長い廊下と女の子

 ボクは通学のために最寄りの駅から出るスクールバスを利用している。

 家から駅に向かう道中にそれなりに大きな駐車場を横切るのだが、


「…………」

「…………」


 そこにはいつも、日向に寝転びながらこちらを睨む黒猫がいる。

 初めのうちは「なんだあの猫畜生」程度にしか思っていなかったのだが、毎朝睨みあっているうちに、この黒猫を見ないと一日不調になるくらいには愛着を抱くようになった。

 黒猫がいない日は決まって曇りや雨の、陽射しがない日だったから、なんなら家を出る前から不調になる。

 そして、前振りからわかる通り今日は陽射しが出ていない曇りの日。


「あー、もう疲れた」


 微妙に湿度が高いせいなのか、全体的に身体が重い。


「第一声がそれはどうなんだ」

「この空を見て爽やかな言葉は出てこないよ」


 …………。

 猛烈な違和感がしたので、やけに馴れ馴れしい聞き慣れない声がした方を見れば、塀の上で丸まる見慣れた黒猫がいた。

 どういうことだ……ついに猫の鳴き声を人の言葉に脳内変換出来るようになってしまったのか……。

 って、朝から遊んでる場合じゃない。今日から定期テストなんだ、早く学校に行って少しでも勉強しないと。

 意識を黒猫から駅に向け歩き出すと、「いやちょっと待て」と制止の声がかかる。

 ちらりと声がした方を確認してみても、そこには黒猫しかいない。今の声は勉強のし過ぎで聞こえるようになった幻聴と判断し、ボクは改めて駅を目指す。


「待てと言っただろ」


 黒猫に道を塞がれた。


「ほら、飴あげるからどっか行け」

「アホか」


 包み紙ごと差し出したハッカ飴は猫パンチによって路上に転がった。なんて失礼な猫なんだ。


「お前、理人だろ? さとみから話は聞いてる。しばらく観察させてもらっていた」

「さとみ……?」


 誰だっけ。


「円道さとみだ。お前のく、黒染め板? ってやつの」


 一体誰なんだ……、ボクのクラスメイトに似たような名前の女子がいた気はするけど、黒染め板なんて知らない。ブラックリスト的ななにかってことか? それなら、多分あの自称『覚』のあいつのことか。


