18話「失敗作は守ろうとした」


 走る。ただひたすらに走る。イブ・ロブに、ミズキに、サラベルに背を向け、ただ走り続ける。

 月明りも生い茂る木の葉に遮られ、あたりは闇に覆われている。少し先も満足に見えないほどに視界の中、何度も転びそうになった。

 後ろ髪を引かれるような気持ちは消えてはいない。

 だが今は俺だけじゃないのだ。メルも一緒にいる。俺の勝手な感情で彼女まで危険にさらすわけにはいかない。

 彼女たちの願いに応えるため、メルの手を引いて木々の隙間を縫うように足を動かした。


「メル、大丈夫か?」

「はぁ、はぁ……う、ん。なんとか」


 メルは肩で息をして、何とも辛そうだ。

 彼女の身体能力はその筋肉量のままだ。普通の女性なら膨大な魔力の恩恵を受けて筋力が増している。が、元々男並みに魔力の少ない彼女はその限りではない。

 走るスピードも遅く、体力も少ない。俺はずっと背後の彼女の体調に気を使いながらここまで来た。

 来たのだが、様子を見るにそろそろ休憩が必要なようだった。


 もうすぐ森を抜ける。抜ければそこからしばらくは平野が続く。休むなら今だろう。森なら平野よりかは休んでも見つかりにくい。


「ここらで休憩しよう」

「はぁ……っ……大、丈夫なの……? 休憩なんかして……」

「しないとこの先持たないだろ? 休める時に休んでおこう」

「……うん。ごめんね」

「謝るなよ。ちょうど俺も疲れてきたところだ」


 大丈夫だと示すかのように、彼女の頭に手をのせる。メルはすこし表情を緩めながら、「ありがと」とつぶやいた。

 お礼を言う必要もない。俺が疲てきたというのは、メルを休ませるための嘘じゃなく、本当に疲れたのだから。

 俺自身も能力の欠陥のせいで体が弱い。ここまで走ってきたのだから、疲れるのも当たり前だ。


 休むにしてもどこで休もうか。足を止め、あたりを見渡した。できるなら隠れやすいような場所がいい。

 目を付けたのは一本の木の根元。ちょうどイブ・ロブの反対側が大きくへこんでいて、すっぽり体がはまりそうだ。窮屈ではあるが、この際文句は言ってられない。


「ん、そうだな。そこで――」


 その時、かすかに空気を切るような音が耳に入ってきた。何かが勢いよく飛んできているような。

 いつもなら気のせいだとか、たいしたことじゃないと見逃がせるはずのそれが、やけに頭に残る。

 その奇妙な音はすごい速さで大きくなり、嫌な予感は頂点に達した。


「メル!」

「え? ――きゃあ!」


 呆然と俺の言葉を待っていたメルを横に突き飛ばし、俺自身も横に飛ぶ。地面に倒れこみ、湿った土のにおいが鼻をつく。

 数瞬後、つい今さっきまで俺たちが立っていたところに、どこからともなく飛んできた剣が突き刺さった。


「なっ!?」


 避けてから驚愕した。自分の予感に従って飛びのいたが、まさか剣が飛んでくるとは思わなかったのだ。避けなかったらどうなていたか考えると、悪寒が走る。

 地面に突き刺さった剣は淡い光を放ったかと思えば、そのまま消えてしまった。


 状況についていけず、俺もメルも何も話さない。痛いほどの沈黙が走る。このまま一目散に逃げるのが最善ではあるのだが、どうにも頭が追い付かずに、体も動かなかった。


 そんな静寂を破ったのは、ある男の声だった。


「まずは見事といっておこうかな。初めて会った時と同じだよ」


 暗がりから聞き覚えのある声が聞こえてくる。

 この声はまさか……。脳裏にある男の顔が思い浮かんだ。


「お前だったのか……」


 声の聞こえてきた方向に向かって憎々しげにつぶやいた。その闇の奥で、どの男の光源か、ボゥとほのかな明かりが灯る。それに続いて、ザクザクと土を踏む音。

 そして暗がりの中から現れたのは――


「転生者、ケジル……!」


「やあ、失敗作」


 彼は二か月前と変わらない、余裕そうな笑みを浮かべていた。もうすでに彼の神器――魔剣、グラミリアスをその手に持っている。余裕そうに見えても、前回のように油断はしてくれていないようだ。

