滅私奉公/1-2

 天音病院の打ち合わせは概ね予定通り終わった。


 私達は二人とも同じ駅が最寄りなので、その駅の近くにある居酒屋に腰を落ち着けていた。


 ここの居酒屋は若い頃によく通い、互いに肩書きがないときは気楽に飲んでいたものだが、最近はこういった飲みも滅法減ってしまったものだ。


「しっかし、あの時は冷や汗ものだったぞ」


 彼が言うあの時とは、天音美星が「連れ出してくれた」などと言ったときだろう。


「あの子は初めて会ったときもあんなことを言っててね。勘弁してほしいよ」


 ぐいとビールを飲んで、私はため息をついた。


「いやけど、美人な子だったからさ、もしかしたらなんて思っちまったわけよ」

「有り得ないって。もう一度言うけど、あの子は十六だよ? いくら何でも歳が離れすぎてる」


 普段私に女っ気がないせいか、先程から川嶋は何度もこの話を蒸し返してくる。酒も入っているせいか、彼は本当に楽しそうだった。その話題を振られる私は楽しくもないというのに、だ。


「お前もいい加減良い子を見つけろよ。いつまで心配させる気だ」

「心配される謂れはないよ。川嶋さんだって独身だろ?」

「かぁ! プライベートになった途端に生意気だもんな、こいつ!」


 言いながら、川嶋は焼き鳥を頬張った。


 上司とは言え、彼とは数か月の差での入社だ。専門学校を出ていた彼は転職組で、私は新卒入社。年齢は私が早生まれなだけで学年的には一緒。こういったプライベートな場所では私も話し方を基本的には崩している。


「川嶋さんだって結婚してないでしょ」

「俺は彼女いるから良いんだって」

「……やっぱりこの話はやめです。私に不利だ」

「お前はいっつも女関連に不利じゃねぇか。有利な話はなんですかって話だ」

「そうだな……ゲームとか?」

「うわ、キモ」


 一瞬間が空き。


「くくっ……」

「ははっ……」


 私と川嶋は互いに笑い合った。


「お前はしょうもねぇ奴だなぁ」

「うるさいな。そんなしょうもない奴と飲んでる川嶋さんだって、しょうもない奴だよ」

「違いねぇな、はは!」


 互いにビールを飲み干し、またお代わりを頼んだ。


「まぁでも、マジな話……」

「わかってるよ。客先の孫娘、しかも相手は未成年だ。それに私はロリコンじゃない」

「お前、ロリコンじゃなかったのか」

「違うって」


 勘弁してくれと手をひらひらと振ると、馴染みの店員がビールを持ってきてくれた。


「楽しそうですね、二人とも」


 にこやかに微笑むのは店の看板娘、沙耶香さやかだ(苗字はわからずいつも私達は名前で呼んでいる)。背中までの長い髪を後ろで一本に結び、目が細い狐顔。この居酒屋のアルバイトで、彼女ともかれこれ五年ほどの付き合いになる。今は大学の四年生で、このままこの居酒屋に就職すると話していたことを、よく覚えている。


