19話「失敗作は気が付いた」


 何が起こったのかわからなかった。目の前の光景を受け付けなかった。

 何度も事実への迂回路を探そうとして。でも結局目の前の光景がすべてで。

 ようやく事実を受け入れるのにたっぷり五秒。それからようやく俺は行動を始めた。


「メル……メル!!!」


 地面に倒れたメルのもとに駆け寄る。

 もうメルに刺さった剣は消え、そこに残るのは痛々しい傷のみ。右肩、左横腹、そして左足。メルは荒く不自然な呼吸を繰り返している。目を見開いて、痛みに体を震わせる。地面に赤い血が広がり、土の中に消えていく。

 意識を保っているのがおかしいくらいだ。それでももう長くないことくらい、医学の知識がない俺でもすぐにわかる。


 メルが助かることは絶望的だった。俺には彼女を助ける術はない。メルの能力も自分に使えるが、結局結果によって同じ傷を負うのだから意味はない。

 だがそれは生存本能故か、彼女はグググと引きずるようにして自分の手を傷に持っていこうとしていた。歯を食いしばり、ただ一生懸命に。それが無駄な行動であるだけあって、ひどく哀れに映った。痛みで体を動かすことすらきついだろうに、それさえできれば助かるとでもいうように一生懸命に。

 その行動が彼女の生への執着の表れのような気がして。さらに俺を傷つける。


「ごめん……ごめん、メル……」


 そう零す俺の声は震えていた。視界がにじみ、ポツリと水滴がメルの顔に一滴落ちる。

 守れなかった。それどころか、メルを身代わりにしてしまった。

その事実が耐えられなかった。

 彼女を守ると誓っていたのに。俺自身がメルを傷つけたも同然だった。


 なら俺がメルのために今できることは何だ?

 メルに報いるために、罪滅ぼしのためにできることは何だ?


 答えは決まっていた。


「――殺す」


 瀕死のメルを腕に抱き、俺はケジルを睨みつける。メルが身代わりになったことが彼にとっても予想外だったのか、剣の雨は止まっていた。


「殺してやる――転生者ぁあ!!」


 腕の中でメルが表情を大きくゆがめ、動きを止めた。傷に向かっていた手から力が抜け、そのまま垂れる。まだ生気があった顔からも色が抜け落ちた。もう無駄だと悟ってしまったのか。


「それだよ。それが僕の感じた絶望だ。君にそれを感じさせたから僕は満足だ。――なんて思っていたがやっぱりちがう。君を殺さないと満足できない」


 彼も俺と同じ気持ちのようだ。

 メルをそっと地面に横たわらせる。「行ってくる」といって彼女の頭をそっと撫でた。


 俺もケジルも同じだ。自分の大切な人のために、相手を殺す。そこに妥協点なんて存在しない。相手を殺すまで終わらない。終わらせない。


 死剣を構え、彼を見据える。もう痛みなんて知らない。死んでも関係ない。何度死のうとも、俺は彼めがけて足を止めない。


 彼も魔剣を構える。先ほどと同じように、彼の周りに幾多の剣が生成された。


「「ぶっ殺す」」


 彼がその剣を発射しようとして。俺は地を蹴ろうとして。

 だがその時、変化は突然訪れた。


「――がっ……ご、ぽ……」


 突然ケジルがせき込み始めた。その表情はこれまでにないくらいに歪み、左横腹を抑えてうずくまる。

 そして俺は薄暗かったが確かに見た。彼がせき込んだ時に、その口から紅の血が出たところを。


「――ぎっ!? ……あっ!?……」


 そしてさらに二度、体を震わせた。右腕がだらりと垂れ、左足から崩れ落ちる。


 ――なんだ!? 何が起こっている!?


 訳も分からず、俺はただそこに立ち尽くすのみ。今から殺しあおうとした相手が、急に吐血して倒れこんだ。その負傷を喜ぶというより、戸惑いのほうが大きい。不気味さに似た不信感。


 訳が分からないのはケジルも同じようだった。

 荒い呼吸を繰り返しながら、その目は揺れている。


 困惑する中、それは背後から聞こえてきた。


「――やらせるわけないじゃない」

「――っ!?」


 声が出なかった。ゾワリと全身に悪寒が走る。

 背後から声がしたが、振り向かなかった。振り向きたくなかった。

 だって背後からしたのは――


 ――メルの……声?


 いや、厳密には違う。メルの声もあるが、それに重なるようにもう一人知らない女性の声も聞こえてくる。二人が同時にしゃべっているようだった。


 そして俺はこの声に聞き覚えがあった。

 他でもないメルの口から。


 ――ユーマが死んだ時と、同じ……?


