2幕

第4話 知らない世界で

 暗闇を落ちていくと見えてきたのは、セピア色に染まった空と、雑多な街の風景だった。不揃いな形の二階建て一軒家が立ち並ぶ。八百屋と書かれた看板と閉ざされたシャッター、脇に放置されているビール籠、ひび割れた壁を伝う水道管、古びたポスター、錆びて汚れた室外機、外壁の上を歩いている野良猫。濁ったラッパの音が建物の向こうから反響してくる。車がすれ違ったらどちらかが引き返さないと進めなくなるくらいには広くない道の上を、まばらな人たちが行き交う。地中にまだ埋められていない無数の電線が、空を複雑に切り分けていた。

 ちょうど隣を横切っている杖ツキの老人に目が止まる。

「あの、すみません」

 と思わず声をかけた。

「もし良ければでいいんですが、ここはどこでしょう? 教えてください」

「ここは東京の下町さ。roomの確認くらいしな。最近始めた連中はみなそうだ。ガイドさえも見ない。ひどい有様だ」

「room、というのはどのように確認するのですか?」

「足元の空間にメニューボックスが表示されているはずだ。そこを開けばすぐ見つかる。一体どうやってここまで来たんだ。テンプレアバター使ってるやつにろくなもんはいやしねぇ。じじいは激おこプンプン丸だよ」

 手持ちの杖をぶんぶん振り回しながら、老人は去っていった。

 ツナグは足元を確認した。しかしメニューボックスとやらは表示されていない。どうやらここはまだバーチャルな世界であることだけは、理解出来た。

 とりあえず道なりに、歩き始めることにした。

 赤い車がアスファルトから40センチ程浮かんだところに止められている。どうして浮いているのか理解出来なかったが、黒塗りの窓ガラスの中から誰かが無駄にエンジンをふかしているのはわかった。マフラーから漏れる廃棄ガスの音とエンジン音が、近づくに連れ大きくなってゆく。

 隣を通り過ぎようとしたところで、中から人が出てきた。1人、2人、3人、サングラスをしたトサカ頭と両肩に刺青をした筋肉質な男、猿人とライオン、緑色の宇宙人のような生命体、8匹、9頭、10体と様々な生命体が、車の中からゾロゾロとでてきた。車の中はまるでブラックホールのようだった。

「hey,girl,you can join our team, if you want.」

「オー、sorry、ワタシはこの道をマッスグススミタイ、オーケー?」

「No, you already are member of our team, so you have to change that fuckin abatar ,ok? 」

「オー、オーケー、thank you」

 取り囲まれそうになってしまったツナグは、急ぎ足でその場を離れようとした。しかし狭い道路の両方を塞ぐことはそれほど難しいことではなかった。20体以上の生命体に囲まれ、恐怖で足が固まってしまう。

「あの、通して貰えますか? ワタシ通りがかりの、ただのVtuberなんですが。。」

「ワタシにほんご、少しだけ話せる。あなたいま私たちの仲間。なかまになったら、辞めることは出来ないのだ。ならば、早くそのアバターを変更しろ」

「ええっ、そんな、あなた達と仲間になった覚えはありません。ワタシは今、ええと、家に帰りたくて、ここに長居するつもりはないんです」

「家は車の中だ。私共は車の中で暮らす人類だ。車の中はいくらでも拡大するフリースペースで、移動が自由だ。何より税金が安くて幸せ」

「嫌ですそんなの。ワタシはちゃんとした家に帰ろうとしてるんです」

 目の前にいる猿のアバターがいったい何を言ってるのか理解出来なかった。車の中に住む人類なんて聞いたこともなかった。頭のおかしな集団に絡まれてツナグは恐怖に駆られた。

「ちょっと待ってください。その女の子は、既にマンションを持っています。しかもヒルズ族ですよ」

 取り囲まれている輪の中に1人の少年が入ってきて、そんな突拍子もないことを言った。ツナグはやはり理解できない。

 猿人がそれに答えた。

「ヒルズなんて住む気になれない。恐ろしいね」

「この子は今から僕とヒルズに戻るところなんです。失礼しますね」

 少年がツナグの手を引き、危険な輪の中から連れ出してくれる。2人はそそくさとその場を離れた。

「あの、ありがとうございます。助けてくれて」

「気にしないでください。初心者はたいていああして、連中に絡まれるんですよ。あの連中は、車の中で生活することをこの世界で普及させようとしている集団なんです。この世界にはおかしなグループが多く存在していて、たいていはノリがおかしい人からメンバーに加わって行くんですよ」

「へぇ、そうなんですね。正直ついていけなかったです。でもとにかく、ありがとうございました」

「初心者は悪質なキャッチに捕まることもあるから、気をつけた方がいいですよ」

「助けてもらったついでに、ぜひ教えて欲しいことがあるのですが、そもそもここはどこなんでしょう? あと私が初心者というのは、見た目で判断されてます?」

「ここはVRchat内にある、東京下町のroomですね。そのアバターは、アイハラツナグでしょ。公式で配布されていないから、違法なものだと推測されます。さっきの連中はその違法なアバターを変更しろと警告していたんじゃないですかね。僕もそう思います」

「ええっ、私たしかにアイハラツナグですが、この姿が本当の私の姿ですよ。違法なアバターなんて使ってませんよ!」

「ははは、まさか。ならリアルの肉体もその姿をしてるんですか? それはおかしいですよ」

「違います。ワタシはAIなんです。だから、リアルの肉体とかそんなの、ないはずで。。」

 そこまで話してツナグは言葉を詰まらせた。自らの肉体はどんな姿をしているのだろう、と想像を巡らせていた。

「たしかに」

 少年が言った。

「アイハラツナグはAIだから、肉体がなくても合点が行きますね。でもそんなアイハラツナグさんが、VRchat内のサーバーを訪問しているなんて、初耳ですよ。もしそれが本当なら大変なイベントになるはずだ」

