22話「失敗作は目的を見定めた」
風が頬をなでた。後頭部に柔らかい感触を感じる。
体がやけにだるい。鉛のように重い瞼をゆっくり持ち上げた。
「サラベル……?」
彼女が心配そうに眉を下げながら、俺の顔を覗き込んでいた。その顔にところどころ散見する傷が痛々しい。
なぜそもそも俺は寝ていた?
そう考えたところで、あの時、エルサの背を眺めながら気を失ってしまったのだと思い出した。
「アリウス様? 気づかれましたか?」
「……ああ」
時間がたつにつれ、曖昧だった意識もだんだんはっきりしてくる。改めて今の状況を確認してみた。
まだ体はだるい。視線だけ動かしてあたりの様子をうかがう。
場所は先ほどと変わらないらしい。時間もあたりの暗さからしてそこまで変化してないように思う。
やはり後頭部が柔らかい。それに少し頭の位置が高い気もする。そこで思い当たる。どうやらサラベルに、いわゆる膝枕というものをされているらしい。
いつもの彼女なら顔を真っ赤にしそうなものだが、そんな様子もないのはそれほどまでに俺のことを心配してくれているからなのだろう。からかう気にも、不思議に思う気にもならず、彼女の好意に甘え今は身を任せることにした。
からかうといえば――
「ミズキはどこだ?」
首を動かしあたりを見渡しても、こういう状況のとき真っ先にからかいそうなミズキの姿が見えない。
もしかして、サラベルは何とか切り抜けたがミズキはダメだったのか。そんないやな予想が頭に浮かんだ。
「ボクならここにいるよ」
ガサガサと音を立てながらミズキが草むらをかき分け、姿を現す。
「ん。目、覚めたんだね。良かったよ」
「見張りはどうしたんですの?」
「もうだいじょうぶだよ。あの場にいたやつらは全員倒しただろ?それに――」
ミズキは視線を少しずらし、俺の向こう側に向けた。その視線を俺とサラベルはたどる。そこにあったのはケジルの死体。うつむいたまま死んでいて、その表情がどうなっているかはここから見えない。見ようとも思わないが。
その死体を見つめるミズキとサラベルは、安心と何かが入り混じったよう複雑な表情をしていた。
「リーダーの転生者は死んだみたいだからね」
「だからって、私たちを追ってくる人がいないということになるのでしょうか……」
「転生者がいないと何もしないよ、今の人々は。今まで転生者に頼りきってきたからね」
その意見には俺も同感だった。転生者がこの世界の大きな存在になり、人々はそれに頼てきた。だが頼りすぎた。
「なんにせよ、お前たちが生き残ってくれてうれしいよ」
「当り前ですわ。この私が死ぬわけがありませんもの」
「出来損ないでも一応能力持ちだからね。そう簡単にやられるつもりはないさ」
彼女たちは不敵に笑って見せる。今はその笑みが何よりも心強い。
とりあえず今敵はいないらしい。これ以上このままの体勢でいるわけにはいかない。ありがとうと一言サラベルに告げ、体を起こした。
ふと、思い立って死剣を取り出した。その切っ先を自分の手の甲にあて、薄皮一枚切った。プクリと、赤い液体が染み出てくる。
ふと、思い立って死剣を取り出した。その切っ先を自分の手の甲にあて、薄皮一枚切った。プクリと、赤い液体が染み出てくる。
「アリウス様!? なにをしてらっしゃるんですの!?」
そうなるはずだと自分に言い聞かせながら。そうなってほしいと切に願いながら。手の甲に浮き出た血を、指で拭った。ずだ。
そうなるはずだと自分に言い聞かせながら。そうなってほしいと切に願いながら。手の甲に浮き出た血を、指で拭った。
「…………」
「血が……止まってる?」
ミズキが怪訝な表情をこちらに向けてくる。何があったのか。鋭くも、そこにいくらかの心配を含んだ視線は、俺にそう問いかけていた。
「メルに……いや、エルサに、俺の能力が……奪われ、た」
一言一言、つっかえつっかえに何とか言葉を絞り出す。その間こそが、俺がその事実を認めたくないという証明だ。だが実際にこの目で見てしまった。
俺の能力は、もう俺の中にはない。
サラベルもミズキも何も言わなかった。
言いにくいことこの上ないが、言わないと何も始まらない。ルサのことを教えなければ。
言いにくいことこの上ないが、言わないと何も始まらない。
俺はサラベルとミズキにすべてを話した。
エルサと名乗る神のこと。転生の目的のこと。エルサがメルの精神を乗っ取ったこと。
そして――メルが転生者だったこと。
彼女らは俺の話に何も言うことなく、ただ耳を傾けていた。そして、やけに神妙な面持ちだった。何かに耐えるように眉根をひそめている。
すべてを話し終え、俺は一つ息を吐いた。
改めて話し終えてみれば、なんて無茶苦茶な話だろうか。
ずっと失敗作だと思っていたメルが転生者で。俺は転生者を守るために、転生者のために、転生者を殺して。ついには無謀に切りかかり、能力まで奪われて。
思わず座り込み、頭を抱える。
「もう……わからない」
俺は何のために戦ってきたんだ?
