再会/3
「午後から新規顧客との挨拶に付いてきてくれ」
忌引休暇も終わった当日、朝のミーティングで川嶋は私に言った。
「新規顧客、ですか……」
正直、休み明けの今日ぐらいは事務作業に集中したかったのだが。
「あぁ。医療系だ」
「長くなりそうですね……」
我が社の業務は、医療系や公共系、そして銀行系のシステム開発が主である。
何も知らぬ者達から見れば、一般企業相手と比べ金払いも良さそうに見えることだろう。
しかし実際はあいみつにあいみつを重ね、受注金額は抑えられたというのに納期は短く、コーディング規約はガチガチに固められていることがほとんどで、進捗はいつも遅くなる。
それがまだ既存のシステム改修ならば楽でもあるのだが(勿論一概にそうとも言い切れないが)、新規開発ではそうはいかない。何せ新規だ。一から十まで彼らの業務を把握し理解し、システムを作らなければいけないのだから。
「一応お聞きしますが、既存システムの改修とかではないですよね?」
「俺が新規顧客と言ったからには、新規のシステム開発に決まってるだろう? 忌引取る前にお前が出した見積りが通ったんだよ」
「あぁやはりですか。となるとスクラッチですね……」
私は大きく、そして深くため息をついた。
この川嶋という男は私の一つ上なのだが、恐ろしく仕事を取って来る。しかもそれは規模が大きいものがほとんどだ。二十代で営業副部長という肩書きがあるのも、それが理由である。
「わかりました」
「早くに終わったら直帰してもいいからさ」
「早く終われば、ですよね?」
「早く終われば、だな」
こういった返事は早く終わる予定がないときに出るものだ。
例え奇跡的に早く終わったとしても、その客とどこかに飲みに行くことになるだろう。
「そういえば」
私がメールを確認しつつ、保存していた見積りを探しているときだった。
「
川嶋のそんな言葉に、ぴたりと指が止まった。
「そうですが、何かありましたか?」
そしてまた指を動かす。
「そうか……すまんな、デリカシーに欠けていた」
彼が何を言いたいのかわからなかったが、提出した見積りを見つけて合点した。
「私も忘れてました」
天音病院は先週、確かに私が母の件で訪問した病院であった。個人経営ではあるものの、地域に密着したその姿勢から、地元ではかなり人気がある病院だ。
「病院の名前なんて、あまり気にしていませんでしたし、川嶋副部長が気にされることではありませんよ」
私はそれよりもという考えで、その見積書と一緒のフォルダに入っている資料を確認した。
依頼内容は、現在運用されている電子カルテへのデータ連携用システムの開発。天音病院では全国的にも採用されている電子カルテのパッケージが導入されているが、それ以前より使用されていたシステムも使われていた。これはエクセルVBAを使われた簡易的……というには作り込まれ過ぎたものだ。色々な自称パソコンに詳しい人達が作り込んだものらしい。川嶋が作った資料には、注意書きとして〝厄介〟と記入されていた。
なるほど。おそらく見るのもおぞましいレベルのスパゲティコードなのだろう。しかし、それとはまた違った段には、〝良い意味でも悪い意味でもユーザーライク〟とも記入されている。
「というか、個人の病院なのにまぁ……金持ってますね」
正直断るつもりの見積りだったのだが……これでも安いということだったのだろうか。この先不安になるばかりだ。
「とりあえず十一時に出て、病院近くで昼食にするぞ」
「はい」
「そんな嫌な顔をするなよ」
「嫌な顔ではなく、疲れている顔をしているんですよ」
「ははは」
ちらりと見た川嶋の顔には乾いた笑みが張り付いていた。しかし、その眼差しは熱く強いものだ。彼らしいと言えば彼らしい。
「受注……」
「受注したから終わりではない。笑顔で感謝されて一流だ、ですか?」
川嶋は若い頃からこんなことを言っていた。それは勿論、私が入社してからもずっと、だ。
そんな彼が今や営業副部長、私はと言えば年齢を重ねたから仕方なくのSE。どこでこんなに差がついてしまったのか。
そんなくだらないことを思いつつ、私はこれからの仕事について考え始めていた。