 俺は隠れて歯噛みした。前回同様油断してくれれば楽だったのに。


「お前、生きてたか」

「もちろん君に刺されて瀕死だったさ。でも僕には魔法があるからね。治癒だってもちろんできる。ま、完全とはいかなくて、跡は残ったけどね」


 なんてことないように彼は語った。懐かしい昔話を話すかのように、穏やかに。

 俺はそれに言いようのない嫌悪感を覚えた。

 治せるとはいえ、その痛みは本物だったはずだ。死にかけたことも消えはしない。

 なのにこの余裕は何だ? そのことについて、俺に恨みはないのか? 自分を殺しかけた相手を前にしてこんなにも冷静でいられるなんて、普通じゃない。


 そんな俺の思考をもあざ笑うように、ケジルは薄く笑みを浮かべた。


「ああ、いいんだ別に。傷は治せるし、痛みも我慢すればいい。傷跡も俺は気にしない。そのことについてはボクは君を恨んでいないよ。でも、でもな」


 彼は一歩俺たちに近づいた。

 目の前にいる彼がなんだか得体のしれないものに見えてきて、自然と俺たちも後ずさっていた。

 だがそこで、彼に変化があった。

 彼の体が震えていた。足も、体も、腕も震えていて、顔だけが平生の状態でいる。それがなんとも不気味だった。メルも俺の後ろに隠れ、俺の服の裾を握っている。


「許せない。絶対に許せないんだよ。彼女たちを――僕の付き人を殺したことは!!!」


 彼の表情が憤怒に染まり、彼はそう咆哮した。

 彼はなにも平生だったわけじゃない。ただその怒りを内に秘めていだけだ。


「絶っ対に許さない! 殺すなら僕を殺せばよかったのに、よりによって僕の目の前で殺すなんて……! 僕はあの時誓ったんだ。必ずお前に復讐すると!」


 仲間を思うきれいな憎悪。それがまっすぐ俺に向けられる。

 なるほど。だから彼はここにいるのか。

 イブ・ロブに突入し俺がいないのを確認し、ミズキとサラベルを部下に任せ俺を追ってきた。イブ・ロブの場所を知っていたのも、以前ユーマにでも教えられたのだろう。


 ああそうか。あのときケジルは死んでいたと思っていた。でも実は生きていたということは、彼女たちがスケルトンに殺されるのを見せつけられたということだ。


 俺はメルを完全に隠すように間に入った。

 もう遅いかもしれないが、このことをメルに聞かれたくなくて。彼女が憎悪にまみれたケジルの表情を見て、俺に嫌な感情を持たれるのが怖くて。

 単純にその視線をメルに向けてほしくなくて。


 だがケジルはそうは取らなかったらしい。にやりとぞっとするような嫌な笑みを浮かべた。


「そうか。そいつが君の大切な人か。なら僕が殺してやるよ」


 俺の服の裾をつかむ手が大きく震える。

 プチンと何かが切れた気がした。


「……殺す? メルを……? させるわけないだろうが……!」

「言ってなよ。もう失敗作なんかには負けない。もう油断しない」


 ケジルは魔剣を掲げる。その瞬間、彼の周りに幾多の剣が生成され、宙に浮いた。無数の剣が俺の視界いっぱいに展開され、切っ先を俺に向ける。


「おいおい……うそだろ……?」


 おもわずそう零した。熱くなった頭が急激に冷えていくのを感じる。

 なんだあれは。まるで剣の壁じゃないか。あんなの一斉に打たれたら、処理できるか怪しい。

 頬を汗が伝い、苦し紛れに笑みが浮かぶ。

 だがそこで、背後のメルの荒くなった吐息が聞こえてきた。


 そうだ。俺の後ろにはメルがいるんだ。俺がここで逃げてどうする。俺がここで怖気ずいてどうする。

 俺がメルを守るんだ。

 そう決意し、改めてケジルを睨みなおす。


「彼女たちのために死ね」


 やけに平坦な声で彼はそう言った。その言葉に応えるかのように、彼の周囲の剣が切っ先をこちらに向け、動いた。

 その数――およそ十本。


「――ッ」


 止まっているのを見るのと、実際に動いているのを見るのでは全く違う。

 こちらに向かう幾多の剣を見た瞬間、メルをかばいながら剣をはじくのは不可能と断定・・。死剣を出そうとしたが、すぐにやめる。

 どうするか考えるまでもなく、俺の体は自然と動いていた。


 ――メルだけでも!