俺は何のために生きてきたんだ?
最も大切だったものが、実は最も憎んでいたもので。
俺の中のすべてを奪われたような気がした。
「アリウス様……」
サラベルが気遣うような声を漏らす。俺よりも余裕があるような気がするのはなぜだろうか。信じて、いないのだろうか。
「実は……もう知っているんです」
恐る恐るといった調子で、彼女はそう言った。
「は? うそだろ……?」
「嘘じゃない。ボクたちはもう知っていたんだよ。他でもない、メル自身から教えられた」
「メルから……?」
まず信じられなかった。
なぜ俺には教えなかったんだ?
なぜ俺には教えなかったんだ?
自分が転生者という事実は、知られたくはないことのはずだ。メルが俺たちのことを大切に思っていたとしても、考えたくないがユーマと似たようなことを考えていたとしても。
知られたくないことを、サラベルとミズキには話し、俺には話さない。
そこの差はなんだろうか。やはり、信頼、なのだろうか。
なんにせよ、俺は一瞬でも裏切られたと考えてしまった。サラベルとミズキに対して、嫉妬した。
その事実がなんとも気持ち悪い。
「……いつだ?」
「ユーマさんが死んでから少しして。私とミズキさんが彼女に呼ばれてですわ」
「そう、か……」
そう呟きながら、視線を地面に向ける。
つまり――俺だけが意図的に外された。希望も消えた。あの時から俺とサラベルとミズキは大抵一緒に行動していた。俺だけがいない、なんて時はなかったはずだ。
つまり――俺だけが意図的に外された。
裏切られたとか、悔しいとか、嫉妬とか。もちろんそれも感じるが、なにより、悲しい。
俺はいつだってメルのことを考えてきたのに。
自分の好意に相手が答えてくれるなんて夢物語を語るつもりはない。でもなんとも思わないのとは話が別だ。
自分を縛り付けていたものが消えたような。ストンと何かが落ちたような。そんな感覚。
「信用、されてなかったのか」
「――っ! そんなことっ!」
頭上からサラベルの咎めるような叫びが降りかかる。それは怒っているような、悲しんでいるような、不思議な声だった。思わず顔を上げてみれば、サラベルの厳しい視線が突き刺さる。その少し向こうから、ミズキもことらを見据えていた。
「信用されてないなんて、そんなことありませんわ!」
「全くだね。ボクたちよりも信用されて、好かれて、大事にされていたのに、信用されてない?それはもしかしてボクたちをバカにしているのかな?」
表情こそいつも通りの彼女だが、その言葉にはところどころ棘を感じた。
「だが実際俺だけ教えてもらってないだろ、そんな重要なことなのに」
「教えなかったんじゃない。教えれなかったんだ。教えたくなかったんだ。何よりメルは君のことが大好きだったから」
「大好きだから、教えたくない……?」
なんだそれは。矛盾してるじゃないか。
訳が分からず、頭を悩ませる。それを見かねてか、ミズキは呆れたようにため息を漏らした。
「『転生者を殺す』。君は何度かメルにそう言っていたね」
「あ、ああ。言っていたけどそれがどういう――っ!」
頭に一つの可能性が浮かんで、息が詰まった。
ああそうか。そういうことか。
気づいてしまった。なぜメルが俺に話さなかったか。
全く嫌になる。ミズキもミズキだ。いつもいつも最後の答えは俺自身で見つけさせようとする。
俺は何度かメルに『転生者を殺す』といっていた。俺が敵を倒すからメルは安心していいと伝えたくて。
思えば、メルは俺に伝えようとしていた様子はあった。
「メルは俺を怖がっていたのか……」