 ……いやだから、こんなところで遊んでる場合じゃないんだって。バスに乗り遅れちゃう。


「ごめん、テスト終わったら話聞くから」

「あ、おい、だから待てと……!」


 黒猫は慌てた声をだすが、どうせボクの妄想から聞こえる声なので無視して黒猫を跨ぎ急ぐ。


「…………」


 黒猫はなにも言わず、追いかけてこなかった。


「いやあ、朝学校行くとき猫に話しかけられちゃってさ」


 なんて誰かに話すこともなく、定期テストは無事日程通り終えられた。

 それにしても、あの猫は本当になんだったのだろうか。毎朝欠かさず挨拶しに来てくれて、ボクとしては毎日調子が良くて助かったが。


「お疲れー、テストどうだった?」

「ふつう」


 最近、円道の扱いに慣れてきた気がする。


「酷くない?」

「酷くない」


 普段よりずっと軽い通学鞄を肩に掛け、家路に着こうと席を立つと出入り口を円道に塞がれた。


「この後暇でしょ? 遊びに行こうよ」

「この後用事有るんだよ」

「どんな?」

「家の人と映画観る」


 嘘だけど。


「嘘じゃん」

「嘘じゃないよ」

「いや嘘でしょ?」

「嘘だよ」


 なんで嘘ってわかったんだよ、当てずっぽうでも怖いわ。


「いや私『覚』だからね? いい加減認めようよ?」

「あ、そう」


 その後、何度か抵抗を試みるも結局円道と一緒に駅の中にある映画館で映画を観ることになってしまった。

 まあ、楽しければなんでも良いか。

 なんて考えていたら、いつの間にか校内で円道とはぐれてしまった。校内で道に迷うとか、全く、世話の焼ける人だなあ。


「……あれ?」


 円道を探そうと踵を返してみると、目の前には見慣れぬ景色が広がっていた。


 どうやら、道に迷ったのはボクの方らしかった。


 ボクが立っていたのは、柱の影に緑色の公衆電話がぽつんと置かれた廊下だった。廊下に窓がないため、外の様子はわからない。

 廊下は薄気味悪い静けさに満ちていた。

 よくこんなところまで平然と歩き続けられたものだと、ボクの円道への関心のなさに驚く。

 まあ、見っともない理由だけど、家に帰れるなら良いか。

 右手に見える柱の影で突然鳴り出した公衆電話は見なかったことにして、ボクは来た道を戻る。

 そして、さっきのものとは別の柱にも、同じように緑色の公衆電話が置かれていた。

 公衆電話は、馬鹿みたいに鳴り続けている。


「…………」


 振り返ってひとつ前の柱を見てみると、そこには公衆電話はなかった。

 隣でうるさい公衆電話の受話器を持ち上げて、すぐに戻してみる。

 一瞬後、すぐにまた鳴り始めた。

 壊れてるじゃん、これ。


『……………………』


 壊れた公衆電話を無視して歩き出そうと再度振り返った瞬間、突然公衆電話は鳴り止み、置かれた受話器をから砂嵐のような不快な音が流れ出てきた。

 何事かと公衆電話を眺めていると、砂嵐に混じって人の声が小さく漏れ聞こえてくる。


『私、メリー。今、あなたの、ところに、向かってるわ』


 なんだ、いたずら電話か。

 いたずら電話に構っていても仕方ないので、公衆電話を無視して歩き出す。

 相変わらず、等間隔に作られた柱の影には公衆電話が置かれており、砂嵐のような音を吐き出し続けていた。


 それにしても、先が見えない廊下だ。気のせいだと思うけど、教室を出てから迷っていると気付くまでにかかった時間より歩いている気がする。

 公衆電話がうるさいせいで時間の感覚が狂ってるだけだろうけど。


『私、メリー。今、あなたの、学校に、入ったわ』


 律儀に正門から入ったのだろうか。ちゃんと来客用の名札を受け取らないと、不法侵入者扱いされてしまうから気を付けて欲しい。


『私、メリー。今、校舎に、入ったわ』


 生徒玄関の隣にある来客用玄関から入らないとスリッパが置いてないのだが、大丈夫だろうか。


『私、メリー。今、あなたのいる、窓のない、廊下に入ったわ』


 このまま歩いていれば鉢合わせになりそうだ。


「私、メリー。今、柱の影に立ってるわ」


 ふと足を止め、少し遠くに見える柱の影を見てみると、小さな人影があった。

 ボクはようやく、砂嵐のような音が消えていることに気が付いた。


「…………」


 柱を通りすぎた五十メートルほど先に、廊下の出口と思われるドアがあった。ドアなんて開けた覚えはなかったけど、いやもしかしたら開けていたかもしれない。どうだろ。わかんない。


 それよりも、柱の影にいる人影だ。

 もう五分は待っているが、一向に姿を現す気配がない。いたずら電話もかけてこないし、よく見たら素足だし。スリッパが見つからなかったから、裸足で校舎内にあがったのだろうか。サンダルで来たのかな?


「…………」

「…………」


 早く動けと言いたげに人影がむずむずと動くが、さて、どうしたものか。

 仮に、あの人影がかの有名な都市伝説『メリーさんの電話』に登場するメリーさんだったとしよう。

 背後取れてねーじゃん。

 背後に回る性質があるにも関わらず、この長い一方通行の廊下に出口から入ってきちゃ、そりゃボクの前に立たざるを得ないよね、うん。

 捨てられた人形が歩き出したとだけあって、やはり知能は低いらしい。


 それにしても、このおかしな廊下にまさか出口があるとは思わなかった。多分ここは、この岸辺高校の七不思議のひとつ、『出口がない長廊下』だろう。いつの間にか迷い混んで、三度振り返ったら帰れなくなるという。ボクは既に三度振り返っているはずだ。

 ボクは幽霊や妖怪の類いは存在しないという主義の人間だけど、まあこんな目に遭っているわけだし、仮にここで霊的に、あるいは怪異的に考えてみるとすれば、

 メリーさんが校舎内からこの窓のない廊下に入ってきたと口にしたことで、この恐らくは出口がないはずだった窓のない廊下に出入り口が出来てしまったのではないだろうか。

 認識によって成り立つ怪談の、この場合は弱点だろうか。

 そう考えてみると、もしかしてメリーさんはボクの命の恩人出はないだろうか。ボクのメリーさんに対する好感度が急激に上がっていく。


「愛する人に殺されるのも悪くないかも、ね」


 なんて、格好いいこと言ってみたりしてから、ボクはようやく歩き出す。

 ひとつ、またひとつ、刻むように歩を進める。

 柱の前を通り過ぎたとき、顔を確認し忘れたことに少し後悔。ボクを殺す人の顔は見ておきたかった。


 扉の前まで歩き、ボクは足を止める。

 行く手を塞ぐように、長い脚のテーブルがあった。

 テーブルの上には、そう、小学生の頃、ボクが一番仲が良かった女の子に誕生日プレゼントとして貰ったダックスフントのぬいぐるみ。これは高校入学前、もう古くなったからと捨てたはずだ。

 それがどうしてここに、なんて考えるはずもない。ボクはなにも言わず、ダックスフントのぬいぐるみを手に取る。


「私、メリー」


 すぐ後ろで、懐かしい少女の声が聞こえた。


「ずっと、あなたと、一緒に、いるの」


 せめてトイレとか風呂の時とかは外で待ってて欲しいんだけど。

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