独善/2

「天音美星の殺害について、今日は話せるかね」


 神妙な面持ちで久城に声を掛けたのは、裁判長であった。


「はい」


 その返事を聞いた裁判長は、初老の検事を見て頷く。


「久城真治。天音美星をどのように殺害したか、もう一度説明しなさい」


 久城は大きく、とても大きく息を吸い込むと、それをゆっくりと吐き出し説明を始める。


「二〇一八年六月十五日に、私は天音病院の三階の病室……三〇三号室に向かいました。深夜零時を回る前だったはずです」

「どうやって天音病院に? 天音病院は二十三時を過ぎた時点で正面玄関は施錠され、職員入り口もパスワードを入力しなければ侵入できないはずだ」


 久城は目を伏せると、悲しそうに微笑んだ。


「パスワードが、変わっていなかったんです。何回も何回も……一ヵ月毎に変えるようにと言ったのに」


 AMANE0304。


 いつもの天音病院のパスワードだった。


「そして私は彼女の病室、三〇三号室に着きました。彼女は驚いたように目を大きくしましたが、すぐに笑いかけたのです。『遅かったですね』と」

「待ちなさい。ナースステーションに看護師がいるはずです。見つからずに来れるとでも? 天音美星の病室に行くには、階段であれエレベータであれ、必ずナースステーションの前を通るはずだ」

「零時前。看護師は各階に二人置かれます。その時間は、一人は奥の仮眠室に、一人は見回りをしています。見回りは約十五分で終わります。その間は完全に無人になるのです」


 検事の質問に淀みなく久城は答え、更に続けた。


「美星には生命維持装置が複数取り付けられていました。どれも異常を感知すればナースステーションに知らせる仕組みとなります。それは特殊なケーブルで接続されていますが、変換機を噛ませることで通常のPCを経由し管理することもできます。仕事柄そういった変換機や管理ソフトは会社にもあり、私は私用のノートPCに事前に使えるようにしておりました」


 久城はごくりと生唾を飲んで、一つ咳払いをして。


「ケーブルを何もせずに維持装置から外すとアラートが鳴ってしまいますが、特定の順序でボタンを押すことでメンテモードに切り替えられます。そのタイミングでしたら、ケーブルが抜けても三秒間はエラーを送信しません。記録には残りますが、それはノートPCより削除が可能でしたので消しました。ですので、現在天音病院の機器を調べたところで、メンテモードの記録は出てきません」


 彼はしきりに唇を舐めながら、何度も鼻を啜っていた。


 瞳には涙が溜まっていたが、彼は決してそれを溢さず話を続ける。


「全ての機器で、それを行いました。三台だったはずです。そして私と美星は、一緒にテレビアニメを観ました。五月前に約束していたのです、一緒に観ようと。二話観ました。時間としては一時間が経たないぐらいです。彼女の瞳には既に色は戻らず……全色盲となっていたようです」

「何故テレビアニメを観たのですか」


 久城は具合が悪そうに口元を手で押さえたが、目を閉じ大きく深呼吸した。


「記録を残す必要がありました。彼女の生命維持装置の記録です。その一時間足らずの時間で取った、各機器の記録をループさせるつもりでしたから」


 ごくりと、生唾を飲んで。


「そして丁度一時間でしょうか。準備が整った後、私は彼女に聞いたのです。『これから君を殺す、それでもいいか』と」


 傍聴席からは、彼の供述に涙を流す者が何人かいた。


「彼女はあの氷の花の笑みを浮かべて、こう答えました。『貴方になら、殺されてもいい』と。『殺してください』と。『貴方に殺して欲しい』と。たった十六歳の少女は、私にそう言ったのです。だから、殺しました」


 久城は天を仰いだ。涙を流さぬように彼は涙を何とか飲み込みながらも、話を続ける。


「何度も確認しました。後悔しないか、死んでも何も残らないぞ、生きていれば何か良いことがある、と。何度も、です。ですが、彼女は……『殺してください』と答えたのです。だから私は、まず彼女に睡眠薬を飲ませたのです。それは彼女が夜眠れない時によく飲むものです。そして十分後、彼女は静かに……あまりにも儚い寝息を立て始めました」


