3 トレーニングのため…

 それから、彼から目を離せなくなった。通学時間をわざわざ合わせて、気持ちがバレないように着飾って一緒に行くとか、窓から見るとか、何だかストーカー行為に近づいていた。


「あ、おはよう。沙麗さん」

「あっ、あっ、うん!おはよ……翔人くん…」


 唐突に声をかけられて、体が固まってしまう。

 今は朝の6時。私はゴミ袋を捨て場に入れていた時だった。半袖短パンでいかにもスポーツマンの格好だった。


「これから……どこに行くの?」

「走りに行くの。沙麗さんは?」

「普通にゴミ捨て」

「だからそんな格好してるんだ」


 私は今、寝間着姿のまま。化粧もしていないし、……上の下着も来ていなかったため、私は一気に羞恥心に支配されていった。


「……じゃ、俺行くから、またね、沙麗さん」

「う、うん、バイバイ」


 そう言うと、翔人くんはイヤホンをつけ、早いスピードで走っていく。小学生が自主的にトレーニングに励むとは思えない。かといってあの感じの親がトレーニングさせようと言っているわけでも無さそうだ。


「ひうぅ……」


 こんなだらしない姿を翔人くんに見られ、私は真っ赤になった顔を覆い、その場でうずくまってしまう。

 熱くなった頬の熱を直に感じながら、立ち上がる。

 朝から翔人くんに会えるのは少し得した気分にもなった。そのため、私は鼻歌交じりに玄関へと向かっていった。





 学校に行くと、いつも翔人くんの事を考えてしまう。

 今翔人くんは何をしているのか、小学2年生だからかけ算とかしているのかな?なんて、どうでもいいことを考えてしまう。


「沙麗?どうしたの?」


 私の古くからの友人、鈴井 れんに声をかけられる。


「んー?」

「なんかいい事あった?」

「んふふーっ、いーや?なんもないっ」

「何もないやつがヘラヘラ笑うわけないでしょ……」


 何故か、この気持ちは誰にも言いたくない。広まるのが嫌だからとか、そういう訳でもなくて、この翔人くんへの気持ちは閉じ込めたままでいたい。


 授業中も昼休みも、一回必ずは翔人くんの顔が浮かんでいた。






「好きですっ。付き合ってください!」

「……」


 この時間は嫌いだ。

 話したこともない男子が、右手を差し出し、頭を下げていた。

 私は高校の頃は人気者ではあった。容姿もモデルに引けを取らないスタイルと顔立ちで、男子、女子、先生からも人望は厚かった。


「えと……ごめんなさい」

「…は、はい……」


 返答に困る。スパッと断れればいいのだが、いつも声が震えてしまう。


「はぁ………」


 男子の横を通り過ぎて、私は校門へ向かう。いつもはこの帰り道を憂鬱だけど、翔人くんと出会って、私はスキップで帰れるようになった。


「れーんっ」

「わっ、やっぱり上機嫌じゃない、沙麗」

「えへへー」

「…………さては男ね」

「えっ!?い、いや……違う……よ?」

「男ね?」

「………はい……」


 憐の洞察力には相変わらず敵わない。私は諦めるように頷く。


「あらあら、沙麗にもやっと春が来たのね。以前まで男にすら興味なかったもの」

「う、うるさいなっ」

「で、誰なの誰なの?」


 憐がズイズイと踏み込んでくるので、私は数歩後ずさる。


「れ、憐には教えないよ」

「へぇ……」


 憐は諦めたように前にスタスタと歩くと、少し大きめな声で「沙麗が惚れるなんて余程のイケメンなのね」と茶化すように言ってきた。


「うぅ……」


 私は唸りながらも憐の後に付いていく。







 家の付近にいると、翔人くんはまた家の前でトレーニングをしていた。

 どうやら、走り込みのあとのようで、汗を垂らしながら息を切らしていた。


「あ、沙麗さん……」

「え、偉いね、そんなにトレーニングしてて…」

「あ〜、まぁ、色々と……」

「どうしてそんなにトレーニングするの?」


 冗談半分で聞いたつもりだった。

 しかし、それを聞いた翔人くんの顔は恐怖と絶望に塗り替えられていた。その顔には私も驚いた。


「えと……それは…あんまり……」

「い、言いづらいことならいいよ……ごめんね、なんか…」

「いや、大丈夫。あ、良かったら」

「ん?」


 翔人くんが一歩踏み出し、顔を輝かせてこちらを凝視していた。


「沙麗さんもトレーニングする?」

「え?」

「いい汗かけるよ。高校生なんだから勉強で疲れてると思うし」

「え、ええと……」


 私は運動が苦手な訳では無い。女子の中でも上位の足の速さと泳力を持っている。

 しかし、翔人くんと一緒に行うとなると、顔が熱くなって、溶けてしまいそうだ。


(ど、どうしよう……)


 確かに、最近はずっと食べては遊ぶの繰り返しで、完全に堕落していたから、体重計からは遠ざかっていた。


(いや、ここは翔人くんと距離を縮めるチャンスでは?)


