第14話 アイソレーション少女

 バタンッという音がした。Cの扉の先、一つ目の扉は開いている。しかし咲岡さんの姿が見えない。奥の部屋に入ったのかもしれない。もう二度と開かない気がして、怖くてたまらなくなるけど、信じて待つしかないと言い聞かせる。大丈夫、絶対戻ってくるから。


「よしっ」


 気持ちを切り替え、『戯言の宴』二六ページを開く。


 ZPCbIbPRCZbLPE


 これ自体がパスワードの可能性は?


 早速液晶画面をタッチしていく……。Z……P……C……b……I……b


 Error


「エラー?」しかも途中で。なんで? なんで……?


 ふとあることを思いつき、画面をタッチしていく。


 A……B……C……D……E……F


 Error


「やっぱり……」


 ZPCbIb……ABCDEF……。どちらもパスワードではないけど、ひとつわかったことがある。それは――。


「パスワードは六文字!」


 扉を見てみる。奥の扉は閉まったまま……。『戻ってくるの? ホントウニ?』。


 点滅するアンダーバー。私の答えを待っている。嫌らしい目線を向けられている気分。それは寸分違わず学校の連中と同じ目。


 私の速読術を知って、咲岡さんはどう思っただろう。凄く驚いていたから、変人と思ったに違いない。


 みんなそう。自分と違うものを激しく嫌悪する。そうしてみんな同じような服を着て、同じような能力をもって、ついには同じような人間で溢れかえるんだ。つまらない日常。ありきたりな毎日。まるで働き蟻みたいに働く人々。その中に混じる自分。考えただけで気分が悪くなる。まるで、周りと同じように生きるために生まれてきたみたい。


 そんな時、訪れた転機。やってきた非日常。それがこれ。


 私は、この状況を楽しんでいるのかもしれない。先程は私のスキルのおかげでこの液晶画面に気付くことができた(咲岡さんのおかげも勿論ある)。だから、この場所こそ私が私らしく生きられる場所なのかもしれない。他の誰でもない、私だけが輝ける場所。


「……私は、できる。絶対っ!」


 再びパスワードに向き合う。例の本二六ページの暗号を使うということは恐らく正しい。あの暗号は一四文字。この一四文字を、六文字に出来ないかな?


 一四文字を六文字に……一四を六に……一四から八を引けば、六。


 つまり、この一四文字から八文字を除いて六文字にする?


「八文字除くのは簡単だけど……」


 試しに私は適当に八文字除いて残った六文字を液晶に入力していった。しかし、全てことごとくエラー。何だかバカにされているみたい……それでもめげずに私は考える。液晶をタッチ。エラー。考える。タッチ。エラー。


『ほーんとよくこんなつまんない教科書読む気になれるよね。いい子ぶっちゃって、ムカつく』


『まあでも、そくどく? なんて将来なんの役にたつの?』


『ダメだって! 聞こえちゃうよ』


 ある日の陰口。しっかりと聞こえたそれは、悪口に変異して。ぶよぶよと肥大化した悪意の集合体だった。


 小さいときから本を読むことが得意で、ページを開くと文章がまとまった形となって頭に流れ込んできた。気づいたら家中の本を読んでしまって、両親はすごく驚いていた。これは神童に違いないと近所を練り歩かされた。当時はよくわからなかったけど、今思えばすごく恥ずかしい。ページを捲る一定のリズム、紙と紙が擦れる音、その全てが当時の私にとって子守歌のように、いつもそばに寄り添っていた。


 私はこのスキルを誇りに思っている。たとえ誰に何を言われても。


 このスキルこそ、私とその他大勢を明確に分ける唯一のもの。私は違う! みんなにはない才能を持っているんだ! だからこんなパスワードだってきっと……。


「うーーーーーん、わかんないや」


 膨れ上がる自意識と同時に失われていく時間。いつしか頭の中は真っ白で、液晶をタッチする指も止まっていた。


 ブーーーーーーーーブーーーーーーーーブーーーーーーーー。


 ブザーが鳴った。閉まり始まるCの扉。


 もうすぐ咲岡さんが戻ってくる。戻ってきたら、パスワードを一緒に考えよう。咲岡さん……咲岡さん……はやく戻ってきて。


「…………」


 しかし、一向に……。


「……え?」


 閉まっていくCの扉。鳴り響くブザーの音がまるで私の心の叫びを代弁しているかのようで……。


「……咲岡さああああああああああん! 嫌だよおおおおおおおおお!」


 ありったけの声で叫んだ。戻ってくるって……戻ってくるって……約束したじゃん!


「嘘つきいいいいいいいいいいいいい!」


 気づいたら扉はもう半分以上閉まっていて。咲岡さんは姿すら見せなくて。ああ、もう、閉まっちゃう……。


 そして扉は完全に閉まった……。


 私は孤立した。ブザーの沈黙は、学校の休み時間の始まりを告げた。ぞわっと背筋が痺れる嫌な寒気。どこか遠くできゃっきゃと騒ぐ黄色い声が聞こえたような気がした。

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