「これ、店長からのサービス」


 ビールと共に置かれたのは、山盛りのポテトだった。私と川嶋は二人で苦笑する。


「マスターにとっちゃ、俺達はまだまだガキだってことかね」

「嬉しいことじゃないか。私達を仕事以外で子供扱いしてくれるのなんて、今じゃ上司ぐらいしかいないよ」


 そのポテトを二本摘まんで口に入れた。丁度塩っ気のあるつまみが欲しかったので、ありがたい限りだ。量は多すぎだが。


「沙耶香ちゃんはどうなの、就職の件で色々あるって話してたじゃん」


 川嶋は去ろうとした沙耶香を掴まえる。


「ちょっと親と問題ある感じですかね。大学まで行ったのにって、お母さんは嘆いています」


 笑いながら言いつつも、沙耶香の眉尻は下がっていた。


 母親の嘆きにも理解は示せるが、それでも子供の意見を尊重すべきだと考えてしまうのは、独身だからかもしれない。


「困ったら俺に声かけなよ。業界未経験でもがちゃんと仕事を教えてあげるからさ」


 川嶋が言うこいつとは、言わずもがな、私のことだろう。


「川嶋さん。そんなこと言ったら、ここの店長から出禁食らいますよ。『うちの看板娘を引き抜いた奴に振る舞う酒はない』ってね」

「そりゃあ困る。でも一応、ね」


 川嶋は沙耶香にウィンクして、ようやく彼女を解放した。


 若い頃からナンパ癖のある川嶋だが、どうもまだ矯正されていないらしい。


「また彼女に怒られますよ、川嶋さん」

「あいつは度が過ぎなければ許してくれる良い女だから付き合ってんだよ」

「さいですか。そういえばあそこに通うときなんですが、週末のみ車で通わせてもらえるよう頼んでくれませんか?」

「は? なんで?」

「実家の件でまだゴタゴタが片付いてないんですよ。それが終わればこんなこと言いませんから」


 川嶋は頭を掻いて、ビールを飲んだ。それから「んー」と悩んだ末に、「わかった」と了承してくれた。


「でも、相手が駄目だと言ったら諦めろよ?」

「勿論。申請が必要なら教えて下さい。いくらでも書きます」

「あいよ」


 それからたっぷり二時間。飲み始めた時間から考えるならば四時間程度、私達はその居酒屋で酒を飲み交わした。


   ***


 天音病院への派遣は、翌週の月曜日からだった。川嶋が言うには先週から始めたかったようだが、母の不幸も有り、今日まで伸ばしてもらったようだ。


 私はまず受付に挨拶を済ませ、三階のナースステーションに向かった。


 そこにいた何人かの看護師は私を見ると首を傾げたものの、奥の席にいた一人だけは私を見て手招きをした。


 その人物は肌の黒く、外人のように顔の彫りが深い男だ。


 周りの看護師に頭を下げながら彼の元に向かうと、白い歯を見せて彼は笑い、立ち上がる。


猪狩駿いがりしゅんです。お願いするシステムの、まぁ……一応管理をしております」


 彼の身長は私よりも頭一つ分高かった。近くで見ると体はがっしりとしており、本当に看護師かと疑いたくなるほどだ。


「はじめまして。ブルームーンシステムの久城真治です。短い間ですが、よろしくお願いします」


 彼は頷くと左手を私に差し出した。私はそれを握り返す。


 そして彼は、私の肩を少し強く叩いて言った。


「先日からお話ししていたシステムに関して、ブルームーンシステム様から派遣で来てくださる久城真治さんです」


 ぱちぱちと控えめな拍手が私に向けられ、軽く頭を下げる。


 拍手が収まると、猪狩は私から見て左から順に、一人ずつ看護師の名前を紹介してくれた。


「で、最後が……」


 最後の看護師は見覚えのある顔だった。その看護師は猪狩の言葉を遮りながら不機嫌そうに鼻を鳴らす。


「貴方から見たら、私は客ですね。貴方から自己紹介いただけます?」


 彼女が嫌味たっぷりに言ったその台詞は、以前私が言ったものに似ていた。まぁ彼女の名前も覚えていないし、自己紹介するというのも丁度良いだろう。


「ブルームーンシステムの久城真治です」


 こういった相手にはあくまでもビジネスライクに付き合えばいい。どうせ一か月でおさらばだ。狭いコミュニティのことなどすぐに忘れられる。


「看護師長の宮前妙子みやまえたえこです」


 ぴりと、空気が張り詰めるように変わる。


「宮前さん、ですか。よろしくお願いします」

「言っておきますけど、美星ちゃんを連れ出すようならすぐにクビにしてもらいますからね?」


 その空気は彼女の一言でざわつき始めた。


「えっと……久城さん、どういう……?」


 さすがに猪狩も何と言っていいのかわからないのだろう。仕方なく簡単に事情を説明したのだが……誰も彼も微妙な表情を浮かべていた。


「えっと、あぁ……あれですね。博愛主義?」


 ……この猪狩という男、馬鹿なのかもしれない。


 言葉を選んで素っ頓狂なことを言ったのかもしれないが、私は歳を取っても決してこの病院に入院しないと決めた(母も大変だったのかもしれない)。


「猪狩さん、自己紹介はそこそこにしておいて……システムの説明を聞きたいのですが」

「あ、あぁ……えっと、これなんですが……」


 納得はいっていない、理解もしてない、けれど大人として対応をしなければという雰囲気を醸しつつ、彼はあるを指差した。


「……懐かしいですね」


 黄ばんだスクエアディプレイに表示されたデスクトップ画面は、青い空に鮮やかな草原。


「XP……ですか。これはまた古いですね……」


 WIndowos XP……その昔、日本だけでなく世界を席巻したパソコンのOSだ。私もお世話になったものだが、今は正直扱えるかが不安でもある。


「まぁでも、パソコンはパソコンですよね?」


 その猪狩の発言に、彼以外の看護師も首を傾げていた。


「まずは認識から変えないといけませんか……」


 一か月。私はそれが随分と遠い未来のように感じられた。

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