第3話 某魚店化け猫騒動

 お兄さん、そろそろ店じまいよ。

 あら、かつおのたたき、そんなに食べてくれたのね。ありがとう。

 どう、専門店の魚料理。楽しんでもらえたかしら。一階が魚屋、二階が食べ物どころっていう作り、最近流行っているのよねえ。ウチも結構老舗なんだけど、今のスタイルに乗らないとって思って。

 ――え、古い店なら面白い話がないですか? あら、メモ帳まで取り出して。お兄さん、ルポライターか何か? へえ、文筆家。このご時世に大変ねえ。

 じゃ、ラストオーダー頼んでくれたら、考えるわ。

 海鮮ちらしに、オレンジジュースね。お酒でもいいのに。

 ――え、手元が狂っちゃうから遠慮? なかなか仕事人なのね。


 はい、お待ち。お父さんがラストだからって、カニを多めに入れてくれたわ。ゆっくり食べていって。

 それで面白い話だっけ。じゃあ、ウチに伝わる「化け猫騒動」の話をしようかしら。

 あら、どうしたの? ちらしの酢飯が甘すぎた?

 あ、ありきたりのネタでつまらんって言いたいのね。確かに有名どころには及ばないけど、私たちには真剣な話よ。

 つまんなかったら、うまく脚色なさいな。文筆家でしょう?

 キツイのはお互い様よ。用意はいい? 話すわよ。


 今をさかのぼること、三百年と少し昔。このお店ができたばかりの頃。と、いっても最初は別の場所にあって、わけありでここに移ってきたんだけどね。

 かの五代将軍、徳川綱吉の出した「生類憐みの令」。

 これが新井白石によって廃止されて、間もない時ね。犬を中心とした生き物に苦杯をなめさせられていた人々は、暗い報復を始めたわ。

 地方だから、特に徹底されていたわけではなかったけど、家族が役人に秘かにチクられた家も多かったから、余計に、ね。

 ひどい時には、畑の穴の中に、一晩で何匹もの猫の死体が放り込まれたことがあったわ。航海の守り神とされていた漁師たちの三毛猫を除き、野良猫と見れば即始末よ。

 猫絵って知ってる? 猫を描いた絵。当時、猫は高級品として取引されていた。だから、金づるをみすみす自分たちで潰している、妙なジレンマが生まれてね。その頃に猫絵が流行ったのよ。

 ネズミから、様々な道具を守ってくれる猫。リサイクル社会の江戸だけに、持ち物は一分たりと無駄にしないし、一秒だってその寿命を永らえさせるのに、気を使っていたの。本物の猫が数を減らした今、人々が頼るのは絵の中だったわけ。


 そして、ここからが本題よ。

 照り上がる、夏の日のこと。ああ、照り上がるって、日照り続きの猛暑ってニュアンスね。

 店先で、一匹の魚を盗んだ猫がいたの。店の若い者も追いかけようと思ったんだけど、あまりの日照りの強さに耐えられず、数分で引き上げようとしたんだって。一匹を追っている間に、店にある他の魚を取られちゃ、かなわないからね。

 肩で息をしている彼らをあざ笑うかのように、猫は目の前でペロリと魚を平らげてしまったわ。それを見て、若い衆が諦めて帰ろうとした時。

 

 突然、猫が後ろ足二本で、人間みたいに立ち上がったの。

 驚いた若い衆たちが目に入らないかのように、猫はピョンピョンと円を描くように何度も飛び上がったかと思うと、カッと目を見開いて


「はかったな……おまえら、わしをはかったな!」


 その言葉が、果たして本当に猫がしゃべったのか、若い衆の幻聴なのかは分からないわ。

 結局、その猫はぴょんぴょんと飛び跳ねながら、通りを去っていったの。ちょうど暑い折で、見たものは若い衆以外はほとんどいなかった。

 その不気味さに、縁起が悪いと、まだ日は高かったにも関わらず、このお店はその日の商売をやめて、売れ残った魚を全部処分したのね。

 数日後。町のあちらこちらで、ぴょんぴょんと飛び跳ねる猫たちが見受けられるようになったのね。中には誰かからくすねたのか、手ぬぐいを頭に巻いた猫もいた。

 何匹もの猫が集まって、輪になって踊る。あたかも猫の盆踊りね。

 でも、ずっと見ていた人には、それが踊りではないことが分かったわ。

 どうしてかって? 口からよだれや血を流しながら、猫たちが円を描いて、必死にピョンピョンと手足をばたつかせながら、飛び跳ね続けるのよ?

 踊り狂う。正にその表現がぴったりだったの。そして、猫たちは死ぬまで踊り続けて、今わの際に人間たちを、キッとにらんでつぶやくのよ。


「はかったな」

「呪ってやる」

「貴様らの血筋、必ず絶やさん」


 それを聞いた、人々は震え上がったわ。だけれど人づてに聞いた者たちにとって、それはただの怪談騒ぎに過ぎなかった。

 対岸の火事ほど愉快なものはないわ。それが消せもしない大火事となって、対岸からの空気汚染になるまでは、ね。

 

 そして、悪夢は現実となったわ。

 子供たちの間で、ピョンピョンと飛び跳ねる者たちが現れたのよ。最初はたくさんの子たちが影踏みとかで遊んでいる中に混じっていたから気づかなかったのね。

 その子が突然、鼻と口から血を吹き出し、自分の吐いた血だまりの中で、わけのわからない言葉をわめきながら、手足をばたつかせて死んでいく。

 しかも、一人や二人じゃない。町中の子供たちが同じような症状に見舞われて、次々に倒れていったの。

 発作から死亡までが早い。医者に運ばれた時には、大半が帰らぬ人となっていたわ。

 血筋を絶やす。これほど確実なものはない。子供を全滅させれば、叶う望みだもの。そして、症状は大人たちの間にも……。


 猫の祟り。その噂が町を騒がせ、当時の殿さまの耳に入るほどになったわ。

 民の戯れ言と、たかを括っていた殿様も、ご自分の家来。そして毒見係が同じような症状を起こすようになって、血相を変えたわ。

 最初の化け猫に遭った、店の若い衆が召し出されたわ。話を聞いた殿様が出したお触れ。


「以後、領内にて、魚を食すことを禁ズ」


 当然、多くの魚屋が煽りを受けて、次々と潰れたわ。

 夜逃げ、首つり、一家心中。

 個人の、家庭の、お店の規模に凝縮された地獄が広がった。

 幸運にも蓄えのあったうちの店は、ここに移転して再スタート、というわけね。

 それからの話? さあ。しばらくして祟りは治まり、お触れも解かれたと聞いているわ。

 

 ただ、お触れが解かれたのは、殿様が変わってから。

 前の殿様が田んぼを広げようとして行った、干拓事業が中止になってから、という話よ。

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