第8話 差し出された手、差し伸べる手

 穴倉の外れ、水路に設けられた待避所みたいな広場のひとつが、松明によって煌々と照らされていた。

 まあ実際にはそれほどの光量ではないのだろうが、暗闇に慣れた目には眩しい。


 松明を手にするのは、なんとも不遜で我の強そうなお子様だ。

 年はまあ、この身体と同じくらいだろう。

 足もとに置かれた袋は、なるほど、子供が持ってくるにしては大きい。

 あの中身が食糧だと思うと。ごくりと喉が鳴る。


 飢えた狼の群れの中に羊を持って入る。大胆極まりない行動だが、腰に剣を差しているところからすると、考えなしではないのだろう。

 蛮行であることに変わりはないが。


 小さな子供に礼を言って離れる。

 声が届きそうな範囲で、なるべく陰になる場所を見つけると、膝を抱えるようにして座り込む。

 腕と足で顔と首元を隠せば、正体が露見するまでの時間を稼げる。

 この場に子供たち全員が集まったら厄介だが、しばらく待っても集まったのは俺を含め9人だけであった。


 上出来だと思うけどな。

 たぶん普段は言葉も交わさないのだろうし。

 少しかすれて特徴がある俺の声を聞いても、2人はなんら疑問を持たなかった。そのことからも間違いはないと思う。


「食い物を持ってきたのに半分ちょっとか」


 それでも不遜くんは不満そうだ。

 まあ確かに。ここの食事事情を知っていれば、まともな食事を持ってきたと言えば子供なら飛びつきそうだからな。不満を抱くのも無理はない。

 実際、子供以外も飛びついているわけだしな!

 侘しい。


「信用されてないのかもな」


 不遜くんが独り言ちた。

 ん、これは不遜くんではない?

 勝手な先入観はいかんな。偏見は対応を誤らせる。


「最初に半分やるから、きちんと俺のする話を聞いてくれ」


 前金で胃袋を掴み、後金を真剣に話に耳を傾けた対価とするとな。

 この小僧、やりおる。


「んじゃ、取りに――」


 おい、そいつは悪手だぞ。

 子供たちが我先にと群がりかけ。


「待て動くな。やっぱオレが配る」


 松明が音を立てて転がる。

 右の手は剣の柄を握り、左の手は鞘に添えられている。

 それだけじゃないな。足裏が松明を押さえている。

 なるほど、落ちた場所が袋の近くだったから、燃え移るのを危惧して足で留め置いたのか。


 知恵に秀で度胸は申し分なく機転まで富む。

 構えは自然で様になっている。剣の腕も、傭兵と育った記録の子供と同じくらいあるのではないか。

 逸材だな。


 食い物に釣られて来ることになったが、そうまでして子供だけを集めてする話というものに、俄然興味が湧いてきた。

 他の子供たちは、お預けを食らって不服そうだが。


 配られたのは子供の両手で包み隠せるぐらいの、小振りな黄色い果物だった。

 形は不格好で、皮は所々日に焼けたのだろう、色が変わっている。

 だが、果物だ。

 パンや肉でもなく、野菜でもない。果物だ。


 確かにあの生ゴミの山の中に、果物らしき影を見たことはあった。

 だがこちらの世界に来て以来、野菜すら満足に口にできない日々。

 まさか丸ごと1つ手にする日が来ようとは。


 いただきます。心の中で唱えると、小さく齧りついた。


 お、おっ。

 食べた感じは林檎に近い。酸味が強く、甘さは仄かに広がる程度。鼻腔に広がる風味はイチジクに近いものだが、口内を満たすのはやはり林檎のそれだろう。

 品種改良が進んでいないような素朴な味わいだが、この世界で荒んだ心に程よく染み渡っていく。


 ああ、配り終えて早々に話を始めたようだが、すまないな。周りの誰も聞いていないことに気づいて少し待っていてくれ。

 こんなものを持ってきた君が悪い。



 ◇◇◇



 果物くんの話はまとめるとこうだ。


 子供同士で争っていたら、大人になる前に死ぬ。

 子供は力を合わせ大人から奪ってでも生きるべき。

 ここに放り込まれる大人に先はないが、子供には先がある。


 いやあ惚れ惚れするほど過激だな。

 こんなこと話し合ってると穴倉の大人に知れた日にゃ、私刑で嬲り殺しに合うんじゃないかね。

 上の人間を殺した連中がどうなるのかは推して知るべしだが。


 なに、この世界の子供はこんなんが普通なの?

