第7話 印と印なし

 ここに来た初日から、俺が札付きであることは周囲に知られていたようだ。

 首輪を勝手に外すわけにはいかない。隠せるような何かを持っているわけでもない。

 そんな状態で食い物を漁りに行ったのだから、気づかれて当然だろう。

 なんもかんも食い物に釣られた俺が悪い。


 知られていると分かった時には焦った。

 しかし、これが一概に悪いとばかりは言えない。


 食い物を手に入れるという点においては、間違いなく邪魔になっている。

 最初は俺がどんくさいのかと思った。狙ったものが、次々と横から伸びる手に掻っ攫われていくのだ。

 次に新参だからかと思った。嫌がらせ。明らかに俺の周囲に子供が集まっていたのだ。


 だが新参が理由ではないことにはすぐ気がついた。

 子供たちが見ているのは、俺という人間ではなく、その首に付けられた金属の札だったからだ。


 他方で、それ以外の時間については、弾除けとして役に立っている。

 子供たちの多くは、大人の気晴らしで暴力を振るわれていた。娯楽なんてなく、鬱憤しか溜まらんこんな場所だ。暴力が蔓延はびこるのは自然の流れであろう。

 なのに、俺にそうした暴力を振るおうとする者はいない。


 にたにたと気味の悪い笑みを浮かべて、唾を吐きかけてくるような輩は多い。

 それがより暗い感情によるものだと、気づけないほど馬鹿ではない。それでも、暴力に晒されるよりは遥かにマシと言えよう。


 理由だが、権力と言う観点で闇の月は黒の月に対し、遥かに優位な立場にある。

 この権力とは、神サマを背景にした権力だ。

 闇の月女神の名が権威を持っているのだとは思わない。あるのはおそらく、黒の月を貶めた神々の権威だろう。神威と言うべきか。

 俺は虎ならぬ神の威を借りた狐というわけだ。

 子供たちの腹いせが飯時に限られることから、そんな風に想像できる。


 なぜ飯時ならいいかって?

 俺の居る居ないに関わらず暴力で解決してるからだよ。いつも通りの奪い合いをしただけで、闇の月を貶めるつもりなんてなかったんです。という理屈だ。

 たぶんおそらくきっとめいびー。


 そんなわけで、争奪戦に加わるようになって生傷が絶えない。

 よほどの怪我でもなければ翌朝には治っているが、どうも空腹を強く感じるようになった気がする。


 怪我の治りが早いのは知っていたが、骨折までどうにかなったのには驚きだ。

 1晩でくっついて、3日もすれば違和感もきれいさっぱり。

 治るより、直るに近い。

 手で支えてるだけでズレもなく繋がるのは、ちょっと普通ではない。


 以前も、他の人間たちが黒の民を排斥したがる理由の1つに、傷の治りの速さがあるとは考えたことがあった。

 だがこれは、同じ人間として見ろと言う方に無理があるのではなかろうか。

 いや、魔法種という人間より遥かに優れた種がこの世界には存在する。後押しはしたかもしれないが、理由の1つに数えるには役者不足か。


 同じ人間と言えば、印なしはどういう扱いになるのだろう。

 その辺り、ラクハサは詳しく踏み込んではくれなかった。

 いや、踏み込めなかったのか?

