第6話 穴倉、そこに人の尊厳はなく

 結論から言おう。俺は生き延びた。

 連中にこちらを殺す気がなかったのだから当然だ。

 まあ生き延びたといっても、くたばるのが少し先延ばしになっただけのことかもしれない。


 ひと山幾らで売り払われた俺たちは、この強制居住地区ゲットー、正確にはその管理をしている黒の家に引き渡された。

 街が買い取ったわけではないらしい。その辺りなんとも妙な話であると思うのだが、この世界については外見相応の知識しかない俺には分からない。


 詳しく解説なんてしてくれるわけもなく、黒の家がどんなものなのかも分からないまま、他所に集められた俺たちには、その処遇だけが伝えられた。

 端的に言えば、ガキと年寄りの面倒を見る気がこの街にはない、というもの。


 広場に集まった顔ぶれには、ここに集められた者よりも明らかに老いた者が居た。

 おそらく先の言には、外から来た、と前置きが付くのだろう。

 まあそれで俺たちの扱いが変わるわけでもないのだが。


 そんな俺たちが送られたのは戦場、ではなく、穴倉とかいう地下街だ。

 本当に街があるわけではない。区画の地下を走る水路のその脇の通路に、適当に寝床を作って生活している、それだけの場所。

 蛍とも違う奇怪な光る虫が、そこかしこの壁に張り付いている。おかげで最低限の視界は確保されているが、炎の温か味が感じられないない分、地下牢にも増して陰気な場所のように思えた。

 貧民街の中の貧民街、そんな印象を抱かずにはいられない。


 そして事実、その通りの場所だった。

 俺たちに働きは求められない。求められるのは1つだけ。定められた場所で生活すること。つまりここ、穴倉で。


 食事は日に1度、上の街で出た生ゴミが運ばれてくる。

 残飯と呼ぶのもおこがましい。

 虫の湧いた野菜や、変色したなにかの肉。


 順番が回ってくる頃、目の前に転がっていたのはそんなものばかり。


 元は残飯も混じっているのだろう。

 だがゴミが運ばれてくるや否や、大人たちが群がってきて争奪戦を始めたのだ。

 中には傭兵として働いていたものも混じっている。そんな連中が欲を剥き出しにして荒れ狂っていた。


 野獣の群れだ。

 穴倉には俺の他にもそれなりの数の子供がいたようだが、中には涎を垂らしている者までいたが、それでも眼前の輪には加わろうとしない。

 歴然とした力の差。


 やがて大人たちが思い思いに食い物を手に散っていくと、今度は子供たちで奪い合いが始まる。

 そして残されたのがこのゴミだ。


 街にやってきたこの日、俺は結局なにも口にすることができなかった。

 年寄りとして扱われ、一緒に連れてこられた連中も同じだっただろう。

 だろう、というのは、そこまで気を回している精神的余裕がなかったからだ。


 ここに来るまでの日々も酷いものだった。

 文明社会で生きてきた俺には、繊維の粗い服も、味気のない飯も、布でしかない布団も、風呂も便所もない日々も、それはもう耐えがたいものだった。

 だが戦地だからと、捕虜だからと誤魔化し、その日その日を乗り越えてきた。


 子供の記録の中の生活は、それらに比べれば随分とマシなものだった。

 だから、それを頼みに今日まで耐えてきたのだ。

 その果てがこれとは、あまりに惨い。


 明くる日、石材の隙間から滲み出す水を舐めて飢えを凌いだ。

 その次の日も。そのまた次の日も。

 けれどその次の日、餓死の危機に心が屈し、俺はゴミを食った。


 翌朝から、腹痛に苦しむ日々が始まった。

 それでも飢えた身体は食い物を求め続けた。

 3日目には痛みを堪え、奪い合いに混じるようになる。

 新参者に大した収穫が望めるはずもないが、それでもようやく、食い物と呼べる代物を口にすることができた。


 人としての尊厳を塵屑のように踏み躙りながら、俺は日々を繋いでいた。

 また同時に、俺はこの肉体の異常性に気づいていた。

 腹は鋭い痛みを訴えながらも、下す様子が見られないのだ。

 ばかりか、出るものすら出ない。

 己の腹を眺めてみても、変に膨れている様子はなく、食った物の行方はようとして知れない。


 俺はこの俺という意識が、この世界の異物なのだと思っていた。

 しかし、本当にそれだけなのか。

 果たしてこの肉体は、正しく人間と呼べるものなのだろうか。

 疑念が俺を満たしていた。


 そして知るのだ。

 ラクハサの見立ては正しかったのだと。


 この世界で目を覚ました時には確かにあった、黒の月女神を示す聖印が、気がつけば跡形もなく消え失せていた。

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