内部犯罪調査室

「この私を呼び出すとは、ずいぶんなご身分じゃないか岡島」


 第三皇子ガエル・ブランケイスト・アイゼルは皮肉っぽくそういった。


「申し訳ありません殿下。ですが、つまりはの案件なのです」


 対するは、情報機関〈風の噂〉内部犯罪調査室のサルヴァドール・岡島である。

 文字通りに国家機関の内部における犯罪を対処する組織であり、第三皇子はこの組織とこれまで何度か関わり合いになったことがある。

 第三皇子は周囲を見渡す。呼び出された場所は特に目立ったものもない寂れた山間に思えた。人払いがしたかっただけなのか、とも思ったが、第三皇子ともあろうものが旧知の相手とはいえただ一人で呼び出しに応じることはない。彼は信頼できる近衛を四人引き連れてこの場所に来ていた。


「ここはなんだ? 私の公邸ではできない話なのか?」

「はい。というより、皇都であるというだけで問題がありました」

「まさか、私の近衛にまで下がれとは言うまいな」

「その点は問題ありません。殿下の信頼なさる近衛であるなら」


 この場所は、皇都からは遠く離れた辺境に違いない。

 と、いうのも第三皇子は自分の足でここまで来たわけではないからである。皇王御前試合の本戦当日であるにもかかわらず、こんな呼び出しに応じた理由の一つもそこにある。

 岡島の隣にいる彼の部下、レグナ。刃だけで1mはある大鋏を持ち歩く男だ。

 固有魔術〈空間接続〉――極めて希少性が高く、かつ有用性も高いことで知られるその魔術は、術者がすでにその足で踏んだ場所であるならば自由に空間を繋げて移動することができるというものだ。空間転移よりもはるかに利便性が高い。弱点は、せいぜい「対魔術障壁を突破できない」「高さには十分に対応できない」、といった程度である。

 ここへ訪れるのにも一瞬だった。皇都へ戻ろうと思えばいつでも戻れる。

 内部犯罪調査室は少人数による組織ではあるが、レグナをはじめとした有能な魔術師が所属しているのもあり、その能力は侮れない。


「では話してもらおうか。試合開始までには終わって欲しいものだな。今回も私の推薦した選手が出場するのだから」

「少々長くはなりますが、順を追って話します。不可能庁の件以来、我々は皇国中で無術者の痕跡を聞き込みによって調査していました」


 念入りな聞き込み。それは、彼らの隠語で「〈追憶〉などの記憶査閲魔術を含む聞き込み調査」を意味する。人間の記憶というものは曖昧なものだが、魔術によって記憶を読むことで本人ですら思い出せないような、限りなく原体験に近い記憶情報を入手することができる。

 公権力による一般市民への〈追憶〉は内心の自由を脅かすものであるとの批判も根強い。いずれにせよ倫理にもとる行為であるのは間違いない。そのようなことを意に介さないのも彼らの強みだ。


「無術者か。たしかに脅威だな」


 無術者。魔術を持たず、さらには周囲の〈認識〉範囲内をも巻き込み、魔術を使用不能にさせる存在。魔術主義のアイゼル皇国では認めがたい脅威である。


「ですが、我々が問題としたいのは無術者ではありません。その調査活動によって無術者と類似する存在が潜んでいることがわかったのです」

「ほう? 前にも似た話を聞いた気がするな。まさか、また“人ならざるもの”か? 被造物クリーチャーじゃあるまいし」

「そのまさかです。とはいえ、被造物クリーチャーではありません。その正体は不明です」

「まだ正体もわかっていないもののためにこの私を呼び出したのか?」

「正体こそわかりませんが、確実に脅威といえる存在です。彼らは国中のいたる場所に潜伏し、最も古いもので十七年前から目撃例があります。奇妙なことに魔力が一切感じられず、それでいて無術者というわけではなく、まったく同じ顔、同じ姿をした人ではない。そのような存在が皇国中に、いえ、に潜伏しています」

