夢の中で/4

 海へ出掛けたその翌日の午前、私が天音病院に美星の見舞いに行ったときだった。


「申し訳ございません、貴方は……貴方は美星ちゃんに会わないでください」


 宮前看護師長がいつもとは違う、緊張の混じる硬い口調。いつものような嫌味とは違う、強いの表れ。


 それを聞いて、察することができないほど私は鈍くはない。


「何が……あったんですか?」


 宮前看護師長は目線を泳がせ答えない。唇を一文字に結んで、何かを耐えるようにする彼女。


 この人に何を聞いても無駄だ。


 私は美星の病室に向かおうとしたのだが、それを防ぐように宮前看護師長は私に前に立ち塞がった。


「会わないで!」


 彼女の瞳には涙が溜まっていた。


「何があったか説明してください。説明いただければ納得します」

「駄目です!」

「……説明する気がないなら、行くだけです」


 私は彼女を強引に押し退けて進もうとしたのだが、彼女は必死に私の腕を掴む。周りの目など気にせず、あまりにもそれは必死だった。


「彼女のためにも、行かないで……!」

「……!」


 そんなことを聞いてしまっては、余計会わずにはいられない。


「どいてください!」


 思った以上に力を入れてしまい、彼女はその場に尻餅を付いた。


 普段なら私もしっかり謝るが、今はそんな状況ではない。


 三〇三。


 三〇三号室。面会謝絶の札が彼女の病室の戸に掛かっているが、それを無視して開くと。


「あ」


 が、私の頬を撫でたのだ。


 白いベッドを赤く染めている、ナニカ。


 その上で苦しそうに呻く、ナニカ。


 周りで声を荒げる、ナニカ。


「久城さん! 今は出て行ってください! 邪魔っす!!」


 肌の黒い、白い歯の男。


 誰だ、お前は誰だ?


「猪狩くん、少しぐらい乱暴でいい! 彼をここから出しなさい!」

「はい!」


 がっしりと、その誰かに体を掴まれ押されていく。


「みほ、みほ……し!?」


 ベッドの上で呻くナニカは、美星だ。


 昨日までは笑って、旅に出たいと笑っていた……天音美星だ。


「あ……あ、くし、ろ、さん?」


 口の端から、血のあぶくを垂らしながら、虚ろうその目はしかし、力を込めて私を捉える。


 ごぶぅ、と。


 粘度の高い血……血だ、血を吐きながら……彼女は私に手を伸ばした。


「た、すけ、て……」

「美星!!」


 どこにこんな力があったのだろうと、私はその時確かに思った。


 自分よりもガタイの良い男を、まるでさっきの看護師長のように押し退けて、私は彼女のベッドの脇に寄って手を握った。


「美星! 大丈夫だ! 大丈夫、大丈夫だから!」


 私が握る力よりも強く、彼女は私の手を握り返してくる。その力はとても強く、骨が折れるのではないかと、一瞬思ったほどだった。


「空が、見え、るの。雨空……ううん、狐の、嫁、入り……私だけの、あおぞ、ら」

「大丈夫!」


 けほっ、と彼女は血以外のモノも吐くと。


「ドレーン! 姿勢を変えろ! 何をしている猪狩!! 早く彼をここから出しなさい!」

「す、すみません院長!」


 さっきよりも強い力で私は体を掴まれると、少しずつ……少しずつ彼女から遠ざかっていった。


「美星……!」


 ただでさえ赤く染まったベッドをより染めている様を……私は止めることも出来ずに遠ざかる。


 どこかに連れて行かれるのだろうか。


 何故? 彼女は苦しんでいるのに。


 何故? 私と彼女は他人であるというのに。


 何故? それなのに私は、彼女が苦しんでいる様を見たくなかったんだ。


「そら……きれ、い。そら、そら……」


 彼女に手を伸ばす。 


 ナニに?


 ナニカに。


 ドコニ?


 ドコカに。


 ダレニ。


 天音美星に。


「だって、君は昨日、旅に出たいって……!」


 氷の花の笑みを浮かばせる、儚くて彼女に。

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