 ふと、私の思考によぎった一つの考えだった。

 しっかりと翔人くんを見据え、私は力強く伝えた。


「するっ、私も」

「決まりだね。公園に行く?それとも家で?」

「家……?」


 私は翔人くんのその言葉に首をかしげた。

 しかし、私の脳の歯車は一瞬にして繋ぎ合わさった。


「そ、それはつまり、翔人くんの家にお邪魔するということですかっ!?」

「えと……はい…」


 私の取り乱しように少し後ずさりながら弱々しく答える翔人くんの顔は可愛かった。

 私は考える余地もなかった。なぜなら、思考よりも先に脳が首を縦に振らせたから。


「い、行きます行きます!翔人くんの家!」

「おっけーい。じゃあ行こう」


 翔人くんはくるりと身を翻し、家へと向かった。

 私はその背中を見つめながら小走りでついて行った。











 お向かいにある翔人くんの家は綺麗だが、大きさはうちとあまり変わらない。

 翔人くんは鍵を取り出し、素早く回し、ドアを開いた。


「さ、入ってー」

「お、おじゃましまーす……」


 片言になってしまったのは、緊張が現れているからだろう。私は両頬を叩いて、気持ちを落ち着かせた。


「あっ」


 翔人くんが靴脱ごうとした瞬間、何かに気づいたのか動きが静止した。

 彼は振り返り、私の全身を見た。全然いやらしくないのに、何故か赤面して硬直してしまう自分を恥じた。


「その格好じゃ、運動できないよね?一度着替えてくれば……」

「へっ?あ、あー、そう、だね。うん、一度帰るよ」

「分かった。待ってるよ」




 私は身を翻して、自分の家へと向かった。

 素早く家へと入り、自室へと走っていく。その間、私の心臓の鼓動はいつも以上だった。

 よく考えると、小学二年生に緊張している高校生ってなんだか変な感じだった。


「これ…かな…」


 運動するとはいえ、格好悪い姿は印象を悪くしてしまう。できるだけ、可愛くてスポーツ出来る子みたいな感じを醸し出そうとした。


「これだ…」


 メッシュ素材のTシャツに下はハーフパンツ。運動用に用意していたが、滅多に使われなかったものだ。

 そして、ストレートに伸ばしていた髪をまとめ、ポニーテールにする。


「…よし」


 鏡で確認し、勢いよく出る。そしてそのまま翔人くんの家に直行、すぐさまインターホンを鳴らした。


「どうぞ、沙麗さん」

「おじゃまします!」


 ドアを開けた翔人くんはもう少し汗をかいていた。


「翔人くん、私が家に行ってる間もトレーニングしてたの?」

「ま、まぁ……」


 やはり気になってしょうがない。小学二年生の彼がここまでトレーニングをする理由。

 でも、翔人くんは多分それを聞いて欲しくないんだと、そう直感が語っていた。


「翔人くん、余計なお世話かもしれないけど、筋トレをしすぎると、成長が止まっちゃうんだよ?」

「最近は、自重トレーニングなら、問題ないことが証明されたんだ」

「じ、じじゅ?」

「自重トレーニング。腕立て伏せや腹筋とか、用具を使わないもの」

「へぇ……」


 確かに、自分の体重を支えるだけなら、問題がないのと少し納得ができる。

 用具を使ったら、無駄な筋肉が付いてしまうかもしれない。


「じゃあ始めようか」

「よろしくお願いします……」


 とはいえ、緊張が無くなるわけでは無かった。翔人くんの顔はもう先程までののほほんとした顔ではなく、完全にスポーツマンのそれだった。

 その顔に数秒見とれていたことは内緒だ。


「まず、腹筋だね。沙麗さん、1分間で何回くらい?」

「え、えと……」


 私は以前に行われた体力テストの結果を思い出しながら答える。


「曖昧だけど……多分20前後…」

「……まぁ、女子高生がそれくらいなら、2分間で30回を目指そう」

「わ、分かった」

「じゃ、俺抑えるから、してみよう」

「へっ?」


 聞き間違い?それとも……

 私は素っ頓狂な声を上げて硬直してしまう。翔人くんは「倒れて」と言ってきた。私ら言われるがまま、倒れて、膝を直角に曲げた。

 すると、私の足に翔人くんはストンと座った。


「うひゃぁ!?」

「わっ、どうしたの?」

「い、いや、急に乗ったから」

「あ、あぁ、ごめん、嫌なら……」

「う、ううん、大丈夫!」


 翔人くんがこんなに近くにいるっ。私は心臓が破裂しそうなくらい跳ね上がっていて、顔を真っ赤になっているんだろう。


「じゃあ始めよう…………よーい、どん」


 翔人くんは右手のストップウォッチを押した。私はもうがむしゃらに腹筋をするだけだった。

 ………はずなのに


「っ!?」

「っ!?」


 体力テストで誰もが経験があるのではないだろうか。

 体を持ち上げた後、支える側の顔に限りなく近づいてしまうこと、それが今ここでも起きた。

 翔人くんも流石に驚いたのか、顔を赤くして顔を逸らした。


「あっ、ごめ……」

「う、ううん」


 お互い、顔を逸らして、赤面しながら腹筋を続けた。

 その間、私は思うように力が入らかった。でも、翔人くんの期待にだけは応えたくて、死ぬほど頑張った。

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