23話「失敗作は殺した」
ミズキとサラベルの話では、俺が目覚めたのは俺たちが分かれてから、五時間と経たないくらいの時間だったらしい。詳しく時間は覚えていないが、それはつまりだいたい俺が気を失ってから二時間くらいたっているということだ。そこまで距離は離れていないはず。
とはいえここはまだ森の中。この森に棲んでいる俺たちですらそのすべてを知っているわけではない。大体この場所は特に開拓もされておらず、どこにいようが同じような光景に見える。
つまるところ、彼女がどこにいるのか見当もつかないのが現状だ。
あの後俺たちは手分けすることにした。正直何の能力もない俺がエルサと出会ったら何ができるかと言われれば、特に何もない。だが時間を稼ぐくらいはできるだろう。エルサはおそらく俺たちに興味があまりない。だからこちらから敵対しない限り、攻撃はしてこないはずだ。
あたりの気配を探りながら、草木をかき分けつつ進む。手に持つのはいつもの死剣だ。だが今となってはただの剣。能力のない俺が神器を使うわけにはいかない。
この森はあまりにもいつも通りだ。頭上を覆う木の葉の隙間から月明りが差し込み、魔力の多さから澄んだ空気があたりを埋め尽くす。だがほのかに香る血の匂いが、やはり今は異常事態なんだと実感させた。
足を進めるにつれ、血の匂いが濃くなる。こちらが正解だと、俺の語感が告げていた。
「当たりか……」
血の香りが最高潮に達した場所。舌をだらんと垂らし、息絶えた巨大の狼が、そこにいた。胸には一本の剣。見覚えがある。ケジルが幾多と放ってきた、あの剣だ。
「魔法を使えるのか」
いや、考えてみれば当たり前だ。
ミズキに聞いたメルの本来の能力は
エルサがそれを使ってケジルから能力を奪ったのなら、使えて当たり前。
だがこれはチャンスでもある。
元々魔法は人間には使えない。それは女性ですら数発使えば魔力が切れるほどに、大量の魔力を使うからだ。ケジルはおそらくそれを魔剣でカバーしていたんだろうが、エルサはそこまでは奪っていない。
そもそもメルの魔力はただでさえ少ない。メル自身の能力も今日だけでかなりの回数使い、それに加えて魔法まで。おそらくもう、彼女は多くは能力を使えない。
「……とにかく、探そう」
まずは見つけてからだ。再び俺は足を進めた。
一応彼女に悟られないように、足音を消して。だがそれでいて急いだまま。感情に任せて走れないのが、何ともいじらしい。
息を深く吐き、心を落ち着かせる。
大丈夫。慌てるな。必ず助ける。
◆
「――いた」
木々のシルエットの中たたずむ空色。見慣れた後ろ姿を視界に収め小さく呟いた。
間違いない。エルサだ。少し前に見た姿と何も変わっていない。
「ふぅぅ……」
もう一度息を吐く。
落ち着け。今飛び出しても、勝機は薄い。
武者震いをする腕を、自分で強くつかんだ。
こうして見てみれば、なんとなくその背中は先ほどより小さく見える。足取りも遅い。俺の予想に違わず、彼女は消耗しているようだった。
そのまま彼女は木の陰に腰を下ろした。木にもたれかかるその姿からは明らかな疲労を感じる。
ふと、このまま飛び出てしまいたい衝動に襲われる。
だが待て。このまま出て行って、何をするつもりだ? まだメルを取り戻す算段すらついていない。前回と同じく呼び掛けてるくらいしか考えはない。
今はまだ、ミズキとサラベルがここにきてくれるまで待つのが吉だ。もし何か行動を見せたら、その時接触すればいい。
だがその時は、案外早く訪れた。
「――ん?」
木にもたれ、空を見上げていた彼女が立ち上がった。
すると突然――轟音。バキィッ! という音とともに空間が
なんと表現すればいいのかわからない。でも何もない空間にひびが入ったように線が引かれ、そこから縦に長い楕円形の鳴きかが広がったのだから、割れたというのがやはり適切だ。それはゴォォオオオと音を立て、向こう側が見通せないほどの闇に埋め尽くされている。
「なんだ、あれ……」
魔法の一種? それともメルの能力? 全く見当がつかない。
頭を悩ませている間に、エルサは行動を開始した。
その穴の方向に、足を進めたのだ。
「――っ」
気が付けば俺は茂みの中から飛び出していた。俺に背を向けていた彼女はまだ気づかない。奪われていなかった死剣を取り出し、彼女のもと向かって駆ける。
嫌な予感がしたのだ。あの穴から彼女がどこかに行ってしまうような、そんな感覚がした。
「エルサ! 待て!」
走りながら剣を振る。あくまでその狙いは動きを止めること。エルサの足めがけ、横薙ぎに剣を振るう。
ピクリとエルサの肩が震えた。彼女はとっさに飛びあがり、俺の攻撃は宙を切る。着地すると途端に彼女は体を回転させた。空色の髪が舞い、改めて彼女の無機質な眼が俺を捉える。次いで視界の隅にかすかな光。
「――っ!」
全身に寒気。足先から頭の隅まで細かく震えるような。例えるなら生物的な恐怖。
とっさに俺はのけぞった。数瞬後、先ほど俺の頭があった場所を一筋の光が切り裂いた。宝石のはめられた煌びやかな短刀――メルの神器、奪刀ロブベラ。
俺はそのまま後ろに飛びのいた。彼女は追ってこない。
彼女の近くにあった穴はもう消えていた。そこまで長くは維持しておけないのだろうか。
エルサはそれを見て舌打ちを一つ。苦々しい表情を浮かべる。だがそれも霧のようにすぐ消えた。
「さっきぶりね、失敗作さん?」
