16話 白から黒へ

 僕は、VRの世界から戻ると、髪の毛を医療用ベッドに乾かしてもらい、起き上がる。


 前回の帰還時と異なるのは、空腹感だった。 歓迎会であれだけ食べたのだ。 今日の夕飯はいらないな。 そう思った。


 僕は、全裸のまま、クローゼットの前まで行き、室内用の病院着を身に着けた。


 そこまでの歩みは、『DFA』での軽快な足取りではなく、いつもと同じノロノロだった。 足がしびれており、タイルの冷たい刺激を感じると敏感に反応する部分と、全くなにも感じない部分がごちゃまぜ。 自分の意志で、はたして動いているのだろうか、他人の足なのではないか、という違和感が常につきまとっていた。



「現実世界の天魔くんは、生きてるでしょ?」 あの人のかけてくれた言葉。 そう、僕は生きている。 まずは、そのことを伝えなくちゃ。 現実世界の僕の周りの住人に。


 僕は、『DFA』で、凛とした雰囲気と少女のようなあどけなさを併せ持つ女性のことを思い出し、決意を新たにするのだった。


 *****


「先生は、すでにお休みになっていると思います。 急ぎの用ですか?」 ドアに取り付けられている電子パネルから、事務的な、しかし、どこかで小馬鹿にしているような女性の声が返ってきた。


 リハビリの先生につないでくれるようにお願いした結果が、これだった。


 わかっている、日勤の医師であれば、普通、自分の家に帰り休んでいる。 明日の激務に備えて。 非常識なお願いであることは、百も承知だった。 そして、電子パネルの職員が、こういう態度で僕に接するであろうことも。


 我ながら、こちらの世界の人間関係は、最低だと思う。 医師や病院スタッフで自ら進んで僕にかかわろうとする人間なんていない。 当事者の僕が、そう断言できるほどに。



 リハビリを担当していた先生は、初めのほうこそ、リハビリを懸命に勧めてきたが、うんともすんともいわず、VRの世界にただただ没頭する僕を見て、次第に距離を置いて行った。


 僕の状況を最初に説明した医師とは違い、唯一、僕の味方になってくれたかもしれない人だったのに、僕から関係を途絶した。 なっちゃんを傷つけた時に選択しようとしていたことを僕は、以前に行っていたのだ。


 もし、僕が人生をやり直せるなら、1番目は、僕が冷凍睡眠をする羽目になった事件の前、そして、2番目は、リハビリの先生が、僕に初めて話しかけてくれたあの日を選ぶ。


『DFA』で少しの経験を積んだ今だからこそ、思えたことだけど、とても虫のいい話だよね。



「わかってます。 非常識なこと。 僕でも、それぐらいはわかってるんですよ……」


 職員が先生に確認をとったところで、寝ている可能性が高い、そして、万が一、起きていても、僕の要望に応える可能性が極めて低いこと。


「運命のサイコロ」の力を借りようかとも思った。 現実世界になぜか存在していたアイテムだ。 金銭がかかわっていない内容であれば、100%、僕に有利な状況を作り出すことができる。


 でも、それはやめた。 なぜだかわからない、でも、ここで力を借りるのは、違うと思ったんだ。



 僕は、強く唇をかんだ。 あの時のことを思い出せ。 彼の名前。 僕の、今の僕の記憶。 3年前の……



 そして、思い出した。 彼の苗字、そして、あの時のことを。


 何を聞いても、自分のことと思えず、現実を見ることをやめよう、僕の人生をあきらめようとしていた時の記憶……



「わかっているなら、いいですね。 切りますよ? もう遅いので、明日の朝にもう一度、連絡してください」 そう、職員の女性は、僕に告げた。



 久しぶりに僕とかかわったから、忘れたのかい? ボクが、ミスターなんて、君たちに呼ばれているか。 「情緒不安定」っていうのは、突然、大きな声を出すからだよね。 こんな風に……



「医療冷凍睡眠子女(スリープオーバーチャイルド)の要望は、可能な限り、叶えるべし! あなたはね、「田村先生」に確認をとればいいんですよ。 『病院のお荷物』が、先生を名指しでご指名ですよ? どうしますか? ってね!」


 この女性の声は覚えている。 ボクのことを『病院のお荷物』と呼んでいた30代後半の女性。 深夜帯の勤務だから、旦那が仕事を変えろってうるさいんだよね、確か。 それとも、旦那さんは、転職させることをあきらめたのかな?


「ひっ!?」 とパネルの向こうから聞こえた後、「わかりました……」 と続き、一度、パネルの照明が消える。


「ふぅー」 大きくため息をつくボク。 少し頭がズキズキしたけど、一つ目の関門は突破したはずだ。


 ボクは、現在までに26件しかない、冷凍睡眠から蘇生に成功した15番目のモルモットなんだ。 生きているうちにいろいろと実験をしたいだろ? なら、ご機嫌、取らなくちゃね。


 *****


「天魔くん、どうしたんだい。 こんな時間に」


 パネルが再度、光を放ち、僕の記憶と寸分だがわぬ、いや、少し記憶の声より疲れているかな? 男性の声が聞こえてきた。



「田村先生、前の、君がリハビリを行う気になったら、僕はいつでも協力するよって約束、今でも有効ですか?」 頭痛がさらにひどくなる。 でも、かまうもんか。


 一瞬の間。 そして……


「君は、あの時のことを覚えているのかい?」と聞いてくる。 ほら、食いついた。


「覚えてますよ。 誰でしたっけ、黒い眼鏡をかけた男の先生……黒……「黒崎先生」でしたよね、確か。 あの人がいったとおりですよ。 ボクは、目覚めた後の記憶を、多分、全部、思い出せます。 頭は割れるように痛いですけどね……」


「黒崎先生」は、一度記憶した領域に蘇生後の記憶が再保存された場合、好きな時にその記憶を思い出すことができるはずだ、といっていた。 だから、僕の実験に協力してくれと、とも。


 協力する気は、サラサラない。 なぜなら、今、思い出せるのは、目の前の「田村先生」がかかわっていた時の記憶だけだから。 ハッタリって、こうすればいいのかな、「さすらいの賭博師(ギャンブラー)さん」



「わかった。 今からそちらに向かうよ。 待てそうかい?」 田村先生がそう答えたのを聞いて、ボクは、第二関門も突破したことを自覚した。


 *****


 以下に、事実を端的に記載しよう。


 先生がボクの病室を訪れたのは、およそ30分後。 待ってる間、ボクは、「歩くこと」をひたすら続けていた。


 先生には、遅い時間に呼び出したこと、記憶の再現については、条件が限定されること、騙したことを謝罪。 最後にこう締めくくった。


「田村先生が、あの時の約束を覚えていてくれて、うれしい」と。



 効果は抜群で、彼は、ボクの心境に変化が起きたことを、大いによろこび、早急にボクのリハビリ用スケジュールを組んでくれるとのことだった。 明日にはリハビリを開始できる、と。


 スケジュールには、『DFA』でのプレイ時間の確保を盛り込んでもらえるようお願いし、快諾をもらう。


 ボクを変えるきっかけを与えてくれた人たちがおり、その関係を最優先にしたいといった成果だろう。


 最後に、病室のドアまで先生を見送った。


 *****


 まずは、味方を増やす。 そのためには、なんでもしよう。


 病室のドアの前に立つボクの体は、プルプルと震えていた。

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