***
つい一週間前にも来た病院に、私は川嶋と共にやってきた。
今日は受注決定に関する挨拶と、今後の簡単な打ち合わせをする予定だ。しかし、その打ち合せというものがまぁ中々面倒だ。
特に医療に関わるシステムというものは、セキュリティの三大要件……機密性、完全性、可用性、全てを満たさなければならない。命が関わるのだから当然だが、それら全てを満たすのは中々難しい。
打ち合わせでは、おそらくそれら三つの件に関して重点的に話すことになるだろう。メインシステムの開発ではないことが、今回の唯一の救いだと私には思える。
「打ち合わせはあちらのシステム担当と行うのですか?」
ミントタブレットを齧って川嶋に聞いてみると、彼は少し困ったように笑って頬を掻いた。
「いいや、院長だ」
「何でいきなり最高責任者と会うのですか。いやまぁ良いんですけども」
「……うん、そうだな。お前には話しておかないといけないと思ったが、話すことなくここまで来てしまったのは詫びておこう」
嫌な予感がする。
「お前、まずは一か月ここに通ってくれ」
「……はぁ?」
「SESだよ、SES」
「それを何故今日言うのですか。横暴すぎます」
「すまんな。文句はあとで酒飲みながら聞くからさ」
「奢ってもらいますからね」
「はいはい……」
そこまで話して私達は受付に話を通してもらった。
どうやら打ち合わせは院長室でやるようで、私達は院長室がある三階に案内される。
「真ん中の階に院長室ですか、珍しいですね」
普通は一階か最上階なのだが。
「上にも下にも行きやすいから、らしいぞ。さて、無駄話はここまでだ」
川嶋の表情がきりと引き締まる。
さすがは営業だ。オンとオフの切り替えがはっきりとしている。
「準備はいいな?」
彼はネクタイをもう一度締め直すと、私を見た。
何度も見慣れた顔だが、この顔を見ると私も不思議と胸が高鳴ってしまう。それは、新しいことを始めるということに興奮しているのかもしれない。
彼はドアを何度かノックして。
「ブルームーンシステムの川嶋と久城です」
少しして、ドアの奥から「どうぞ」と声があって川嶋はドアを開けた。
「本日はお忙しい中お時間取っていただきましてありがとうございます」
すぐに川嶋は頭を下げて、私もそれに倣う。
「いえいえ、こちらもお仕事お請けいただきまして、ありがとうございます」
渋い声がする。私と川嶋が顔を上げると、そこにはその声の持ち主がいた。声のイメージ通り、渋い顔立ちをしている。
「院長の
「SEの久城真治です。どうぞよろしくお願いいたします」
なるだけ笑顔で言ったつもりだが、上手くできたろうか。
「では早速打ち合わせを行いましょうか。そちらのお話では久城さんを当病院に派遣いただけるとのことでしたし」
そして私達は院長室にある高級そうなソファに腰を下ろした。
基本的に話は川嶋が進めたものの、時折私に話を振られる度にどうしてもぎこちない返しになってしまった。
内容は予想していた通りセキュリティの三大要件に始まり、現在のシステムの簡易的な説明と、今後の運用イメージだ。
思っていたよりもこの院長はシステムを理解しており、無茶苦茶な要求をするようなことはなかった。この辺りは川嶋が色々と話を通していたのだろう。そうでなければ新規でここまで上手く話は進まない。
「おや、もうこんな時間ですか」
天音氏は腕時計を見てそんなことを言った。
私も腕時計を見ると、既に十六時となっている。休憩も無しに三時間も打ち合わせをしたのかと思うと、喉が痛い気もする。
「休憩にしま……」
天音氏が立ち上がったその時、ノックもなくドアが開くと同時に。
「おじいちゃん、何かお菓子ちょうだーい」
車椅子の少女が現われた。
「これ美星。今はお客様がいらしているんだ。また後であげるから、今は病室で大人しくしてなさい」
「あ、ごめんなさ……」
私も川嶋もそのドアを開けた主を見た。
「あ!」
その声の主……
「久城さん!」
ぱぁっと、彼女は氷の花の笑みを浮かべた。
――それが、彼女との再会でした。
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