第28話 曲名『ナナ、憂いを帯びたその笑顔は』

 曲名『ナナ、憂いを帯びたその笑顔は』。


 駆り立てられるようなリズム。


 そのリズムに恐縮し、僕は振り向くことができない。何が僕を駆り立てているのか確認できない。それは一言で表すと、『恐怖』。


 チャチャチャチャチャチャチャチャチャチャチャチャチャチャチャ

 チャチャチャチャチャチャチャチャチャチャチャチャチャチャチャ

 チャチャチャチャチャチャチャチャチャチャチャチャチャチャチャ


 音の洪水は止まるところを知らない。立ち止まりたくても止まってくれないそれは人生のようで。やがて姿を現したのはボーカルで。極限まで研ぎ澄ました高音ボイスが僕を震わせる。ああ、なんでそんなに切なげに歌うんだよ?


 このボーカルもきっとこの音に駆り立てられているんだ……。僕と一緒。


 逃げるボーカル。追うように駆り立てる音。音。音。


 これが人生なのか?


 何かから逃げるために生きるのか?


 ボーカルは言っている気がする。『そんな人生あんまりだ』。


 同時に聴こえてくるのはボーカルの心の声。それを受け止めて生きなくてはならないことを嘆いている魂の叫びだ。『せめてもっと楽に』。


「いやだ……いやだ……いやだ……」


 その圧倒的なエネルギーは部屋を縦横無尽に駆け巡る。負のエネルギーが満ちていく。息が出来なくなりそうだ。それでも……それでも……。


「……………………いい曲だなあ」


 純粋にいい曲だと思った。


 初めに感じた『恐怖』が薄れていく。そして僕の中に生まれた感情は『安堵』だった。そっと瞼を閉じる。


『人生はいつも君を苦しめる。それは君の都合なんて考えちゃくれない』


「そんなの僕は嫌だ」


『そうだね。誰だってそんなのは嫌だよ。けどね、それが生きるってことなんだよ』


「なら……僕は生きたくない」


『うん。そう思っているのはきっと君だけじゃないよ』


「ならさ、どうしてみんなは生きているの?」


『そうするしかないからだよ』


「え?」


『苦しめられて、蹴とばされて、嬲られて、泥をひっかけられたとき、その顔が見えなくなるくらい返り血を浴びながら人は生きるんだよ。そうするしか方法がないから』


「どういうこと?」


『はは、君はまだ若いね。苦しめられた分だけ生きる力が漲るってこと』


「ストレス発散ってこと?」


『まあ、そうとも言えるかな。生きてさえいれば何か起こるかもしれないから。次こそは何とかしてやるって思うから。返り血はそうやって生きた結果、誰かを傷つけた証拠。でもね、そうやってしか、みんな生きられないんだ。不器用だから』


「…………」


『だから安心して。君だけじゃない。みんなそう。君もいつか誰かを傷つける。返り血を浴びる。それをシャワーで洗い流す。それでいいんだよ。みんなそうやって生きている。そうやってしか生きられない。人生は残酷だから死に物狂いで生きて。自分が生きるためなら返り血を浴びることも厭わないで。そうじゃないと君の体から鮮血が迸ることになるから。生きて。生きろ! 生き抜け! 皺だらけになるまで生きてみせろ!』


 瞼を開ける。白昼夢を見たような、頭がぼんやりする感覚が残る。今のは何だったのだろう。いつの間にか音楽は鳴り止んでいた。


 モニターに『G』の文字。これで『CAG』が完成したことになる。残るはあと二つ。次は『E』。まだ押したことのないスイッチだが、②が『D』であることは判明済み。よって『E』は……。僕は③のスイッチを押した。

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