再会/2
母の葬儀は滞りなく進み、終わりを告げた。
大変だったことと言えば、生前の母の愛想がとても良かったせいか、参列者が多かったことだろう。その中には何人か見知った顔もあったが、互いに多くを語ることはなかった。
学生時代から母を知っている私の友人も三人ばかり(男二人に女一人だ)参列してくれたが、彼らは県外に住んでおり通夜が終わるとすぐに帰ってしまった。
そして私は、今は住む人間が誰もいなくなった広い一軒家の居間で、座布団を枕に横になっていた。
ここは父が退職してすぐに購入した家だ。母も初めは新しい家に喜んでいたものの、入院がちだったためほとんどこの家にいたことはない(私も既に社会人として独り暮らしをしていた)。
父は父でそんな寂しい家が嫌なのか、事あるごとに帰ってこいと私に電話をしてきていた。だがそんな父も、胸を患い母と同じ病院へ入院し、間もなくして亡くなった。
そういった事情もあり、この家には私を含め家族全員愛着がない。
だが、資産は資産であるため、近くここを不動産屋に預ける算段を私は考えていた。
「やはり親不孝だね、どうも」
母が亡くなってからというもの、私が考えていたことは本当にしょうもないことばかりだ。
仕事のことに始まり、死亡届けや葬式の段取り、遺産相続に関する一切合切、そしてそれらによる金の出入り……どの工程でも悲しむということはなかった。
違う、か。
母が亡くなった当日、名前は忘れてしまったが美しい少女の車椅子を押したとき……悲しむとは異なるものの、僅かとはいえ母のことを考えたはずだ。だからどうしたと言われればそれまでだが。
やれやれとため息をついたと同時に、私は心地好い眠気を覚えた。大きな窓から差し込む夕陽が、私の体を温め始めていたのだ。
瞼を閉じてこの眠気に身を委ねようとしたその時、私のスマートフォンがやかましい音を鳴らした。
スマートフォンを手に取って、番号を確認せずに出る。
「もしもし」
『あぁ良かった、繋がったか』
聞き覚えのあるこの声は、私の上司の
『この度は御愁傷様だったな』
何となく日本語がおかしい気もしたが、わざわざ咎める程の仲でもないので「はぁ」と適当に答える。
『それで、何だが。お前の気持ちの整理が付かないようなら、もう二日程休んでもいいぞ? 仕事も落ち着いているし』
「そうですか。ありがとうございます。では明日もう一日休みます。明後日には出社します」
うちの会社では父母が亡くなった場合、七日間忌引休暇扱いとなる。先に挙げた手続きやその他葬儀後の挨拶などで、今日がその七日目だった。
『そうか、わかった。あまり気を落としすぎるなよ。辛いようだったら相談してくれ。じゃあな』
私が一人息子ということもあったので、気を遣ってくれたのだろう。
「ありがとうございます。それでは」
電話を切ると、私はまた瞼を閉じた。
しかし先程のような心地好い眠気は訪れることはなく、代わりに頭痛に襲われる。
その頭痛は万力でゆっくりと締め付けるようなもので、脂汗も流させた。
そんな状況で、私は気味の悪い眠りへと落ちていった。
***
私が目を覚ますと、夜の帳はすっかり下りていた。
シャツはぐっしょりと寝汗で濡れており、煙草を吸ったあとに着替えようと立ち上がったところで、ふらりと眩暈がした。その眩暈を堪えながらキッチンへと向かう。
煙草を吸う前に冷蔵庫を開ける。葬儀の時に振る舞った飲み物の余りがぎっしりと詰まっており、その中から紙パックのジュースを一つ取って一気に飲み干した。身体中に水分が行き渡ったおかげか、いくらか頭痛と眩暈は楽になったように思えた。
そして換気扇の下に移動し、私はスイッチを入れて煙草に火を点けた。
明日休みをもらったのは正解だった。この状態が明日も続かないとは限らないのに、満員電車に揺られる気分にはどうしてもなれない。
煙草を灰皿に押し込むと、私はまた居間に戻った。そして今のシャツを脱いで、新しいシャツをボストンバッグから取り出して着替える。
「しばらく休日はこっちか……」
まだまだ片付けは終わっていない。家具の処分や仏壇をどうするか、不動産屋にも話を通さねばならない。
「悩みの種は尽きないな」
私は鞄から頭痛薬を出して、冷蔵庫に入っていたジュースでそれを流し込んだ。
少しして頭痛が完全に引いたところで、私はこの愛着のない実家を出た。砂利で簡単に作られた駐車場に向かうと、父の愛車だったSクラスのベンツがある(父が亡くなってからは母が乗っていた)。そしてその隣に、私が数年前に購入した中古のBMWがあった。
「これは……どうするかね」
調べた限り、ローン購入でないのは確認済みだ。しかし、私は外車を二台も持つ程の金銭的な余裕はない。しかし、ベンツだ。しかし、Sクラスだ。しかし、私はBMWが好きだ。
「これは少し考えてからだな」
私は隣のベンツをじとりと見つめながら、中古のBMWに乗ってキーを回した。聞き慣れたエンジン音を立てたBMWのアクセルをゆっくりと踏んで、発信させる。
窓枠に肘を置いて頬杖を付き、なるだけゆっくりと走らせた。
道は暗くなってしまったが、何度か走っていたことから慣れており、恐怖心はない。だが、大きな国道に出ると否が応でも周りは速度を出し始めたため、私もそれに合わせてアクセルを強く踏むことになった。そのせいか僅かに緊張してしまっていた。
水飴のように溶ける街灯。けれど遠くに見えるその漆黒の空に浮かぶ散りばめられた星々は、その水飴の街灯ととても美しく溶け合っていた。
まるで異世界にでも誘われているように。
それが、緊張の正体かもしれないと思ったのは、自宅近くの細い道に入ったその時であった。いつも通りのそんな道に安心し、私はようやく深く呼吸をすることができた。
屋根のない駐車場に車を停めて、自分の部屋である二〇三号室に入ると、ようやく気持ちが楽になった。
そして私は寝室に向かい、ベッドに倒れ込む。
つい一、二時間前に起きたばかりだが、自分の匂いに安堵し眠気はすぐにまたやって来た。
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