 あの見た目はメルだが、全く違っていた彼女と。俺に奪刀を向け攻撃してきた彼女と。全く同じ不気味な声。


 ――彼女がまた? またメルが正気を失ったのか? そもそもなぜケジルは倒れた?


 幾多の疑問が頭の中で暴れまわる。

 恐る恐る振り返る。メルが倒れていたその場所で、メルの姿をした何かが、不気味な笑みを浮かべていた。


「まったく。この子は私の最高傑作よ? あなた如きにやらせるわけないじゃない。ねえ? 間宮健斗?」

「あなたは……まさかっ!?」


 ケジルの顔が驚愕に染まる。治癒魔法を使ったのか、顔色は幾分かましになっていた。地面に手をつき、何とか立ち上がろうとしている。


 一方俺は頭にクエスチョンマークしか浮かばない。

 なぜケジルは彼女のことを知っているような口調なんだ?間宮健斗とはだれだ?


 だが二方とも俺の疑問に解をくれそうもない。


「まさか……神か!?」

「神!?」


 突然出てきたそのワードに、俺の頭はついていかない。

 今ケジルは神といったのか?

 信じられずにメルの顔を見た。

 まさかそんな。ありえない。


 だがそれが正解とでもいうように、神らしきものはその妖艶な笑みを深めた。


「まさか本当に……」

「まあ、間違ってはいないわね。エルサとでも呼んでちょうだい」


 神――エルサはあっさりと肯定した。あまりにあっさり過ぎて実感がわかない。姿がメルのままというのもそれに一役買っていた。突然異世界に来てしまったような、妙な違和感が俺を支配する。


「そんなことより傑作にもなれないあなたがこの子を殺そうとするなんて身の程知らずもいいところよ。死んでくれないかしら?」


 彼女は奪刀を出し、ケジルにそう告げた。

 その瞬間、今までにないくらいにその顔は絶望で一色になる。俺に見せていた余裕などどこかに吹き飛んでしまったかのように。相手にしているのが神だから勝ち目はないと思てしまうのだろう。

 だが死にたくはないようだ。その目に涙を浮かべながら、いやいやと首を振る。

 エルサはそんなケジルに目もくれず、その短剣を両手で刃が下になるように構えた。


「待て! 待ってくれ!」

「無理よ」


 彼女は短剣を振り下ろした――自分の腹に。


「っ!?」


 突然の自傷行為に言葉を失った。それに加え、少し胸が痛む。自傷行為をしているのがメルであるからだろうか。止めようとして一歩踏み出し、足を止めた。

 彼女は痛そうな顔一つせずにすぐに短剣を抜く。そしてそこには福は斬れてこそすれ、血は全く目につかない。


「グっ……」


 逆に痛みに倒れ伏したのは、ケジルのほうだった。

 腹を抑えうずくまる。彼の足元の血の池がさらに広がった。


「これは……」


 思い出すのはあの襲撃時の、ユーマたちの遺体の様子。そしてメルの服に合った、ユーマ達と同じ位置の切込み。

 それらと今の状況がつながって、一つの仮説が生まれる。


 ――まさか自分のケガを他人に移せるのか?


 自分で考えておいてなんだが、なんてめちゃくちゃな力だろうか。だがそう考えると、あのときの状況につじつまが合う。


 まだケジルは生きていた。力はあまり入ってなさそうだが、それでも地に手をついて倒れまいとしている。エルサはそれをつまらなさそうに、いっそのことめんどくさそうに眺めていた。


「んー、なかなか死なないわね」


 そう言って、けだるげにまた自傷する。そしてまたケジルが倒れた。

 だがケジルの生への執念も尋常ではない。やはり治癒魔法を使っていた

 そしてまたけだるげにエルサは自傷する。その繰り返し。


 俺はそれを眺めているだけだった。はっきり言ってしまえば、怖気ずいていたのだ。この目の前の異常な状態に。

 神と名乗るメルの姿をした何かが自分を傷つけ、傷ついていないはずのケジルが倒れ伏せる。


「もう……やめてくれ……」


 気が付けばそうつぶやいていた。

 あまりにも弱弱しいその声は、ケジルのうめき声に消えていく。

 見ていられなかった。中身が違うとはいえ、姿かたちはメルそのものだ。メルが自分自身を傷つけているのなんて、見たくない。だがそれを止めることもできない。

 神と聞いた時から俺の体は動かない。神というだけで、自分ではかなわないなんて虚無感が、無力感が俺を支配する。

 この場で俺は、なんとも無力だった。

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