死望/夢の始まり

 夢を見た。とても不思議な夢を。


 絵本に出てくるような王女様と共に。小説のような奇跡を紡ぎ。ドラマのようなロマンスを経て。


 私は結婚式を挙げている……そんな夢だった。


 相手は誰かわからないが、笑っていた。そう、笑っていたんだ。ヴェールで顔も見えないのに、それだけは確かにわかった。


 極彩色の教会の中で、私は純白のタキシードを、花嫁は漆黒のドレスを、神父は深紅のキャソックを身に纏っていた。


 神父の口上は日本語ではなかった。むしろ、この世界の言葉ではなかったと思える。それでも私の隣にいる漆黒の花嫁は頷いて、私に体を向けた。


 ドレスと同じ漆黒のヴェールを手に取り、そっと上げる。


「死にました」


 ぞわりと、体の奥底から震えあがる。


 ヴェールを上げた漆黒の花嫁は、美星だった。彼女は私と目が合うと微笑んだ。それと同時に、彼女と私の周囲が蒼い氷で包まれる。


「人が死んだときの話をしてるだけじゃないですか」


 神父も教会も、ましてや周囲の世界すら彼女の蒼氷に支配され、ぴしりぴしりと音を立てていた。


「え」


 美星は私へその薄い桃色の唇を差し出すように、ゆっくりと瞼を閉じた。


「いや、その」


 心臓が強く音を立てて脈打つ。


「何にしがみついてるのかしら、私ったら」


 美星の口は動いていないのに、彼女の声がはっきりと聞こえてくる。


 間違えている。彼女は間違えているのだ。


 でも、それが何かはわからない。だから私は、彼女のその笑みに違和感を覚えつつ、何も言えないでいる。


「だから、ね。私にはわからないのです。貴方の何が、あの子の心を動かしたのだろう、と」


 ふと、天音氏の声が響く。どこからだろうと首を動かしてみると、蒼氷の中の神父が天音氏と同じ顔をしていた。彼の顔は悲しげで、しかしそれでも柔和な笑みを浮かべていた。


 ぱりん、とガラスが割れるように蒼氷が砕ける。それは氷だけでなく、私の足元もだった。ふわりと体が浮いたような感覚と、落ちていく感覚。それらが同時に私を襲い、かと思ったら私の体は急激に後ろから前に押し出された。


 一体何事だと焦ったのだが、結局夢のだから何が起きてもおかしくないかと自分を納得させた。


 いつの間にか極彩色の教会を突き抜け、真っ暗な空を駆け抜けていく。


 夜空だろうか、いいや、これは……深淵だろう。空などというものじゃあないのは確かだ。


 ただの闇で、暗闇で、暗黒で、漆黒だ。


 深い、いや、濃い?


 黒一色なのに、僅かな濃淡明暗がその闇を分けている。


 どこに向かっているのだろう。何を目的としてこの夢の闇は、私に広がりつつも迫りくるのだろう。


 頭がずきりと痛む。


 体がじんわりと熱くなり始める。


 そろそろ、私の体が目覚める準備を始めているのだろう。


 そんな折。


――ねぇ、泣いているの?


 背中越しに聞こえる、喧騒に掻き消されそうな微かな声に。


――いいや、泣いていないよ。


 誰かが私の前から答えた。


――悲しいのに泣かないの?


 また誰かが私の背中から話しかけ、そして前方の誰かが答えた。


――悲しいけれど、泣けないんだ。私の涙はね、涸れてしまったからね。


 前方の誰かが、辛く息を吐く。


 かつん、と前から聞こえる靴音と、きし、と後ろから聞こえる何かが擦れる音。すがるように、背中の誰かが、前方の誰かに声をかける。


――それなら……貴方の代わりに、私が泣いてもいいですか。


 ゆっくりと景色が動く。右へ、ゆっくりと。徐々に闇は明るい闇となって。その先には、蝋燭のような揺らめく炎のような明かりがあった。


――ありがとう。


 明かりに映し出されるのは、車椅子に乗った誰か。


 今まで前方から聞こえていた声が、今度は背後から。背後から聞こえていた声は泣き声となって、前方から。女の子だろうか。あぁきっと、女の子だ。その子は泣いている。泣いて、いる。泣いて……くれていた。


――ありがとう、代わりに泣いてくれて。


 その誰かは顔を歪めながら首を振り、涙を拭う。


――お礼に……いつか私が君の代わりに泣いてあげるよ。


 ふっ、と明かりが消えて。


――約束ですよ。いつか私の代わりに、泣いてくださいね。


 喉の奥がぎゅうと締まった。

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