「世界……?」


 第三皇子は訝しむ。少し考え、そして察する。


「岡島。まさか、この私を呼び出したのは……!」

「はい。そういうことです」


 岡島はサッと右手を上げる。応じるように、その背後の空間に木製の扉が現れた。

 ひとりでに扉が開かれ、中からは全身白づくめの男女が姿を現す。扉の向こうには異なる風景が映し出されていた。

 大鋏で空間を斬り裂くレグナと形態は異なるが、それは〈空間接続〉に違いなかった。〈空間接続〉はその有用性に対し極めて希少な固有魔術だ。少なくとも皇国では現在レグナ以外の術者を軍などの公的機関では擁していない。そう、皇国では。


「お初にお目にかかります。皇国第三皇子ガエル・ブランケイスト・アイゼル殿下」


 挨拶するのは二人のうち、前に歩み出た長身の女。白い長髪に白い肌、不健康そうな笑み。それでいて抗しがたい魅力も有する。得体の知れない女だった。


「シャピアロン帝国の“白”――機関長ヴェロニカ・スルガノヴァと申します」

「岡島ァ……!」


 第三皇子は激昂した。応じて、四人の近衛も構える。

 その圧力に肌を震わせながらも、岡島は努めて冷静に答えた。


「申し上げた通り、これは世界の問題です。すなわち、“白”でも同様の調査結果が出ているのです」

「誑かされているのではあるまいな?」

「あり得ません。いかに“白”とはいえ、皇国中にこれほど大規模に工作員を潜伏させることはできません。それどころか、アルトニアでもトラハディーンでも螺子巻きでも……とにかく世界中です」


 シャピアロン帝国はアイゼル皇国の北に位置する大国である。古くは敵対関係にあり幾度となく戦争を繰り返してきたが、現在は外交上友好関係にある。ただ、長年の対立感情は未だに残っており、諜報の分野では水面下で情報戦が繰り広げられている関係でもある。

 そして、その諜報の分野においてはシャピアロンに一日の長がある。“白”とはそんなシャピアロンの、世界最古にして最高の諜報機関「白銀しろがね部隊」を意味する隠語である。


「そもそも、本当に実在しているのか? そいつらを……なんと呼べばいいのかはわからんが、一人でも捕縛できているのか?」

「もちろん、実際に我々の目で確認もしています。ただ、残念ながら見失っており確保には至っていません」

「負幻影か?」

「いえ。むろん感覚保護は行いましたが、そもそも彼らは魔術を用いません」

「目的も正体もわからないなにかが社会に潜伏し、捕らえようとするなら姿を眩ます、と。で、どうしろと? それはいったいどれほどの脅威だというんだ? そいつらがいったいなにかしたのか?」

「こちらをご覧ください」


 岡島が懐から取り出したのは、手の内に収まる程度の虫のようななにか、だった。蜂にも見えたが見慣れぬ材質で、人工物にも見えた。


「なんだそれは」

「皇都で発見されたものです。現在は機能を停止していますが、これは虫のように皇都を飛び回っていました。しかも、その姿を光学的に隠蔽する性質を持ちます。魔獣の一種かと思いましたが、やはり魔力は一切感じられません」

「ますますわからんな。なんだというんだ」

「残念ながら我々も正確なことはわかっていません。わかっているのは、これが機械仕掛けであり、おそらく監視や盗聴といった能力を持っていることです。これが、皇都だけでもおそらく数千は飛び交っています」

「数千だと……?」

「これは“白”との情報の擦り合わせの過程で発見されたものです。シャピアロン帝都にも同様の虫が飛び交っています」

「それがいったいなんだというんだ。“白”の自作自演でないというのなら、いったいなんだ?」


 スッ、と――岡島は天を指さす。


「“敵”は、天上にいます」


 皇子ガエルも釣られて見上げたが、ただ青空が見えるだけだ。顔を戻し、無言で眉をしかめる。


「説明、並びにそれを納得いただけるのは極めて難しい内容であることは重々存じています。お越しいただいたここも、その脅威を説明するにふさわしい場所として選んでいます。かつてこの場所には小さな村がありました。地図にも載っていないような閑散とした村ですが、行商人の証言から“かつて村があったはず”ということはわかっています。今ではその痕跡すら残っていません」

