【2】りかく(離隔・釐革)

黒紗幕(くろしゃまく)〔つなぎ幕〕

 古びた劇場。裾が破け、色あせた赤の舞台幕。埃っぽい空気。

 周囲が暗くなり、開幕の準備が整う。

 開幕のブザー。 

 錆びた金属が擦れる音を立てながら幕が開く。


 三つの男性の影。シルエットから、簡素ではあるが、肘掛けのある木製の椅子に座っていることが分かる。

 正面から見て、左の男性にスポットライトが当たる。

 肩肘を張らず、日常の場面から切り取ったかのような自然な姿勢で椅子に座っている。

【恋とは】

男性A「恋をするのに時間は関係ないっていうのは、よく聞く話だね。理屈で説明しきれないけど、心が惹かれる。もっと知りたい、もっと一緒にいたいと願ってしまう。どこまでも相手を欲してしまう。何故ここまで惹かれてしまうのか、どこが好きなのか、何故好きなのか、全てを理屈で語れてしまえる好意は、恋ではない……。――強ち間違ってはいないかな。僕としては、恋を理屈で語れてしまった途端、その恋は条件つきの恋になってしまうと思っているんだ。『この人だから好き』以上の何か理由を見つけてしまったら、それがその人を好きでいる条件となってしまう。そして、条件つきの恋は条件が欠けた途端に崩壊するんだ。そうやって恋は冷めるものだけど、同じ相手に何度も恋をすることだってある。それは、その人がその人だから好きで、それ以上の条件がないから恋をしてしまうんだろうね。恋は惚れるけど、愛は愛でる。恋と愛は別物。愛と愛着も別物だろうね。恋は盲目になってもできるものだけれど、盲目な愛は愛とは言えないかな。それはもう愛ではなく、執着だから」

 男性Aは、少し考えてから付け加える。

男性A「恋は突然落ちるものだよ。落ちようと思って落ちるわけではない。恋ができないのは、落ちるのが怖いのか、それとも恋ができるほど相手に期待をしないのか……」

 男性Aの悩ましげな長い溜息と共に、男性Aを照らしていたスポットライトが消える。


 正面から見て、中央の男性にスポットライトが当たる。

 肘掛けに両肘をつけて、膝の上で指を軽く組んでいる。椅子が簡素な椅子であっても、彼が足を組んで座る姿は実に品格高く、職人が作った高級な椅子にさえ見える。

【愛着とは】

男性B「(口角を片側だけ上げて笑う)所詮、時間と行為の積み重ねですよ。最初は好きでも何でも無かったとしても、手間と時間をかければかけるほど、愛おしく思える。そこに見返りを求めるのかは、その人次第。自分が勝手に手を掛けてきただけですよ。対象が何も語りもしない、何もできもしない『物』であったら、楽でしょうね。しかし、それが人間だったらどうです? 『これだけ時間をかけてきたのに』『これだけやってあげたのに』……。ほら、手前勝手ですねぇ。だから、そういう人間は、対象となる生物の権利を無視してしまうんです。自分にとって都合のいい人形であることを対象に求めてしまう」

 男性Bを照らしていたスポットライトが消えると、今度はアナタにスポットライトが当たる。目の前には、河辺にあるような石が沢山ある。いつの間にか、男性Bがアナタの前に屈んでいた。頬杖をつき、うっとり見蕩れてしまいそうな微笑みをアナタに向けている。

男性B「この石を積み重ねて、石の塔と作ってください。お好きな高さで結構です」

 賽の河原のようだ。

 そう思いながら、アナタは石を掴み、一つ一つ丁寧に積み重ねていく。石と石がカチン、コトンとぶつかる音が、静寂の空間に響く。

 やっと石の塔の高さが六十センチになろうとした時、男性Bが塔を蹴り崩した。無表情で男性Bはアナタを見下ろす。

男性B「どうです? つらい? 哀しい? それは何故です? そんなもの、ただの石の積み重ねにすぎないのに。出来上がったところで、何の意味も持たない石の塔にしかならないのに。石の塔に、後付けの意味でも加えるつもりだったのですか?」

 アナタは俯く。涙が溢れてくる。男性Bは片膝をついて、アナタに優しく声をかける。

男性B「……ああ、そんな顔しないで。分かっていますよ。アナタにとって、この石たちはただの石ではなくなってしまったんです。大丈夫。僕が慰めてさしあげますよ。だから、

 暗転。


 正面から見て、右側の男性にスポットライトが当たる。

 椅子の背面を正面にして、椅子の背に腕と顎を乗せている。男性Bは中央の定位置に戻っていた。

【愛とは】

男性C「マジかよ。それ、オレに訊く?」

 とは言いつつ、男性Cは律儀に答えだす。

男性C「愛ってのは、見返りは求めねぇなぁ。時間も関係ない。ついさっきすれ違っただけの人が落とした物を拾って、届けてやるのは愛だな。知り合いでもなんでもない怪我人の手当を無償でするのも愛。そう考えると、ナイチンゲールやマザーテレサは愛の人よな~」

 男性Cは椅子の背を掴んで二回前後に体を揺らした。再び椅子の背に腕と顎を乗せる。

男性C「愛は与えるものだ。愛を欲しがっている奴は、愛に期待しすぎている。愛は期待に応えるためには存在しない。だから、愛は求めるものではないな。いくら愛しても、相手が幸せにならない愛は、くれてやるべきじゃない愛だ。自分がいなくても幸せそうなら、そいつの傍から消えてやればいい。相手の幸せのために、与えることもできれば、時には何もせず見守ることも、姿を消すこともできるのが愛だ。相手の人生を邪魔するのは愛じゃない。相手を不幸にするのも愛じゃない」

 男性Cは鼻から大きく息を吐いた。疲れたように、腕に頬を乗せた。

男性C「失恋という言葉はあるが、失愛という言葉はない。だが、愛はしばしば疑念によって迷子になる。たとえ、それが小さな疑念であったとしてもだ。……これ以上、言葉だけでは愛を説明しきれない。愛は体験せねば真に理解はできないからな……」

 男性Cを照らしていたスポットライトが消えた。


 錆びた金属が擦れる音を立てながら幕が閉じられた。

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