 そこで久城は、話を止め自分の下唇をぎゅっと、噛んだ。唇からは血が流れ、彼の顎を辿り、地面へと落ちていく。しかし彼はそれを拭おうとしなかった。まるで涙の代わりに血を流すのだと言わんばかりの、気迫があった。


「一つ一つ、生命維持装置を外しました。三つの機器全てを外し終わって、三十分……です。彼女は一瞬だけ体を苦しそうに息を吐いて、二度と……二度と動かなくなりました」


 ここでようやく久城は自分の血を右手で拭い、裁判長を真っ直ぐに見つめ。


「それが、彼女を殺した全てです」


 しん、と場が静まり返る中、一人の裁判官が声を掛けた。


「後悔、していませんか」

「何を、後悔……すれば、いいですか……?」


 上擦る声で、久城は逆に問いかけた。


「後悔、していないのですか?」


 裁判官は眉間に皺を寄せ、彼を責める形で言い直すが。


「だから、何を後悔すれ、ば……いいのですか? 彼女と出会ったことをですか? 彼女と笑い合ったことをですか? 彼女と出掛けたこと、彼女のことを夜に考えたこと、彼女に生きて欲しいと思ったこと、彼女を、彼女をこの手で殺めたこと……どれを、後悔すれば、いいですか? 多すぎるんです、私には」

「……質問に答えくださらなくて結構です」


 裁判官は彼が何を言いたいかを理解し、質問を打ち切った。


「私が彼女を殺したのは独善です。どうか私に、死刑よりも重い刑をください。殺される権利をください。残酷に、殺される権利を、私は望みます」


 久城真治は、それでも涙を流さずにそう言った。


 裁判官のほとんどが、彼の言葉に涙を流していた。それは彼を責め立てた初老の検事も同じだったが、それでも彼はまだ彼に質問を投げる。


「わかりました。刑はまだ、ここでは言えません。久城真治、君はまだもう一つ犯罪を起こしている。何故……天音美星を殺害した日に……あのようなサイバーテロを起こさず、二か月も空けたのか答えなさい」


 久城は鼻を啜り、答えた。


「天音病院のシステム開発の納期が、その日でした。私は美星を殺害した日、タイミングを見計らって抜け出し、のうのうと二か月も、仕事をしたのです。罪に問われるのを恐れたわけではありません。ただ……彼女と、天音美星と出会わせてくれたを全うしようと、思ったからです。彼女は私を、魔法使いだと、言ってくていたから。ただ、パソコンが他の人より詳しいだけだったのに、彼女は……」

「それでも何故、あそこまで大規模に」

「私は日本電信電話株式会社の仕事も行っていた手前、日本全国のネットワークを使えると、ふと思い立ったのです。そしてここまで大規模にしたのは……です」

「どういう、ことですか?」


 彼は涙は乾きかけており、幾分落ち着いた様子でまた話を続けた。


「彼女の死を、日本中に知って欲しかった。そして、日本のサイバーセキュリティの脆さを、思い知らせたかった。言葉を選ばず、言わせてもらいます」


 大きく一度、息を吸って。


「ざまぁまみろ!! 一人の女の子も救えないこんな国なんて、滅びてしまえ! 天音美星を救えない国なんて、私には無価値なんだ!」


 彼は大声を張り上げ、国を罵倒した。


 法廷が彼の発言にざわつく。裁判長は「静粛に!」と何度も注意を促すが、それでも今までの彼の供述とはまた違う雰囲気に、誰もが驚きを隠せなかったのだ。


「私はさっきの四つのスーパーコンピューターを、で使いたかった! それだというのに……それだというのに! 誰も、美星のことを……助けて、くれなかった……」


 すかさず、初老の検事が追及する。


「どういうことか答えなさい」

「……」

「久城真治、答えなさい!!」

「……」


 久城真治は閉口し、検事がどれだけ問いかけても、答えはしなかった。

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