9.任務終了
繁華街から郊外の住宅街を抜け、更に未開発の宅地造成予定地や公園を抜けた、有料道路のインターの近くという雑木林の中に、英美の兄が立ち上げたという組織のビルが見えてきた。
六階建てで灰色の壁のそのビルは、窓が少なく凹凸もなく、何のビルなのかまったく想像がつかない外観だった。
周囲をぐるりと囲む塀が無駄に高めな上に、監視カメラが露骨にわかるほど設置されていて、刑務所か?とすら思わせる雰囲気に居心地の悪さと胡散臭さが感じられたが、これは先入観かも知れない。
『PA研究所』と書かれた門を抜けた先には、二十台ほどは駐車できそうな駐車場に五台ほどの車が駐められている。いずれもごくごくありきたりなセダンと軽自動車だ。
適当に空いているところへ車を駐めて間もなく、建物から白衣姿の若い男が出て来るのが見えた。あれだけカメラの監視があれば、部外者が来たのはすぐにわかるだろう。
駆け寄ってきたのは、見せられた写真のまんまな、兄であった。
その様子からは、いなくなった家族を心配していた、そんな普通の表情しか読み取れない。
俺たちは車から降りた。
気まずそうな英美は、やや俯き加減だ。
助手席から下りた俺はくるりと回り込んで、ふたりの間に割り込む。怪訝そうにこちらに視線を向けた兄に、雅巳から受け取っていた名刺を取り出した。
「捜索依頼を受けていた相談所のものです。隣町の店でたまたま見かけまして、同意の上、保護させていただきました」
風間さん、ね、と確認するように名刺を一瞥して白衣のポケットに入れると、握手の形に手を差し出してきた。
背格好は俺とほとんど変わらない。思った通りの中肉中背というところか。眼鏡と白衣と七三っぽい分け目がインテリ優男を演出しているが、そこに写真で見たような酷薄そうな顔は窺えない。
「お手数をおかけしまして……ああ、僕は彼女の兄の、御島治彦と申します」
差し出された手を、何の違和感も抱かずに俺は握り返した。
「こんなところでは何ですので、お礼のこともありますし、どうぞ中の方へ」
手を離し際、治彦の表情が変わったような気もしたが、気にせず俺たちは建物へと入っていった。
建物の中も、外観と同じく何の建物かわからない感じの、無個性で無機質な、飾り気ひとつない素っ気ない作りだ。
受付らしいエントランスには誰もいない。入居前の内覧会でももっと人の気配はあるぞ、と思いながらも、きょろきょろしてはみっともなかろうと好奇心を押し殺して、廊下を進むふたりの後を付いて行く。
やがて立ち止まり、他の部屋とは何の区別もなさそうな一室のドアを開けた。
招かれるまま入ると、ぱっと見はごくごく普通の地味な応接室だった。
「好きなようにお掛け下さい。今、報酬の方を持って来ますから」
淡々と言って、治彦は英美を伴って部屋を出た。
応接室セットと角には事務机、その脇には廊下ではない隣室へでも繋がっているらしいドアがひとつ……だが、一階の部屋だと言うのに、窓がなかった。
これは……厨二くさいだろって笑った案の方がしっくり来るんじゃあ……?
胡散臭さ倍増ってところか。
ふぅ、ひとつため息をつくと、俺はソファに腰を下ろした。
ふたりが姿を消してほどなくして、ひどく不自然な雰囲気の没個性的なスーツ姿の男が、コーヒーを運んできた。雅巳たちのところへ依頼に使われたヤツなんだろうか、と世間話のノリで話しかけてみたが、まったく反応がない。
相槌すら打たず、ただ黙々と動いている。
「確かに人形って言い方が合ってんな」
ぼそり、漏らした独り言は耳に入ったのか、人形はこちらを見た。
ただ、それだけだった。
さっさと無言でコーヒーを並べると、廊下ではなく、もうひとつのドアの向こうへと出て行った。給仕室でもあるんだろうか。あれでも入って来たのはどこからだったっけか?
ともあれ、さすがにコーヒーには口をつけにくい。一服盛られていないとも限らないしな。
窓もなければ目のやり場もないわけで、寝不足気味の眠い目を擦りながら待っていると、コーヒーが冷めてきた頃合いにようやく治彦が廊下側のドアから戻って来た。
向かいのソファに腰を下ろすと、やや厚みを感じさせる封筒をテーブルに滑らせてこちらに押し出す。
「お待たせしました。こちらが報酬です。ちなみに、英美はどこにいました?」
治彦の視線は値踏みをするようだった。
使えるか使えないか、敵か味方か……単純に人事の面接みたいでもあったが。
封筒の中味をちらりと一瞥して確認すると、そのまま背広の内ポケットに収める。
「俺は、依頼した事務所の隣で兼業みたいな感じで店をやっていてね。たまたまそこに彼女が現れたから、ああ依頼で探しているのは彼女かな?てね。慎重に打診したら間違いないらしくて、説明の上、確保してこちちらへ連れてきたってわけだ」
まったく嘘は言っていない。
こいつの能力がサトリ的なモノだったらめんどくさいからだ。
だが、そうでもないらしい。
いや、もしもそうだったら、そう考えたコト自体がすでに筒抜けか。
「よかった……家出かとも思ったんだけど、事件に巻き込まれてたりしてたらどうしようかと心配で……」
ほっとしたのか肩の力が抜けたように喋る様子は、普通の、家族を心配する若者と変わらなかった。
「家出と言うか……こちらにお住まいなんですか? お勤めの会社に住み込みってところですかね?」
くるり、部屋を見回して尋ねた。
治彦は眼鏡の中央をくい、と押し上げこちらを見た。
一瞬だけ、表情が変わったような気がした。
「まぁ、そんなところです。学生時代に両親を亡くしまして、父の片腕だった人に引き取られたんですよ……それがここの所長さんで、そのまま就職、住み込みという形で、今に至るわけで」
「そうだったんですか。連れて行く先が普通のご自宅じゃなかったんで、不安にもなったんですが、それなら納得です」
にっこり愛想良く笑むと、俺は腰を上げた。
あまり質問を重ねては不審に思われかねない。
切り上げ時だな、と感じた。
「では、英美さんにもよろしくお伝え下さい。今度は家出とかじゃなしに、コーヒーでも飲みに来てくれと。ああ、よろしければ、もちろんお兄さんもどうぞ。サービスしますよ」
「それはそれは。あまり外には出ないんですが、出掛けた時には是非寄らせていただきますね。楽しみですよ」
社交辞令の応酬をしつつ治彦自ら先に立ってドアを開けると、そのまま真っ直ぐ出入り口まで誘導される。
何か尋ねようとするも、所長の許可がないと、あまりここのコトは話せない決まりなんですよ、と全て軽くいなされてしまった。その口調と素っ気なさは決まりとかなくても話す気がないと言わんばかりでもあったが。
車に乗り込んでエンジンを掛け、会釈を交わして車を出す。
その間、ずっとそんな調子でロクに会話としても成り立たない状態だったのは多少なりとも気になったものの、英美が居辛くなって家出したというのはなんとなく理解出来た。
それでもまぁ、この素っ気なさなら、また会うコトもないだろう、と楽観視しつつ、俺はちんたらのろのろとしたペーパードライバーらしい運転で店へと戻っていった。
だが、直感は見事に外れた、と後日の俺は頭を抱えるコトになるのだった。
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