 剣の壁とメルの間に立ち、かばうようにして両手を広げる。

 来るべき衝撃と痛みを覚悟するように目をつむり、歯を食いしばる。


 そして――


「――がっ……あっ……」

「アリウス!」


 一本の剣が俺の胸を貫いた。

 時が止まったかのような感覚。一瞬にして神経を焼き切るような激痛が全身を走る。バチバチと視界が点滅し、脳が意識を手放そうとする。

 が、それでは終わらない。そこから追い打ちをかけるように三本の剣がさらに突き刺さる。痛みに気が狂いそうで、刺さった個所はわからない。

 衝撃で前に倒れこみそうになる。が、そうなればメルに次が当たるかもしれない。狂いそうな頭で何とかそれだけを思考し、力のがうまく入らない足を踏ん張った。

 残りの剣は俺の横を通り過ぎ、メルの少し向こう側に突き刺さる。

 その後剣たちは跡形もなく消える。


「――…………」


 声は出なかったが、死剣を取り出しなんとかトリガーを引いた。一瞬の意識の喪失のあと、目を覚ます。


「――グ……ギィ!!」


 が、そこに待っていたのは次なる激痛。新たに剣が貫通し、先ほどと同じ痛みに狂いそうになる。


 トリガーを引く。

 生き返る。

 剣が刺さる。

 トリガーを引く。

 生き返る。

 剣が刺さる。

 トリガーを引く。


 何度も何度も。それこそ数秒に一度のペースで繰り返す。

 終わりの見えない痛み、苦しみ。汗なのか、なにか液体が頬を伝う。

 ろくに前も見えない中、チラチラ視界が捉える無傷のメルだけが俺の意識をつないでいる。


 大丈夫だ。俺は耐えられる。乗り切れる。

 メルが無事なら、俺は何度だって死ねる。耐えきれる。


 焼ききれそうな思考の中、すがるように繰り返す。


 心臓が貫かれた。手足が吹き飛んだ。首が飛んだ。

 それでも俺は耐えられる。メルを守るためなら。

 宙に浮いてしまいそうになる思考を何度もつなぎとめる。

 耐えろ。思考を失うな。無心になったらそれで終わりだ。


「なかなかしつこいな……」


 剣のあらわれる音。途切れることのない俺の絶叫に、メルの叫び声。

 その向こう側から、ケジルのイラつきを孕んだ声が耳に入る。


「だが限界があるだろ? 魔力が切れれば君の能力はつかえない。そうなったときが君の最後だ」

「……は…………は、は……」


 うつろな笑みをうかべる。

 確かに彼の言っていることは間違っていない。

 転生者にしろ失敗作にしろ、その能力を使うには魔力が必要だ。そして魔力量には限界がある。それが訪れれば、俺はそのまま死ぬ。


 ――だけど、それは永遠に訪れない。


 俺の能力は詳しく言うと、『死んでも生き返り、体の状態がリセットされる能力』だ。

 だから俺が死んでも魔力量までリセットされる。

 俺の能力には限界がないのだ。

 

 でもそれって要するに――


 この痛みに、苦しみに、終わりがないってことじゃないのか?


 その事実が、俺に闇のような希望を突きつける。

 負けはない。だが勝ちもない。

 永遠に続く苦しみに、絶望しそうになる。もうあきらめてしまいたくなる。


「……アリウス」


 だがそのたびにただただ涙を流す彼女が俺を引き留める。

 彼女を守りたいというのは確かに俺の意思だ。でも今だけは、この時だけは、彼女の存在が何よりもつらい。


 そこでふと、彼女は顔を俯かせた。すれすれの地面に剣が突き刺さって土が飛び、空色のきれいな髪を汚した。


「――て」


 轟音鳴り響かないこの空間で、なぜか俺の耳は彼女のか細い声を拾う。


「やめてよ……」


 俯いたまま彼女はこぼす。それはケジルに向けたものか。何に対してか。

 それを考える余裕は、今の俺にはない。今の俺にはただ痛みに、衝撃に耐えることしかできない。

 彼女は顔を上げた。涙で目は赤くなり、ひどく憔悴している。彼女は俺に近づき、顔に手を伸ばす。


 ――やめろメル。俺に近づくな。貫通した剣が刺さるかもしれない。


 そう言いたくても死亡と生き返りを繰り返す俺はその言葉を口にできない。


「やめてよ――アリウス」

「――…………は」


 息と何らそん色のない声が喉から漏れた。それが聞けないのか彼女は俺の頬に指を這わせ、頬を伝う俺のを拭う。

 なぜ俺に言う? なぜケジルに向けてじゃないんだ?

 俺は何かしたか? 彼女が悲しむようなこと、何かしたか?


「アリウスが傷つくの、もう見たくない。アリウスが死ぬのを見たくない。傷ついてほしくない。死んでほしくない。それくらいなら――私が!!」


 彼女が俺の肩をつかみ、その腕に力を入れた。俺は彼女が何をするのか察してしまった。


「――っ!! やえろぉ!!」


 無我夢中で制止の声を発するが、痛みのせいで舌が回らない。

 せめてやらせないようにと体に力を入れ、踏ん張ろうとしたところで――


「――へ?」


 一本と剣が俺の心臓に突き刺さる。意識がだんだん薄れていく。

 それは俺が今まで何度も経験してきた、死の前兆だ。

 

 ――やめろやめろやめろ!!


 ――今だけは! 今だけは死ぬな!


 そんな心の叫びも無力だ。ついに俺は意識を失った。


 そして目を覚ました時視界に映ったのは――


「か…………っは……」



 数本の剣に体を貫かれたメルの姿だった。

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