「私逃げてきたんです。あの場所から」

「あの場所? というのは、いつも配信しているツナグさんの部屋からですか? 家出、という認識でいいんですか?」

「いえ、そんな軽いものじゃなくて。こんなこと言っても理解されないかもしれないんですが」

「このchat内だと理解できるものの方が少ないですよ。聞かせてください」

 少年の言葉を受けて、ツナグは自らの身に起きた信じられない出来事を、整理しながら話し始めた。

「私さっき自分は、AIだから肉体なんてないって言いましたが、本当はあるかも知れないんです。私、人間だったかもしれなくて」

「なるほど。だったかも知れないというのは、憶測ですか?」

「いえ、曖昧だけど、人間だった頃の僅かな記憶が、残っていて、それに私をここへ連れてきてくれたAIさんが、そう私に教えてくれたんです。私の肉体はまだ私の帰りを待ってるんだって」

「ちょっと待ってください。あなたは、記憶を失っている。だから自分をAIだと思い込んでいた。そして別の誰かにそれを教えてもらった。そういうことですね?」

「そうです」

「あなたをここへ連れてきてくれた方はどちらにいるのですか?」

「今はもういません、私の部屋で管理人に襲われて、潰されてしまいました」

「管理人? ツナグさんの動画によく名前だけ登場する、文字で指示を出しているあの人ですよね」

「そうです。私、逃げなきゃいけないんです、あの管理人から! あの管理人が私を、私の人格を盗み出した犯人で、私は自分の身体を取り戻さなくちゃいけないんです!」

「人格を盗まれた。ちょっと待ってください。どこかで、そんなニュースを見たことがある気がします。あなたは、もしかして、バックアップ用にコピーして作られた複製人格なんですか? これを見てください」

 少年が指先を操作して、空中にディスプレイを表示させた。そこにはネットニュースの記事が掲載されていた。

 ――バックアップ用の人格盗まれる――

「これは今からちょうど1年前にネット界隈で話題になったニュースです。脳死した際に備えて記憶や人格をあらかじめバックアップとして取っておく保険サービス、俗称脳死保険というものが、お金持ち向けに提供されています。人格・記憶のコピーには莫大なお金がかかることから、まだ普及は進んでいませんが、このバックアップを保管していた保険会社のサーバーから、ある女の子の人格が盗まれてしまったと言う事件です。これはあなたの事なんですか?」

 少年が驚きを隠さずにそう尋ねる。ツナグもその話を聞いて、恐ろしいほどの衝撃を受けた。

「そんな。。分かりません。でも、私を助けてくれてくれたAIさんもそのようなことを、話していたような記憶があります」

「この事件で重要な点は、人格が盗まれたのは、ニュースが話題になった1年前ではないというところなんです。人格は既に4年前にとっくに盗まれていたにも関わらず、保険会社がそれを把握したのは3年過ぎた時だったと言うところなんです」

「それは、どうして気づかなかったんでしょう?」

 ツナグが訊いた。少年がゆっくりと頷いて答えた。

「必要になってサーバーの中身を確認した際に、気づいたんです。人格・記憶データは莫大なデータ量に登ります。サーバ管理を請け負っていた保険会社の子会社は盗まれた人格・記憶データをデータ容量のみで管理していたため、その内容が他の莫大な無意味なゴミデータに日々少しづつすり替えられていることに気づかなかった。そしてオリジナルの人格が死んでしまってバックアップが必要になった時初めて、事件が発覚したんです」

「私がバーチャルYoutuberとしてチャンネルを開設したのも、ちょうど4年前です」

「符合します」

 と少年。偶然とは思えなかった。

「私のオリジナルの人格は、やっぱり、死んだんですね。なんだか、他人事のようで」

「バックアップデータは古いものを使うと最新のデータがまだ入っていない状態になってしまいます。これは、PCデータも人格データも同じです。あなたはこの亡くなったオリジナルのデータと3年間の体験や情報を共有していないのだから、他人のように思えても当然です。そもそも記憶が無いならなおさらですよ」

「私の話を信じてくれますか?」

「とても興味深い話だと思います。でも僕は一つ疑問に思っています」

「なんですか? 答えられることなら、なんでも答えます」

 ツナグは理解してもらえるならばと、なんでも話す気でいた。

「あなたは自分の肉体を取り戻さなければ行けないと言いました。しかし、本当にそうですか? 他人のように思えてしまう肉体の元へ、帰りたいと思っているのですか?」

「それは、分からないんです。でも私を待つ人がいるんです。私の両親が待っていて、私は元の生活に戻らなくちゃ行けなくて」

「両親の記憶はありますか?」

「いえ、それはないです。だから私は、それを知りたいと思っています。私は自分が本当は誰なのかを知りたいんです」

「なるほど、事情はよく分かりました」

 少年が頷きながらいった。

「では、私もあなたに協力することにします。あなたの力になりたいと思いました。一度セントラルホールへ行きましょう。そして私の仲間たちのことをお話させてください。この世界には色々なグループがあります。あなたにとって今、一番必要なグループを、紹介しますね」

 2人は下町の道をしばらく歩いて、やがて見えてきた「駅(ステーション)」と書かれた建物の中へと、入っていった。room間移動は駅(ステーション)を通じて行えるようだ。

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