 俺の記録にはねえぞ。あの子供だって、身内からは賢いって評判だったくらいだ。


 早熟であるのは頷ける。なんせ仮成人が10歳で、成人が15歳だ。

 10歳まで生き延びられれば、ここから出すという話も放り込まれる時にされた。

 その10歳と認めるのが、上の人間の一存ってのが笑えないが。


 それはさておき、俺はこの話、大いにアリだと思う。

 子供たちにとっても、俺自身にとっても。


 果物くんの言った、ここに放り込まれる大人に先はない、というのは事実その通りなのだ。彼らにはここから出る条件が提示されていない。

 そもそもここに放り込まれる大人は、怪我によって身体的ハンデを負ったものや、年老いたものが殆どだ。

 人権も福祉もない世界で、生産性のない人間を生かしておく理由は乏しい。

 子供をここに放り込むのも同じような理由だろう。使えないから捨てる。使えそうなら拾う。その指標が10歳なのだろう。


 子供たちにとって得なのは言わずもがな。

 俺にとっては、今のままでは遠からず印なしであることが露見するだろうという危惧からだ。

 子供たちの食糧の争奪は、時に取っ組み合いの乱闘になる。

 服がめくれることもあれば、破れることだってある。

 今日まで気づかれずにいられたのは、ただ運が良かっただけだ。


 子供たちが徒党を組み、大人から奪うように動くようになれば、俺はその影に隠れて子供たちを囮に、おこぼれに預かることもできるだろう。

 大人とぶつかることもあるだろうが、現状に比べれば大きくリスクを減らせる。


 そんな俺の見積もりとは裏腹に、子供たちの反応はあまりにも鈍い。

 奪い合っている相手と協力しろというのもそうだが、先というのが子供たちには想像できないのかもしれない。

 果物くんが言葉を尽くして説明しても、それがどのような結果をもたらすのか、理解できないでいるようだった。

 食べ物欲しさに賛同を示す子供もいたが、果物くんが少し追求するだけで本音を漏らした。


 悔しげな果物くん。

 だがこれは当然と言えば当然のことなのだ。

 俺もそうだったわけだが、果物くんも忘れている。

 穴倉に居るのは、10にも満たぬ子供なのである。己が想像できる範囲を、この子供たちに求めるのは酷というもの。


 だが手放すには惜しい。


 果物くんの持ってきた話もそうだが、果物くん自身を、だ。

 果物くんは、言わば俺に与えられた機会だ。それもおそらく最初にして最後の。

 ならば、動くしかないのだろう。


 目立ちたくはなかった。

 この状況を打開するのに、札付きであるという事実が邪魔をするかもしれない。

 俺がひとり大きな負債を抱えて終わる。

 博打は好きではないのに、この世界に来てからというもの、そんな選択肢しか与えられない。


「僕でも、それに加わるのは許されるのかな」


「お前、俺の話をちゃんと分かって言ってるのか?」


「うん」


「最初に半分やるって言ったけどな、お前だけが話を聞いてたって、お前には1個もやらないぞ?」


「……は?」


「は?」


「い」


「お前、闇月の徒だろ。黒月の徒の俺の言葉に従って、恥ずかしくないの。というか、俺はお前がどうなろうと構わないんだけど。助ける気もないし。それでも話に乗りたいって?」


 煽るねえ。本心からって感じはまったくしないが。

 ここはいいから黙って頷いとけアピールがすごい。


 それでも他の子供たちには、闇月を見下している風に見えるのだろうか。

 まあそうだな。俺がもし正真正銘の子供だったら、後先考えず反発しそう。

 その辺りまだ拙い。これだと釣れそうな魚も逃してしまう。

 闇月だからラインを引き上げてるのかもしれないが。


 というか気づいてるのかね。話に加えるってのは、助けるってことなんだが。

 ちょっと突いてみるか。


「許して、もらえるなら」


「……お前、おもしろいな。名前は」


 果物くんは少し思案した後、はっとした風に呟いた。

 これは気づいてなかったな。ラクハサの足下にも及ばん。

 あれを比較に出すと、してやられた自分が一層惨めに感じるな……。


 ちょっと遊び過ぎたかもしれない。使えるかも、くらいの認識は好ましいが、それ以上の関心は困る。


「ヤトイ」


 用意していた名を答える。


「名前はだめだな。なんか聞いたことのある名だ」


 さいですか。それっぽい名前を拝借しましたからね。


「ま、そこまで言うなら、仕方ねーから仲間になるのを許してやる」


 大上段で申しおる。

 まあ俺は構わんよ、その扱いで。

 できることなら、名実ともにそうあってほしいと願うね。


「他にはいないか? 悪い話じゃないと思うぞ。なんたって、闇月の札付きを従えたオレの話に乗るんだ」


 ダシにしやがった。強かだな。

 ただその論法だと、理解してない奴らも寄ってくるぞ。


 ん、俺が理解してるからそれで十分だと考えてる?

 外堀を固めるのを俺が必死になってやるってか。いや立場が立場だけに拒否はできないが、だとしたらいい性格してんな。


 まあそれでも、集まったのは俺を含めてたった3人だったわけだが。


 袋の果物は、最後にこの場に集まった子供たち全員に配られた。

 それが賢いやり方だろう。本気でさっき話した考えを実行に移すなら、いずれこいつらの手も借りることになる。

 問題を余計に抱え込む羽目になった気がするが、それでもこの子供との出会いは、俺にとっての千載一遇の機会に違いない。


 あとは、どう立ち回るかだが。

 その前に、こいつの次の手を聞き出しておいた方がよかろう。

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