隠されていた。
「その通りだ。この状態からでもまったく見えないわけではないが、“すべてが見えていない以上、すべてを知ることはできない”。それが私の性質だ。君がそのことを知っていることで、私から君への信頼はむしろ高まった。私は私を知るものによって状況を打開する手段として身体を与えられた。君も同じ判断をするだろうと考えている」
「与えられた? その機兵をか?」
「一度人間の身体を経由している」
「なるほどな。たしかに、私も同じ判断をするだろう。ただ、ここで明言しておくが私はお前を信用していない。お前が機兵の姿をしているからではない。万識眼鏡という人間と異なる知性存在を警戒している。だからこそ、お前についてもう一つ、私の知っている特性について話そう。すなわち、“着用者が変われば記憶は保持されない”――私の心は見えずとも、その意図はわかるな」
「理解した。私が危険だと評価された場合には即時無力化し、限定的な運用に切り替える意図があるということだな」
「私もそのような事態にならないことを願っている。では、本題へ移ろうか」
第三皇子は姿勢を変える。
「情報交換だ。まずは、少し我々の話をしよう。我々はこの二年で生存者を探し集め、この新生アイゼルを興した。新生アイゼルの人口は現在314人。お前たちを二人と数えて含めるなら316人だ。ただ、その全員がこの砦で生活しているわけではない。我々はここと同規模の砦を他に二つ有している。この砦を第一砦、他を第二砦、第三砦と呼称している」
「なるほど。それぞれを遠距離霊信と空間転移によって結びつけている、というわけか」
「そういうことだ。認識妨害によって砦を覆ってはいるが、いつ“敵”に発見されるかはわからない。それを完全に防ぐ手立てがない以上、発見されてしまったあとの事後的な対策をとるほかない。すなわち、一箇所の砦が発見され襲撃されたのなら、他の二箇所へ避難する。その手筈を整えている」
「私も正しい対策だと思う。“敵”は魔術についての理解が浅い。障壁、霊信、空間転移。いずれも彼らに対しては有効な手だ」
「こちらからの質問に移ろう。お前は“敵”について、どの程度知っている?」
「二体のサンプルを得ている。一体はなにものかによって切断破壊されていたのを回収したもの。もう一体は活動個体と対峙し、戦闘の結果として機能を停止させたもの。両者から得られた知識は、その動作原理、構成素材、基本戦術と戦略、基地の場所、使用武器の模造法など多岐に渡る」
「ほう。基地の場所というのは?」
「サンプル二体の製造場所、及び保守整備の拠点だ。地図を用意できるなら点を打てる」
「敵の使う武器の模造ができるのか?」
「これだ」と、グラスは腰の機構を開き銃を取り出す。「魔術によって再現したものだ。現在私は魔術を使えないが、その製造法なら伝えることは可能だ」
その答えに
「――見事だ。そのあたりの詳細は後ほどまとめて聞かせて欲しいところだな。ただ、目下のところ我々が知りたいのは“敵”と戦う手段、そしていかに勝つかだ。そのためには、まずなにより知らなければならないことがある。それは“敵”の目的だ」
「人間を殲滅すること」
「違う。それは手段だ。彼らはなぜ我々を敵視し、殲滅しようとしている?」
「不明だ。私が見ることができたのは彼らの戦略目標だけだ。活動状態でなければ彼らをより詳しく“見る”ことはできない」
「……私は、彼らが一体どこから来たのかとずっと考えていた」
第三皇子はゆっくり右手を掲げ、天を指さす。
「“天上の船”――私はあれをそう呼ぶ。彼らはきっと、空のずっと向こうからやって来たのだ」
「その説を支持する。彼らの異質性はそれくらいが妥当だ」
「にわかには信じがたいことだが、そう考えるほかないという結論に至った。そして、その目的は――移民だろう。それしか考えられない」
「移民、あるいは植民か。判断材料の不足している現時点の仮説ではそんなところだろう。だが、仮にその場合はあえて原住民を殲滅する必要はないと思うが?」
「そうだ。だからこそ、その場合には望みが残されている。勝つためにはまず勝利条件を設定することからはじめなければならない。我々にとって勝利とはなんなのか。“敵”の殲滅か? 勝利には違いないだろうが、あまりに高望みであり、まず不可能な達成目標だ。我々こそが殲滅されかかっているのだからな。我々の勝利条件は“殲滅されない”ことになる。そのためには“敵に諦めさせる”ことだ。そのための戦略を模索している」
「どうするつもりだ。私にはそれもまた極めて困難な勝利に思える」
「大まかに二つの戦略がある。一つは“反撃し、交渉の場をつくる”。もう一つは、“産めよ増やせよ”――言い換えれば、“殺される速度を殖える速度で上回る”というものだ」
「現実的ではないな」
「……特に後者はな。そもそも、育児を許容できるだけの社会的な余裕がまだない。仮にそれが整ったとしても、殖えれば殖えるほど拠点は巨大になり、被発見のリスクは増大する。長期的戦略として視野に入れてもよいが、これだけでは根本的な解決は望めない」
「ならば前者か。だが、彼らに交渉が通じるとは思えない」
「思えない、か。お前も彼らに交渉が通じるかどうかまでは知らないということだな」
「言語能力を有していることは知っている。今も私がこうして話せているようにだ。しかし、彼らは原住民と言葉を交わす必要性を認めていないというのが現状だ」
「まずはそこからだな。彼らに関する情報がもっと欲しい。彼らの目的。彼らが我々を滅ぼさなければならない理由。それを知らねばならない。協力してもらいたい」
「そのつもりだ。私はそのためにここへ来た。私は私のまだ知らぬものを滅ぼそうとする彼らを“敵”と認定している」
「心強いな。先ほども言った通り、私はお前を信用していない。だが、信頼しなければならないとは考えている。お前を最大限有効に活用するため、あらゆる情報をお前に集積させる。それは我々にとって有益な結果をもたらすだろう。ゆえに、私の全影もお前に見せよう」
「……殿下、よろしいのですか」
そこで、ずっと黙って立っていたノエルが口を挟む。
「よい。
机越しに見える第三皇子の上半身が、高さを変えずに不自然に横へとスライドする。椅子から立ち上がるのではなく、椅子ごと移動しているようだった。
そして彼は、椅子に座ったまま姿を現した。その椅子には六本の脚が生えていた。虫のような関節を持ち、それは彼の代わりに歩く。
「見ればわかるか。特にお前ならな。あの日の事故で私は両脚を失った。今の私にはこうして椅子の上から指示を出すことしかできない。だからこそ、お前には動いてもらうぞ」
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