夢の中で/2

 さて、酒を飲んだことのある社会人ならば知っているだろうが。


「美星ちゃーん、可愛いねぇー!」


 酒が入ると男という存在は若い女の子に絡む性質を持っている。それが可愛ければ尚更だ。


 リビングで開かれた私の送別会の中、美星はジュースのグラスを手に持ちつつ、苦笑を浮かべつつそれを受けていた。


 何度か私が助け船を出そうとしたのだが、それを天音氏が制止していた。その度に天音氏は「人生経験の一つですから」と、少し嬉しそうに彼は言った。私から見るからに、美星は助けを求めているように見えるが、それでも彼はそう言ったのだ。


 何時間かすると、美星も慣れてきたのか酔っ払いをあしらうようになっている。もしかしたら、天音氏はこれを見越して助け舟を出さなかったのかもしれない。


「久城さん」


 そんな中、美星は車椅子で移動するには狭い部屋を、丁寧に車椅子を操作して私の元にやってきた。


「なんだい?」

「応接間に行きませんか?」

「喜んで、マドモアゼル」

「ふふ、チャラいですね?」

「たまにはいいじゃないか」


 私は彼女の後ろに回り手押しハンドルを握って、応接間に向かった。


 応接間は前の時と同じように静かだったが、僅かにリビングの喧騒が聞こえていた。


「あの窓の前までお願いしていいですか?」

「もちろん」


 まで来て、私は彼女が何も言わずともカーテンを引いた。


「知って、るんですか?」

「前に来た時にね、君のおばあさまに聞いたんだ」

「もう、おばあちゃんたらお喋りなんだから」


 内心、天音氏もだがとは思ったが口にせず、暗くなり始めたあの庭を見た。


「綺麗です」


 美星の言葉に頷いて、私はその庭を見た。


 応接間の電気は点いていないので、廊下の僅かな明かりに照らされる薔薇はあまりにも弱々しくその花弁を開いている。


「……ちゃんと見えるかい?」


 彼女の無彩色の世界を心配して声を掛けたが、彼女は私の服の裾を掴んで首を振った。


「貴方といると、私の目は色を取り戻してくれますから」


 そんな照れ臭い台詞を言うが、私は笑うことはできなかった。


「陰影がとても綺麗だ」

「はい。私もそう思います」


 彼女の目に、本当に色が戻っているかわからないが、あの特徴的な陰影はわかるだろう。室内の僅かな明かりに照らされる薔薇の弱々しい花弁。それが映し出す幻想的な陰影。


 それはこの時間であっても、はっきりとわかる。


「久城さん……キス、してもらってもいいですか?」

「いいとも」

「え!?」

「ん?」

「えっと……本当に、いいんですか?」

「いいよ?」

「わ、えっと、じゃあ、その、お願いします」

「うん」


 私は彼女の頭を一度撫でる。


 美星は瞼をぎゅっと閉じて顔を私に向けたが、私は彼女に頬に自分の唇を当てた。


「はい、キスしたよ」

「……はい?」


 瞼を開けた美星は、不満そうに私を見た。


「唇へのキスは、本当に大切な人に取っておきなさい」

「……大人はずるいですね」

「はは、そうだよ。いい勉強になったね」

「むう」

「さぁ戻ろう。今日はここで寝られるんだろ?」

「久城さんは?」

「私は帰るよ」

「……泊まってください」

「何で?」

「私が寂しいから」

「……ダメだよ。さ、リビングに戻ろう」


 また車椅子を押して、私はリビングに戻ろうとすると。


「ずるい人」

「君だってそうさ」


 互いに嫌味を言い合って、私達は一笑する。そしてリビングに戻ると、そんな私達を見て一同は「久城さんが院長の孫娘に手を出した」やら「ロリコンだ!」やらと罵詈雑言を浴びせてくる。


 私が何か言い訳しようとしたところで、美星は「私、久城さんのお嫁さんになるの」などと、冗談とも思えないことを口にした。


 それに一部の人達は冗談とわかって笑っていたが、天音夫妻と宮前看護師長だけは全く笑っていなかったことが、私の胃をきりきりと締め付けた。


 それからは私と美星を担ぎ上げるような話題が上り、余計私の立場が悪くなった。その度に天音夫妻と(何故か)宮前看護師長の眉間の皺が増えたものの、誰もそれに気付きはしなかったようだ。


 やがて送別会も終わりを告げ、人が捌け始めたところで、天音氏は私の肩に手を置いた。


「久城さん?」


 声色からして、何か面倒なことを言うであろうことは明確だ。


「なんでしょうか」

「今日は泊まってください」

「今日はお断りします」

「美星も泊まれば喜びますから。あぁそうだ、出掛ける予定は繰り上げて明日にしましょう」

「……天音院長、美星のことに関して少々積極的になりすぎでは?」

「孫娘のためなら何でもしますよ」


 間違いなく本心だろう。天音氏にとっては、文字通り目に入れても痛くない存在に違いない。明日特に大切な用事があるわけでもないし、良いのだが。


「あ、宮前看護師長は?」


 急な予定変更とあっては、彼女も対応しきれまい。別に美星と二人きりになりたいとかそういったことはないが、ざまぁみろ。


「宮前くんも実は明日も休みでして。都合が良いのですよ」

「……そうですか」


 といった私の悪巧み(ではないのだが)は、あっという間に却下された。


「宮前看護師長は泊まるのですか?」

「えぇ。美星がここに来るときはよく」


 思った以上に宮前看護師長は優しい。


「わかりました……というか、本当にご迷惑ではないのですか?」

「私達から見たら……むしろありがたいぐらいですよ」


 思わず振り向いて、彼の顔を見る。


「お願いします」


 困ったような微笑みを浮かべる天音氏は悲しそうに見え、私は断り切れそうになかった。


「わかりました、わかりましたよ……その代わり、その……」

「何ですか?」

「前のワイン……また飲ませていただいても?」


 ぱあっと、天音氏は笑って。


「もちろん」


 と、私の肩を叩きながら言ってくれた。

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