「…………」


 皇子ガエルは改めて周囲を見渡す。たしかに、村があったなどという痕跡はまったくない。岡島が嘘をついていると考える方が理にかなっていた。


「……これでも、私はお前を信頼している。だからお前のその妄言めいた突飛な話にも付き合ってやるわけだが――で、“白”よ。私と会いたかったのは、お前たちの申し出か?」

「ふふ。やっとこちらを見ていただけましたね。殿下をご指名したわけではありませんが、皇国とより強固な協力体制を構築したかったのです。岡島さまには、“信頼できる有識有能な権力者”をご紹介いただければ、よりお話はスムーズに進むのではないかと要請いたしました」

「私はお前たち“白”までは信用していない。それはわかっているな」

「ええ。協力、といっても限定的な情報共有ができればよいのです。いざというときに対処がとれるようだと嬉しいですね。そしてこの“敵”は、そうやって我々が協力しなければならないほどの脅威だと考えています」

「“敵”、か。わからんな。具体的な被害は村が一つ消滅した程度か?」

「シャピアロンでも同様の被害形跡が発見されてますね。名も知れぬような小さな村が、痕跡ごと消失しています。ですが、それより問題は未知の勢力による諜報網がいつの間にか世界中に展開しているということです」

「で、その“敵”は天上にいると?」

「はい」これには岡島が答える。「件の隕鉄騒動から、天文観察という学術分野がにわかに興りはじめました。“望遠鏡”と呼称される遺物を用いて天上を観察した際、遠視魔術では見えないものが見えることがわかってきました」

「で?」

「その際、天上にが浮遊しているという報告があったのです」

「そうか。では整理しよう。

 ①未知の勢力による世界規模の諜報網。

 ②小さな村の痕跡すら残さない消失。

 ③天上に浮かぶ謎の人工物。

 お前たちはこの三つを関連付け、なんらかの未知の勢力によるなんらかの陰謀が進行していると、そう主張したいわけだ」

「おっしゃる通りです。殿下」

「……正直な感想を言ってもいいか? 馬鹿馬鹿しくて話にならん」

「存じています。正体も不明。関連付けの根拠も薄弱。想定される脅威の巨大さを除けば、とてもではありませんが、殿下にお話しするような内容ではありません」

「まったくだな。で、今回はなんだ? 単なる顔合わせか? そろそろ御前試合も近い。そろそろ皇都へ戻りたいのだが、まさかこの場でそこの“白”との協力体制の契約を結べというわけではあるまいな。もっとも、すでに協力関係にあるものを黙認しろという話なら、お前たちはもとより皇王陛下直属だ。私に口出す権限はない」

「いえ。せめて今回は、ぜひご一考いただけたらと」

「ふん。わかったわかった。ひとまず持ち帰らせてもらう。岡島、皇都へ繋げ」


 岡島はそれを受け、レグナに指示を出した。これにて話は終わりだ。

 まだ話せる内容はあった。だが、一回で理解し納得してもらえるとは思っていなかった。なにより、岡島自身もまだ理解できていなかった。まずはなにより話すべきだと、そう判断しての今回の会談だ。


「ふふ。さすがは噂に聞く第三皇子殿下。このような突飛なお話もあくまで冷静にお聞きくださり、その受け答えも実に聡明であらせられる。お会いできて光栄でした」


 慇懃な別れの挨拶をあとに、“白”も扉を開けて帰っていった。もっとも、扉の先がどこかはわからないが。


「それでは、繋ぎま――」


 レグナが空間に大鋏を振るい、皇都に空間を繋げようとしたそのとき。


 爆発、のようだった。

 膨大な熱と光と風と煙が、おそろしい勢いで吹き込み、死を、運んで来た。

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