夢の中で/2-2
私の送別会に参加した全員が帰宅した後、天音宅に残ったのは私と宮前看護師長、そして美星だけだった。
美星と宮前看護師長は二人で先に風呂に入り、私と天音夫妻はリビングの片付けをしつつ、片手間で余った酒やらつまみやらを口に運んでいた。
「しかし、本当に夫人の手料理は美味しいですね」
余っているとは言え、ほとんどが無くなっている。どんなに酒を飲んでいても、美味しいものは箸が進んでしまうのだろう。
「そうでしょう、妻は料理が上手でしてね。私は胃袋を掴まれたんですよ」
「はは……奥様の料理に胃袋を掴まれたのならば、それは幸せなことですよ」
ほとんどを片付け終わると、天音氏と共に腰を伸ばして互いに笑い合う。
「美星は……ここにどんな時に戻られるのですか?」
私がふと問いかけると、天音氏はまた困ったように微笑んで肩を竦め、リビングのソファに腰掛けた。
「どうぞ」
「失礼します」
応接間とは違って向かい合う席もなかったため、一つ空けて隣に座った。
それに天音氏は「ははは」と短く笑って、空いている適当なグラスに、適当な酒を注いでくれた。互いに酒も回っているのだし、細かいことは気にせずに私はそれを口に運んだ。
「あのワインは宮前くんが戻られたら、で」
「ですね」
天音氏もその酒を適当なグラスに注ぐと、先程の私の質問に答えてくれた。
「ゴールデンウィークや盆休み、シルバーウィークや年末年始……病院の看護師が少し減る時期に、うちに戻すんですよ。その時期はいつも以上にあれも寂しがりですから」
あの子の性格ならそうかもしれないな。何となくだが、変化を嫌うというか……変化の中に自分がいられないことを嫌うというか、そんな感じだろう。
「宮前看護師長は?」
「彼女もよく来てくれますよ。さすがに長期休みごとに、というわけではありませんが」
「へぇ……随分と優しいじゃあないですか」
「宮前くんからしたら、久城さんは急にやってきて美星の心を奪っていった、悪い虫なんでしょうね」
「そうですか。それが冗談ではないのが痛いところです」
そこまで話して、きゃっきゃっとした明るい声が浴室から聞こえてきた。
「おや、お嬢様方が上がってきましたね」
「次は久城さんがどうぞ。私達は明日入りますから」
「では彼女らが戻られたら、お言葉に甘えます」
「着替えは妻が用意したものがあります」
「お気遣い、ありがとうございます」
美星と宮前看護師長が濡れた髪のままリビングに戻ってくると、私は立ち上がって浴室に向かった。
私の着替えやバスタオルがいつの間にか用意されており、私はささっと入浴を済ませ、またリビングに戻った。
「おや、カラスが上がりましたか」
天音氏があまりにも直接的な冗談を口にしたので、私もそれにさくっと返す。
「カラスの行水の良いところは、ガス代を節約できるところです」
「ですな」
リビングのソファには、天音夫妻と宮前看護師長、そして美星が机を挟んで座っている。美星は車椅子ではなく座布団に座っていて、少し不思議な気持ちになる。
「久城さんは美星の隣に。どーぞどーぞ」
頬を赤くしている夫人がそう言うが、天音氏と宮前看護師長の表情が怖い。特に宮前看護師長の顔が。
「良いかな、美星?」
「……は、はい……」
顔を赤くして応えられると、私も少し照れてしまうのでやめてほしい。
「やっぱり若い子たちが並んでるのを見るのは良いわねぇ……」
頬に手をやりながら天音夫人はそう言ったが。
「一人若くはありません。むしろ虫です。それも不快害虫ですよ、奥様。処分した方がいいのでは?」
ぐびりと宮前看護師長が口に運んだグラスに注がれているのは、日本酒……それも超が付く高級酒でもある『十四代 龍泉』だ。
「そんな高級なもの、貴女はどこで手に入れたのですか」
正直飲んでみたい。
「こう見えて人の命を扱うお仕事ですので、時折いただくのです」
彼女は私にその瓶を掴んで、ずいと私に差し出す。
「飲みなさい」
「……まぁ貰いますが」
私が風呂に入っている間に用意されたグラスを手に、宮前看護師長の酌を受ける。
龍泉を口に運んですぐに、喉から胃に、そして鼻から抜ける日本酒の豊潤な香りが一気に巡る。そして心地より熱が体に宿ると、ほうと私は息を吐く。
「良い酒です」
「ふん」
宮前看護師長は鼻を鳴らしてまたすぐに私のグラスにそれを注いでくれた。今回だけはこの人に頭が上がらない。
「いいなぁ……お酒。楽しそう」
美星は唇を尖らせながら、葡萄ジュースをちびりと飲んだ。
「あと四年か……すぐだよ、すぐ」
私は彼女の頭を撫でてそう言ったが、ぴしりと空気が固まったことを感じられない程、酒に酔っているわけではない。
「私は……」
「お酒よりももっと楽しいことはある。例えば明日、だ。もう聞いてるかい?」
「何のことですか?」
私は夫妻と宮前看護師長を見やる。三者はこくりと首肯する。
「海のことだけどね、急遽明日行くことになったんだ」
美星は目をぱちくりさせつつ、私が何を言ったのか理解すると目をきゅっと閉じて猫のような笑みを浮かべた。
「嬉しい!」
純粋なそんな美星の表情に、私達は心を解された。
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