思えば、メルは俺に伝えようとしていた様子はあった。
ケジルに襲われた日、イブ・ロブから出た時メルは帰ってきたら大事な話があるといっていた。結局いろいろあって曖昧になっていたが、もしかしたらそのことを伝えようとしていたのかもしれない。
でもユーマがメルを襲って。俺が今までにないくらいに転生者を恨んで。彼女の目の前で転生者を全員殺してやるといったんだ。
「そうだよ。メルはもしアリウスにバレたら、その殺意が自分に向けられるかもしれない。そう思ってしまったんだ」
ミズキの言葉も頭はうまく受け付けていなかった。
今考えてみたら、メルが俺をかばった時もそうだ。彼女が能力を使わなかったのは、結局俺にバレるのを怖がったから。せっかく勇気を出して使おうとしていたのに、俺がまた転生者に殺意を向けたから。
「ははは……」
乾いた笑いが口から洩れる。
なんて滑稽な話だろうか。
メルのためと思ってやっていたことが、他でもないメルを苦しめていたなんて。
「アリウス様……」
サラベルがしゃがみ込み、俺の手に彼女の手を重ねた。俺を気遣うような視線を向けてくる。
やめてくれ。そんな目で俺を見るな。そんな目で見られる資格なんてない。俺のせいでメルはいなくなってしまった。
「で、アリウス」
ミズキはいつも通りに――いや、いつも以上に冷淡な視線で俺に語り掛ける。
「君はこれからどうするつもりなんだい?」
「は……?」
思わず間抜けな声を漏らす。
これからどうするか。メルのことで精いっぱいで考えてもいなかった。
「イブ・ロブはもうだめだし、このまま逃げるのかい?それともメルを追うのかい?」
「メルを……」
その提案は、やけに現実味のないことのように聞こえた。でも否定しきることもできない。
遠い向こう側で反響しているような、そんな感じ。
「君はなぜメルのことが大事だったんだい?」
「なぜ……」
思い浮かぶのは、子供のころの彼女。いつだって俺を見てくれていた。彼女がいたから、体が弱いのにも耐えられた。彼女がいたから、転生者の地獄のような拷問にも耐えられた。彼女がいたから――俺は俺でいられた。
「君がメルを守っていたのは、
「そんな……わけない」
唸るようにつぶやいた。気が付けばそう言っていた。
顔を上げキッとミズキに視線を向ける。
「メルは俺の大切な人だった。それはメルが失敗作と思っていたからとかじゃ、断じてない。メルだから、他でもないメルだからこそ、俺は守りたいと思ったんだ」
それは嘘偽りない俺の本心。俺が転生者に恨みを持ったのは、失敗作が傷つけられたからじゃない。メルが傷つけられたから。
それを受けたミズキは、うれしそうにニヤリと笑った。
「なら、なにをするか決まったのかい?」
「――ああ」
俺はサラベルの手を借りずに立ち上がる。ミズキと視線の高さが同じになり、俺と入れ替わるようにミズキはひざまずく。
それは明らかな忠誠の姿勢だ。
「俺についてくるつもりか?今の俺は能力もなにもない――ただの一般人だぞ?」
「ボクは君に隷属している。君に忠誠を誓っている。何でも言ってくれ。ボクは――君についていく」
「そ、それは私も同じですわ! 何でも言ってください!」
ミズキに続いてサラベルまで慌ててそう言った。そんな彼女がこんな場面でもいつも通りで、思わず笑みが零れる。
「俺はメルを助けに行く」
転生者を助けるんじゃない。仲間を、友人を、大切な人を助けるために。
「さあ、神に喧嘩を売りに行こう」
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