余裕そうに、エルサは笑って見せた。反対に俺は苦虫を噛み潰したような顔をしてしまう。
「そんなにこの子が大事なのかしら? 能力を奪ったっていうのに追いかけて――あら?」
そこで彼女は言葉を切り、ニヤリと嫌らしい笑みを深める。
「あははは!! あなた! 震えてるじゃない!」
「……うるさい」
「なに!? こわいの!? こわいのね!?」
何がうれしいのか、何が楽しいのか。彼女は腹を抱えんほどの勢いで笑い出した。
悪いか。ああ、怖い、怖いさ。
とっさに飛び出して攻撃したが、エルサの攻撃が俺を捉えそうになった瞬間、今までにないくらいの恐怖が俺を支配した。
足は震えて、立っているのもやっと。手汗は止まらず、喉も異様に乾いて気持ち悪い。今すぐに逃げ出したいくらいだ。
「……これが、死の恐怖か」
小さく、呟く。
ああ、やっぱり俺は弱い。
今までの俺は勝ってきたが、強かったわけじゃない。ただ死の恐怖を知らなかっただけだ。
強く拳を握る。それもやはり震えていた。
「でも――」
震えていても、死剣は手放さない。足が震えても倒れはしない。
「メルを失うのは、死ぬよりももっと怖い」
そう口にすれば、本当に体の震えが止まった気がした。
今の俺がいるのは、すべて彼女のおかげだ。それは何があっても変わらない。彼女が失敗作だろうと。彼女が転生者だろうと。
そこにいるのは、俺の大切な人。守るべき友人。
俺は剣を構える。それが相手が神だろうと、自分にもう能力がないだろうと。
「だから、メルを返せ。その体は彼女のものだ。お前は出ていけ」
「私に逆らうの? 私に敵意を向けるの?」
エルサは嗜虐的な笑みを浮かべた。それのなんと冷たいことか。口元は妖艶に笑みを浮かべるが、その目は刺さるような視線を飛ばしてくる。
質問しているが、もう彼女の中で俺は排除するものとして認識されているようだった。
「今は精神だけだけど、私はこれでも神よ」
決して敵としてではない。ただ道端に転がる石に向けるもののように。
「――そんな私にむかって、出て行けって?」
「――っ!」
俺は思わず息をのんだ。
迫力自体はそこまでではない。中身が何だろうと、その体はメルのものだ。急に筋力が上がったりとか、素早くなったりとかなんてありえない。
だがそこには、確かに負けを悟らせる何かがあった。
かなわない。不可能だ。そんなネガティブな考えが思考の奥底から引きずり出される。
震えが再燃しそうになるのを、なんとか抑えようとした。
「はっ……」
短く息が漏れる。
ここで引いてはいけない。気を確かに持て、アリウス。
自分にそう言い聞かせる。
「ふぅ…………。ああ、そうだ」
まっすぐエルサを見据える。
実は一つだけ、メルを助け出す方法は思いついていた。以前は無理だったが、今ならできる。エルサを追い出し、メルを取り戻す、何とも都合のいい方法。
だが俺はそれをしたくなかった。それを実行しなくていいなら、それに越したことはなかった。
だがもう、そんなこと言ってられない。さっきの穴はおそらく何らかの移動手段だ。彼女の魔力量からそう何度も使えないだろうが、時間がないことに変わりはない。
もう、あれしか方法はない。
俺は、覚悟を決めた。
「エルサ」
彼女の名を呼べば、エルサの顔つきが変わった。笑みはスッと幻のように消え失せ、底冷えするほどの無表情へと変化する。
俺の頭もすっかり冷えていく。余計な思考をそぎ落とし、すべては彼女のことを――彼女を殺すことだけを考える。
「たとえ死んでも、お前を殺してやる!」
体勢を低く崩し、地を蹴る。
意識はエルサの身を捉える。集中力が極限まで向上し、背景も消えてしまうような感覚。
その勢いのまま繰り出した一撃はいとも簡単に防がれる。そんなことは想定済みだ。次から次へと。動きをつなげるように、止まることなく攻撃を繰り出した。薙ぎ払い、突き出し、切り上げ、振り下ろす。
それをエルサはなんてことないように、最小限の動きで処理していく。
いつぞやの戦いと状況が逆だった。防ぐ側が余裕という点を除けば。
体はメルだがそれを動かしているのは神であるエルサだ。全能ではないといっていたが、やはり技術は高い。
その均衡もエルサの気分次第。長くは続かない。
突然エルサの瞳が光った――気がした。
止まらない動きの中。疲労も俺の中に少しだがたまるのはしょうがないこと。だがそれで一瞬動きのつなぎが途切れ、止まってしまったのがいけなかった。
その隙間に入り込むように。きらめく短刀が俺に迫る。その向こうに見えるエルサの表情は、もう手加減は終わりと言わんばかりに冷たい。
顔に迫るそれを、首を傾けてかわす。それでは避けきれず、深紅の線が頬に走る。
「ぐっ!」
ズキリと痛みが走る。それに顔を歪めながら、前に進んだ。紅の刀身が空間の中を舞う。
エルサはそれをかがんで、横にずれて、半歩後ろに下がり、避ける。ときには短剣の刀身を滑らすようにして対処した。そして攻撃の隙間を縫うように短刀が突き出される。そのたびに傷が増えた。
だがそんなこと関係ない。俺はただただ攻め続ける。
初めて、エルサの表情が変わった。
「なに、あなた。まさか前みたいに捨て身で戦うつもり?」
「…………」
「バカじゃないの? あなたにはもうあの能力はないのよ」
「ああ、わかってる」
でも、だからこそなんだ。
俺は弱い。あれこれ考えたって、作戦を立てたところで、エルサには通用しない。
なら。それなら。
――死ぬ気でやらねば、勝てない!!
