過去話 ~沙麗と翔人が「できる」まで~

2 初恋

 私は「恋」という感情に陥った事がなかった。

 少女マンガやアニメで心臓が高鳴り、顔が赤くなる。そんな迷信のようなことがあるのなら、私はそれこそ滑稽だと思っていた。

 高校時代、舞原高校の3年生の夏。

 私は友人と遊びに遊び尽くしていた。受験勉強なんてない、テストなんて眼中に無い。汚れきった私。


「沙麗、UFOキャッチャー上手いんだね」

「でしょでしょ?やることないから、これだけにつぎ込んじゃってねー」

「ははっ、人生どん底まっしぐらじゃん」

「それでいいの」


 私はもう人生に飽き飽きしていた。別にイジメを受けているわけでもなく、親からの虐待もない。何故かこの日々が真っ白になっていたのだ。


 そんな白い日々に、彩を添えてくれたのは、11歳年下の小学生だったんだ。


 今日もいつも通り友人と遊び、帰りのカフェで今日あった高校の出来事を話す。

 正直、舞原高校はこの地域ではトップクラスの進学校なので、勉強を全くしないなどご法度だ。しかし、私は勉強しなくてもいい点が取れるので、プリントや教科書に手をつけなかった。

 友人とココアを飲みながら対面して話す。


「それでね、田中がさー」

「あははははっ、だっさー」

「君たち、どこから来たの?」

「……」


 ナンパだ。こんなの、世間に疎い私でも一瞬で察することが出来た。私と友人はその場でそいつを睨みつける。


「良かったら俺と遊ばない?ちょっとそこの路地裏で」

「結構です。この後用事があるんで」


 私はキッパリと断る。曖昧な答えは返って嫌な雰囲気のまま連れていかれてしまうと、友人が言っていたからだ。

 しかし、目の前の男は予想外の対応を取った。


「おっとと、ひどいねぇ……ちょっとでいいからさ……」

「っ!」


 男の右手には銀色に光る何かがあった。

 ナイフである。玩具には見えない。人間を殺すことも出来る道具だ。

 私は体の震えが止まらず、その場で硬直する。


「どうする?俺と一緒に来る?」

「……」


 友人は先に立ち上がり、男について行った。私はそれを追うように後についた。


 連れていかれたのは、カフェの裏の路地裏。ゴミの臭いがきつく、思わず鼻を塞いでしまうほどの悪臭。

 そして、そこで男は立ち止まった。


「ここで何をするつもり?殺すの?」

「そんなわけないだろう?理由もない女を殺すやつがどこにいる?」

「じゃあ何をーーーー」


 私の両腕が男に掴まれる。そしてそのまま広げられ、大の字で壁に衝突する。


「こぉんな可愛い子にイタズラするのが好きなんだ」

「ひっ……」


 鼻息が荒く、涎を垂らしながら顔を近づけていく男。友人の方を見ると、他の男に拘束され、その場で座らされていた。


「やめてっ!」

「おっとぉ、抵抗はするなよ。お前も見ただろう?「これ」があるんだよ」


 取り出したのはさっきのナイフ。差し込む光に反射して、私は目を塞いだ。

 怖いっ………今から殺されるッ。

 ナイフが私の太ももを切る。ピリッとした痛みがまた恐怖感を煽り、そこからは赤い鮮血がツーっと垂れた。

 そんな命の危機に私は全身の震えがさらに増した。しかし、そんなことをしても助けなど来るはずもなく。


「可愛い反応すんじゃねえか…」

「い、嫌っ!!」

「じゃあ、いただこう……」

「い、嫌ぁぁ!」



「わ、何やってるの?おじさん」



「はぁ?」


 サイドから声が聞こえる。それはまだ幼く高い声。男が一瞬力を緩めたので、私は声がした方を見る。

 そこには半袖短パンの少年がいた。背も私より小さく。長い黒髪が髪留めによって上げられている。美少年とはこのことを言うのだろう。


「誰だ?テメー」

「え?あ、通りすがりの小学生だよ」

「悪いな、今はお取り込み中なんだ。出てってもらえるかな?」


 そう言って、男は少年にナイフを向けた。普通なら怯えて逃げるはず、しかし、目の前の少年はそんなものにはびくともしなかった。


「あ、カッコイイ玩具だね。俺にも貸してよ」


 そう言って、男に突進する少年。男は驚きはするものの、そのままナイフを振り上げ、少年を切ろうとする。

 私は思わず少年に向かって叫んだ。


「ダメっ!逃げてっ!」

「ちょっとお灸を据えないとな!」

「無駄」


 少年の足が男の顔面に炸裂する。私は少年の跳躍力に驚きを隠せず、その場で呆然とそれを見てしまう。


「くっそ、このガキっ……」

「おーおー、ガキに怒ってるよこのおじさん」


 そのまま少年はまた跳び、次は右拳が顔面に抉られ、男の鼻からは大量の血が噴き出す。そのまま倒れた男に馬乗りになり、数発殴った。

 男が気を失った所で少年は殴るのをやめ、立ち上がった。

 その頃には連れの男は走って逃げていたようだ。私と友人は少年に問う。


「き、君は?」

「俺?浅鍵 翔人。小学2年生」


 今期最大の驚きだった。小二の彼が大の男をあそこまでボコボコに殴り、撃退する力がある。

 そんな現実を受け入れられない私は少年を見つめていた。


「まぁ、二人共無傷で良かったね。バイバイ」

「あ、ありがと!」


 友人はいち早く立て治り、少年にお礼を言う。それを少年は後ろ向きで右手だけをヒラヒラと振った。

 私はその時に、心臓が大きく跳ねた気がした。それも苦しいものではなく、柔らかく跳ねた。

 顔も熱い。何も考えられない、少年の後ろ姿だけが脳裏に焼き付いた。

 それが浜名 沙麗の初恋の相手、小学二年生の浅鍵翔人との初めての出会い。




 それから数週間後、向かいの家に一組の家族が引っ越してきた。

 私は絶賛一人暮らしであり、親は出身地の横浜に滞在しており、私がいるここは、川崎市である。

 私の家の向かいは新しく建設された一軒家であり、まだ誰も購入者がいなかったのかと、私は思った。

 インターホンがなり、私は階段を降りて玄関に向かった。

 玄関を開けると、金髪の美人な人が出てきた。

 随分綺麗な人だなと黙って容姿を見た。


「はじめまして、浅鍵と申します。この度、向かいの家に引っ越して来ました。何卒よろしくお願いします」

「あら、これはどうもご丁寧に、浜名です。よろしくお願いします」


 浅鍵……どこかで聞いたことがあるな……

 私はそう不思議に思った。あまり無い珍しい苗字だからだろうか、どこか懐かしい感じがした。すると母親の背後からひょこっと小さな少年が飛び出した。


「あっ」

「……あっ」


 私と少年の目が合う。お互いが目を見開き、驚きの表情を見せた。

 長い髪は髪留めで固定され、黒い双眸が吸い込まれるようなブラックホールのよう。

 間違いない、あの少年だ。


「ああああああ!?」

「えええええ!?」

「ど、どうされました?」


 こうして私と翔人はまた再開した。

 これが私の人生を左右する大きなことになるなんてことも知らずに。

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