夢の中で/5-2

 川嶋からの有難い説教は定時を過ぎても続き、私が会社を出る時には二十一時を回ってしまっていた。


 業務中に来たあの電話……二十二時、天音病院の喫煙所。


 その時間に間に合わせるには、非常にタイトな時間帯だった。


「……タクシーの方がいいか」


 どうせ父のベンツを売り払った金もあるし、実家を不動産に預けたので今後家賃収入も得られるのだ。少しぐらい使っても問題なかろう。


 私は駅前で適当にタクシーを捕まえ、〝高速を使ってもいいので時間に間に合うように〟と念押しして乗り込んだ。


 捕まえたタクシーの運転手がベテランだったのか、私は時間に遅れることもなく天音病院に到着した。


 運賃はそれなりにしたものの、ベンツ代よりは安いと思い気にしないようにした。


 夜の病院というのは独特の不気味さがあったが、一ヵ月近く通っていたこともあり、不気味さよりも懐かしさが私の胸にはある。


 喫煙所はこの病院では院外にある一か所しかないため、迷うことはなかった。そしてそこには、見慣れた車椅子に座る少女と看護師の姿があった。


「美星……宮前看護師長?」


 驚きの余り、声が漏れていた。


 それは彼女らの耳に届いたらしく、すぐに私に振り向いてくれた。


「久城……さん!」


 車椅子のタイヤに慌てて手をかけた彼女は、思わず車椅子から転げ落ちた。


「美星!」


 私は彼女に駆け寄りすぐに抱え上げようとし、彼女は彼女で私に這って寄ってくる。


 すぐに私と美星の距離は縮まり、互いに抱き締め合った。


「良かった、会えて!」


 私がそう言うと、美星はわぁっと声を上げて泣き出した。


「何で、何で会いに来てくれなかったんですか!?」


 美星のそんな言葉に、私は宮前看護師長を見た。


 宮前看護師長は右手で左腕を握りながら、苦しそうに目を伏せる。


「どういうことですか、宮前看護師長」


 わんわんと泣き続ける美星を腕に抱きつつ、私は彼女に問いかけると。


「天音院長の指示がありまして。と」

「なんでそんなこと!?」

「……それを私の口から言うには……残酷すぎます」

「納得できません」


 変わらず涙を流す美星を私は抱え、車椅子に座らせる。その際に美星の顔をよりはっきりと見たのだが、その時に私は気付いてしまった。


「……っ!」

「……わかってくれましたか」


 私が何も言わずとも、表情の変化だけで宮前看護師長は心情を読み取ったようだ。


 そう……彼女の顔には、はっきりとが浮かんでいた。


 私の父と、私の母。両者が死ぬときにはっきりと見えたものと同じ、死ぬ間際の人間が浮かべる……あの顔だ。


「何が……一体」

「あの日が、分かれ目だったんです。貴方が何かしたとか、ではありません。けれどただ、そうだったという、それだけです」


 言葉を濁す宮前看護師長。


 しかしそれでも、私にははっきりとした意味はわかる。


 彼女はもう間もなくして、本当に、


「どうにも、ならないのですか?」

「なりませんね。院長もあらゆる手を尽くしてくれましたが、美星ちゃんは多くの合併症を引き起こしていますから……」


 美星を見ると、目を真っ赤にして私を見ている。


 私はまた美星を抱き締めた。


「いいんです、久城さん。私、また貴方に会えただけで、満足ですから」

「何を言っているんだ君は……だって、旅をしたいんだろう? 君はそう言ったじゃないか?」

「いいんです、もう……」


 彼女は自ら私の腕の中から離れると、今まで私の背に回していた両手を、私の両頬に当てた。


「久城さんに会えたんですから……」


 両目に涙を浮かべつつ、彼女は氷の花の笑みを浮かべた。


「最後に会えて……本当によか……」

「最後じゃない!!」


 再三、美星を抱き締める。


「最後なわけ、ないだろう……! 君は世界中の空を見るために旅に出るんだろう? 私もそれに付いていくんだ! ここが最後なわけ、ないじゃないか!」

「無理……なんです。だから、お願いです、久城さん」


 美星は続きを話すのに、たっぷりと時間を掛けた。