強く一歩踏み込んだ。切っ先をエルサに向け、一度引く。
明らかな隙だ。やはりエルサはそこを狙い短剣を突き出してくる。
俺は突きをしようとした。それ中止し、避けるのが常套。
――だが。
「――っ!? あなた……!?」
エルサの顔が初めて驚愕に歪む。
俺はエルサの攻撃も無視して突き進んでいた。
まずエルサの短剣が右肩に突き刺さる。瞬間そこが焼けるような熱を持ち、激しい激痛が走る。表情は歪めるが、うめき声は出さない。出してたまるか。
まだ一歩踏み出す。短剣がさらに体に深く沈む。視界がチカチカとした。意識を放棄したくなる。
「くっ!」
俺は剣を突き出した。うめき声をあげながら、エルサは避けようと体をひねる。だが俺がそもそも無理やり突っ込んでくるなんて予想しているはずがない。エルサはバランスを崩し、そのまま倒れた。
彼女は「ぐっ」と漏らし、俺はその上にまたがる。
奪刀は遠くに飛ばし、俺は死剣を彼女の喉元に突き付ける。
「はぁ……はぁ……」
「まさか、そうくると思っていなかったわ」
俺を見上げながら彼女はそう漏らした。メルの顔に苦笑を浮かべながら。呆れている、のだろうか。だが俺にしてみればこれが当たり前なのだ。
「理解してる? あなたには今、能力はないのよ?」
「あ、あ。わかって、る」
出血が思いのほか多い。視界が歪み始めた。感覚もだんだんと薄れて行っている。
なにをエルサは考えているのか、彼女は逃れようとする素振りを見せない。そんな気が元々ないのか。それとも力のないメルでは難しいと察したのか。
「あなたは死ぬの。きっちり、ちゃんと、何の間違いもなく。わかってる?」
「わかってる」
それに俺は死なない。この程度じゃ死なない。
何度今まで死んで来たと思ってる。転生者の拷問で、何度傷つけられてきたと思っている。
俺は知っている。この程度じゃ、死なない。
それに――
「言っただ、ろ? 『たとえ死んでも、お前を殺してやる』って」
「…………」
そう言われエルサが浮かべた表情はと言えば、驚きが近いのだろうか。目を大きく見開いて、少なくともエルサが浮かべるものとしては初めて見るものだった。
「ふふ、ふふふふ……あはははははっ!」
こらえきれないといったように彼女は大きく笑いだした。
「あははは……どうやら、私の予想は外れたみたいね。能力を奪えば、初めて感じる死の恐怖に動けなくなると思ったけど……そんなにこの子が大事?」
「ああ」
「でも残念ね。あいにく、私は離れる気はないわよ。せっかく手に入れた肉体ですもの」
「ああ、わかってる。だから、殺すんだ」
すこし剣を彼女の首に近づけた。体が震えたのはエルサではなく、俺のほうだ。
カタカタと切っ先が震える。押さえようとしても収まらない。
「どうしたの? 震えてるわよ?」
「……うるさい。黙ってろ」
なぜか楽しそうにエルサは茶々を入れてくる。
俺もこんなことしたくないのだ。でもメルを救うためには、今のところこれしか思いつかない。
「そうだ。これしか……ないんだ」
言い聞かせるようにそうつぶやいた。
もしかしたら時間をかければなにか妙案が思いつくかもしれない。スズラなら、なにか冴えた方法を教えてくれるかもしれない。だがどちらにしろ時間がない。
今の俺にできることは、これだけだ。
「ごめん……メルリア」
そうつぶやき、ついにエルサの喉に剣を突き立てた。
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