 あの場には他の人間の耳もあった。自身を不利にしかねない言葉を、あれが口にするとも思えない。


 聖印とは神の祝福の証であり、人と呼ばれる種族群が先天的に有するもの。

 多くの種族はその信仰に関わらず、生み出した神から祝福を授かり、生涯それに護られ生きてゆく。

 だが白の神の導きによって神々に生み出された人間だけは、洗礼によって改宗することで、異なる神に帰依することができる。

 この時、聖印は帰依した神のものに変化する、だったか。

 いや、洗礼によって変化することを改宗と言って、変化が完了するのを帰依と呼ぶのだったろうか。


 1回聞いただけで理解できるほど、宗教用語は簡単ではないな。

 まあ用語なんて関係なく、印なしが非常にデリケートな立場なのは確実だ。

 デリケートでデンジャラスだ。


 ああ、空腹も相まって思考が空回りしている。

 飢餓は人を獣にする、なんて言っている場合ではないな。

 冷静に考えると札付き云々が軽く消し飛ぶくらいマズい。


 若様は言っていたな、御屋形様が知れば捨て置かないって。

 これ始末するって意味だよな、おそらく。

 しかも、闇月のお偉いさんだろう。ラクハサの言っていた僧正その人かもしれん。

 宗教の偉い人がそういう判断を下すということは……。


 ひとまず、人を避けて過ごすしかない。万が一にも見られるわけにはいかなかった。

 それ自体は難しいことではない。

 地下は存外広い。水路は網の目のように入り組んでいる。

 元々話をするような相手もいない。


 誰もが自分から食い物を奪う敵。そんな意識がこの場所を支配していた。

 いや、子供たちの間では微妙に連帯感が出始めている気もするが

 それでも容易なはずだ、飯時を除けば。


 避けて、人目を忍んで、そうやって生きて、なにが俺に残る。


 機会を待つ。

 はは、ここに入れられて、俺がやったことはなんだ。

 ゴミを漁って腹を痛めて、ガキと残飯を巡って奪い合う。

 状況を打開するための行動なんてなにひとつ取っていない。


 今はこうして冷静に物事を考えているが、いま少し腹が減ればどうなることか。

 空腹とは、それほどまでに人をめしいにするのだ。



 ◇◇◇



「上から来てる子供って、どんな奴なんだ」


「知らない。子供だけ集めてこいって。大人には言うなって」


 足音が響いたと思ったら、そんなやり取りが聞こえてきた。

 迂闊なガキだな。どこに大人の耳があるか分からないってのに。

 まあ大人は餌場の周囲に固まっている。この辺りじゃ気が緩むのも仕方がないか。


「なんだそれ」


「あと、食べ物持ってた」


「「食い物!」」


 足音が止まった。


「な、なに?」


 ちくしょう。俺はどこまで愚かなのか。

 すべてはこの空きっ腹が悪いのだ。空腹は人類の永遠の敵だ。食欲によってどれほど多くの人間が迷い悩み苦しんできたことか!


 不覚にも欲望に屈した俺は、腹を括って物陰から出る。わざと足音を立て、所在を表しながら子供たちに近づく。

 ただし、顔が分かるか分からないかの距離で足を止める。


 そして、重大な問いを口にした。


「量は、あるのか?」


「おっきい、袋。でもみんな来たら、あんまり、ない」


 俺の姿が見えたからだろう。少し安堵した様子を漂わせながら、たどたどしく応える。

 ふむ、確かに。


 穴倉には十数人の子供が居る。大きな袋と言っても、子供が持ってくるものだ。それほどの量は入るまい。

 俺は札に加え、印という厄介な問題を2つも抱えている。危険が大きい。


 しかし、と魂が囁く。


 たとえ僅かであっても、残飯ではない、まともな、食い物が、食える!


「行くしかない」


「う、うん」


 思わずこぼれた独白に、律儀に返事をしてくれる小さな方の子供。

 だがそこに、落胆の気配を感じずにはいられない。

 大きな方の子供は隠すまでもなく不満を身体で示していた。


 けれど声をかけていたのは小さな子供の方である。

 つまり、小さい方を落とせば、大きい方はなにも言えないということだ!

 卑怯? ありがとう。最高の褒め言葉だ。


「ごめん。でも、僕もついていっていいかな」


 身体を少し丸めながら、不安がるように言ってみる。


「うん。いい、よ。できるだけ、集めてこいって、言ってた」


 大きい方からえぇーと不満の声が聞こえた気がするが、んなもん無視だ。


「ありがとう」


「え。うん?」


「ちぇ、さっさと行こうぜ」


 大きい方の子供がしびれを切らしたように急かす。


「こっち」


 そうして小さい方の子供を先頭に小走りで水路を進む。

 こちらが札付きだと気づいた様子がないことにほくそ笑む。まったく間の抜けた子供たちだ。

 もっとも、これからが本番。食い物を手にするまで、一片たりとも気を抜くことはできない。

 俺は空腹で悲鳴を上げる腹にぐっと力を入れた。

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