滅私奉公/3-2

――じゃないですか


 実家に戻る途中、私は昼の話を思い返していた。


 あのときの美星は、明らかにおかしかった。


 自分の家族が死んだ話を、何故彼女はあそこまで冷たく話せたのだろうか。


――あ、勿論、お父さんやお母さん、それに美空みそらが死んじゃったことは悲しかったですよ?


 表情は変わらずに、彼女は


――でも、私のことを心配して言ってくださったんですよね。ありがとうございます。


 今思い出しても、肌が粟立つ。本当に彼女は、そう思って言ったのか。


――久城さんは優しいですね。


 そして眉尻を下げた彼女は。


――少し、休みますね。家族のこと話したら、


 


 ではなく、、と。


「一体、何だっていうんだ」


 私は思わず煙草に火を点けた。


「何で、あんな……」


 確かに、死んだ家族のことは話しづらかったろう。聞く限りは凄惨な事故だ。彼女ぐらいの年齢ならば、下手に同情されたくもないというプライドもあったかもしれない。


 しかしそれでも……あそこまで冷たく言い切れるものだろうか。


 ふと、煙が目にしみる。私はそこで窓を開けていないことに気付き、車の窓を開けた。


――何にのかしら、私ったら。


 ベッドに横になってすぐ、小さく呟いたその言葉。


 その言葉が、あまりにも儚く悲しげで、私の胸を強く締め付けたのだ。


 美星という少女は何故、あんなにも悲しいのだろう。


 家族の死と原因を、別物として語る彼女。


 私が発した言葉に、感謝を述べた彼女。


 付け加えるように、私を優しいなどと評した彼女。


 家族の話を、疲れたと嘆息した彼女。


 そして最後に……何かにと溢した彼女。


 全てがちぐはぐのようで、けれどそれは美星という少女そのもので。


「あの子は……」


 何を思い、何を考えていたのだろうか。あの僅かな会話の行間の中で、何を。


「いや……変に勘ぐるのはやめよう」


 窓からは、間もなく五月になるというのに、ひんやりとした風が舞い込んできた。


 私は煙草を灰皿に押し込んで、窓を閉めると細く息を吐く。


 忘れるんだ。


 今日のことは、忘れてしまうのが一番だ。


 彼女は十六歳。思春期に顕れる感情の機微を推し量るには、私はもう歳を取りすぎている。また来週には、彼女もいつものように笑っているに違いない。


 そうさ、そうに違いない。


 無理矢理自分を納得させ、私は実家の駐車場に車を停めた。


 相変わらず馴染みのない実家は、当たり前だが暗かった。私は鞄から鍵を取り出し、玄関のドアを開ける。ひんやりとした空気が、家の中から外へと逃げるように流れる。


 それに身震いすると、私はすぐに居間に向かってライトを点ける。


 一瞬で明るくなった部屋にはしかし、ほとんど家具はない。それがより寒気を感じさせた。私はキッチンで湯を沸かして、インスタントコーヒーを淹れた。


 コーヒーを片手に煙草に火を点け、換気扇の下で煙を燻らせる。


 ぼうっと煙草を吸っていると、気分もいくらか落ち着いた。まだ十分に残っている煙草を灰皿に押し込んで、私は首の骨を二度程鳴らす。


「さて……まずは寝床の準備か」


 キッチン、居間、そして和室へと私は足を進め、襖を開いて布団と毛布を取り出した。あのベンツと同じく、これも貰い手が付かなかったものだ(さすがに他人の布団だからだろう)。


 向きなど気にせずその和室に乱暴に広げ、私は横になった。腹に毛布を手繰り寄せ、そのまま深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。


 僅かに黴臭い気がしたものの、特に気にはならなかった。どうせこれも明日には処分するものなのだ。


 世の中もすっかり便利になったもので、明日には、ネットで依頼した不用品回収のトラックが二台程来てくれる。買い取り可能なのは買い取ってくれるし、値段のつかないものは処分してくれる。こっちは、いるいらないの判断をするだけで良いのだから、本当に楽だ。


 先週で大分処分できているので、明日のメインはむしろベンツだ。確か父が購入したのは数年前で、型も古くなかったはずだ。中々な値段はしたらしいが、退職金もがっつり入り、且つ中古だからと母の許可も下りたものだ。


「四、五百万ぐらいになってはくれるだろうな……BMWを買い直すのも……悪く……ない……」


 睡魔は気持ち良く私を誘い始める。


 母の葬儀が終わった後の眠気と、ほぼ同じものだ。あの時は確か、急に電話が来て……と思ったそのタイミングで、私のスマートフォンは震えだした。


「マジか」


 枕元に投げ出したスマートフォンを手に取って画面を見る。そこには見慣れない番号が表示されていた。


「とりあえず……出てみるか」


 通話ボタンを押して、スマートフォンを耳に当てる。


「もしもし……?」

『あぁ、久城さんですか?』


 聞き慣れない声だった。


「はい……?」

『あぁ、すみません。天音です。天音孝道です。天音病院の』


 瞬間、体中に血が巡った。

 私はがばりと起き上がり、頭を振る。


「はい、すみません。休んでいたものでして」

『あぁいえいえ。業後の電話で申し訳ありませんね』


 はは、と短く笑った天音氏だったが、どこか声色は固かった。


「どうか、されましたか?」


 もしかしてクレームだろうかと思い、川嶋に連絡をと考えてしまった中。


『あれが……貴方に家族のことを話したと聞きました』

「え?」

『美星が貴方に、家族のことを話したと聞いたもので』


 どくりと、強く心臓が脈打った。


「それは……えっと……はい」


 忘れよう、と思っていたことを急に突き付けられ、私は鈍器で頭を殴られたような衝撃を覚える。


『もしよければ、少しプライベートでお話をしたい。あぁ勿論、川嶋さんには私から話しをして、休日出勤という体でね。代休も私は認めます。どうですか?』


 待て。待て待て待て。どういうことだ、何が起きている。


『どうですか?』


 あぁ……何が正解なのだ? わからない。


「えっと……」

『業務命令という形の方が良いですか?』

「あぁもう、わかりました。しかし明日は私の方も用事があって。申し訳ありませんが、こちらに合わせていただきたいのですが」

『かまいませんとも。そちらの用事が終わりましたらお電話ください。月曜日に代休で良いですか?』

「ありがとうございます」

『えぇ。では川嶋さんには私が明日の朝に電話します。私が許可したと話しておきますので、月曜日は遠慮なく休んでください』

「はぁ」

『すみませんね、時間もないものでして』

「はぁ……」

『では、また明日』


 ぷつりと音がして、私は深く息を吐き出した。


「何だって言うんだ……」


 ずきりと、頭が痛んだ。


 それは前と同じく、万力でゆっくりと締め上げられるようなもので、やはり私を気味の悪い眠りへ誘うものだった。

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