 しかし、何故そこまで時間を掛けたのかは、その言葉を聞いてわかった。


「お願いです、私を殺してください」


 美星の口から出た言葉に、宮前看護師長は思わず口元を手で覆った。


「何を……君は言って……」

「私のせいで、。私の家族は、死んだんです。なんですよ、久城さん。、みんな死んだんです」


 私へと言い聞かせるように彼女は、だと言った。家族が死んだのは自分のせいなのだ……と。


「馬鹿なことを言うなって、前にも……!」


 あぁ、くそ。


 思い出してしまった。


「ねぇ、久城さん。前に久城さんは、言ってくれました。そして……約束もしてくれました」


――……もしもそんなことを言う奴がいるなら、例え誰であろうと私が……。


 そうだね、言ったよ。 家族の死を、天音美星のせいにする者がいるのなら。


――私が……


 と。


――もう一つ、約束してくれませんか。


 そして彼女は確かめるように。


――今言ったこと……絶対に、破らないでくださいね。


 そう……言ったんだ。


 私が殺す。


 誰であろうと殺す、と確かに言って、彼女と約束をした。


「だから久城さん、私を殺してください」

「それは……詭弁だ。私は君を殺すなんて……できな」

「殺してください」


 美星は私の腕の中で首を振りつつ。


「このまま病気で死ぬなんて、嫌なんです。貴方が、私を殺してください」


 叶えられない。私に彼女のその願いは、叶えることはできない。


「無理だ、美星。私は君を殺せないよ」

「久城さんは……魔法使いじゃないですか……」


 ぎゅっと、私の背中に回っている彼女の手に力が入る。


「私のを叶えてください……お願い、ですか、らぁ……!」


 のように、また彼女はまた懇願する。


 あの時はそう……と彼女は望んでいた。


 辛い思いをしたくない、死んで楽になってしまいたい……と。


「すま……」


 結局私は何もできない。そう……諦めそうになったときだった。


 一縷の希望が、私の胸に芽生えた。


「……美星」


 今度は私から彼女を腕から解放して、向かい合う。


 美星は血の気のない顔に目を真っ赤にしながら、それでも私をしっかりと見つめてくれた。


「この国全てを敵にしてでも、私は君の願いを叶える」


 月並みな言葉だったが、今私が出来ることを考えるとそれは適当であった。


「嘘、吐かないで……」


 しかし美星は、その言葉に明らかな嫌悪を表す。


「出来もしないことを口にしないでください……今、私を慰めるためだけに、そんなこと、言わないで……そんな久城さん、嫌い、です……」


 今まで散々……を言われてきたのだろうと、私には容易く予想できた。きっと、「必ず治す」だとか「貴女の気持ちはわかる」だとか、そういった類だろう。だからこそ私は、言い切ってあげないといけない。


「いいや、本当だ。絶対だ。私は君に嘘など吐かない、無責任に出来もしないことなんて口にしない」


 彼女の冷えきった手を握り、私は続けて言った。


「だって、この国全部を敵に回さないと、君の願いを叶えられないんだから。私はそれが出来る。君も言ったじゃないか。私のことを使だって」


 僅かに震えるその手を、私はもっと強く握った。彼女は涙を浮かべながら、口を噤んでいた。


「信じられないかい?」


 彼女に問いかけると、彼女は口を開き、唇を震わせながら絞り出すように言葉を発した。


「ずるいです、そんなの。私、久城さんの言ったこと、信じたくなっちゃうじゃないですか……」

「信じていい、期待していい。僕は君を裏切らない。絶対にだ」

「はい……信じ、ます……」

「ありがとう」


 彼女の頭を優しく撫でて、私は立ち上がる。


「来週には準備できる。それまで生きるんだ。死んだら僕は、君を嫌いになる」

「はい……だから、必ず叶えてください」


 必ず、叶えられる。


 それだけの自信が……私にはあった。


――これが、全てです。

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