12話「失敗作は慰めた」

 まず初めに驚愕した。

 短刀を構え俺に迫るその速さは、明らかにいつものメルじゃない。

 そもそもメルには力がない。いや、少し違う。

 普通の女性は魔力の影響で、自分の筋肉以上の力が出せる。でもメルは"魔力が少ない"のだ。それこそ男と同じくらいに。

 だから彼女は彼女自身の筋肉相当の力しか出せない。

 だからこんな十メートルほどの距離をわずか数秒で埋められるわけがない。


 そして次に困惑した。

 なぜ彼女は俺を攻撃するんだと。

 なぜ彼女は変わってしまったのかと。

 もしかしたら混乱しているのかもしれない。おそらく彼女はあたりに転がっているやつらに襲われた。そして手段はわからないが、何とか撃退した。

 彼女は失敗作だが普通の少女だ混乱しても意味はない。


 さらに俺は決意した。

 なんとかメルを落ち着きさせて、いつものメルを取り戻すと。


 そう決心すれば頭が冷えていく。感情が荒ぶっていた頭が収まっていく。


 メルはすぐに俺の目の前まで迫ってきた。そしてそのまま勢いを殺すことなく奪刀を突き出す。

 俺は死剣を出し、それを全力ではじいた。

 ガキンと金属音が鳴り、火花が散る。

 俺とメルの純粋な力の差は歴然だ。思惑の通り、メルは大きくのけぞった。


 ――これでなんとか隙は作れるはず……。


 この隙に彼女を抑え込み、奪刀を奪い取る。それが俺の作戦だった。

 だがそれも失敗に終わる。


「フフッ」


 そう小さく笑ったかと思えば、彼女はのけぞったまま体を最小限の動きで回転させ、さらに追撃を繰り出した。


「なっ!」


 思いもよらない攻撃。全力ではじいた反動で俺も体勢は悪い。顔に向けて放たれた突きを、顔を逸らすことによって何とか避ける。

 奪刀が顔の横をすれすれに通過する。俺は思わず距離をとった。


「っ!」


 頬にチクリと刺すような痛み。そこに触れてみると、手には真っ赤な液体が付いていた。


「そんな……」


 思わず声が漏れる。

 信じられなかったし、信じたくなかった。本当にメルが俺を攻撃したんだ。俺に攻撃して、傷を負わせた。


「――アリウス様!」

「――ッ」


 サラベルの叫びに現実に引き戻される。慌てて前を見れば、ほぼ目の前に奪刀を振りかぶったメルがいた。


「キヒッ」


 気味悪く笑いながらそれを振り下ろす。俺はそれをはじき、さらにメルは追撃をする。そしてそれをはじき、さらに追撃。その繰り返しだった。

 舞うようにメルが短刀を振り、コンと木の床が鳴った。俺はそのたびにまた一歩後ろに下がる。

 要するに、防戦一方。

 メルを傷つけたくないのもあったがそれ以上に――


 ――こいつ……強い!?


 そう、単純に強いのだ。俺が攻撃しようと思えば、それを読んでいるかのように防いでくる。逆に彼女は俺の意識の隙間をつくように攻撃を放ってくる。

 正直、彼女を傷つけずに助けるのが難しくなっていた。


「アリウス! ……こうなったら――」

「ミズキやめろ!手を出すな!」


 武器を構えたミズキが視界に入り、慌ててそれを止める。彼女の手まで汚させる必要はない。汚れるのは俺だけで十分だ。


 ――でも、そうも言ってられないな。


「サラベル!」

「わかってますわ!」


 サラベルに声をかければ、待ってましたと言わんばかりにこたえる。


「『メルリア・アビゲイル。止まりなさい!』」

 

 サラベルが能力を発動させる。

 これでメルの動きは止まるはずだ。

 だが何故だろうか。そうなる気が微塵もしないのは。俺はサラベルの能力を信じながら、警戒を解かない。

 そしてその予想は当たってしまった。


 メルはまるでなんともないかのように動き出す。そしてまた俺に奪刀を振り下ろす。


「そんなっ……!」

 

 サラベルの悲痛な叫びが木霊する。

 まったく意味がわからない。サラベルの能力は転生者以外なら全ての人間に適用されるはずだ。唯一例外があるとすれば、その命令を理解できなかった時。まさかそれほどまでにメルは混乱していると言うのか。


 いや、違う。

 自分でその考えを否定した。混乱し言葉が理解できないようなやつが、こんな攻撃をしてくるわけがない。

 だとすると、メルは至って冷静なのだろうか。冷静に、俺に短刀を振り下ろしているのだろうか。


 ――違う!


 思わずそう叫びそうになった。だがなんとか口から飛び出る前に飲み込む。

 メルが俺を攻撃するなんて、信じられるわけがない。そんなことあるんけがない。


 見たくない。こんな現実を。

 認めない。こんなメルは。


「くそッ!」


 胸に溜まりつつあった激情を吐き出すかのようにそう叫んだ。

 防戦一方だったはずだが、そんなのはもう関係ない。自分の感情に身を任せ、怪我をすることを承知でメルに詰め寄る。


「――ッ!」


 余裕たっぷりにニヤつくだけだったメルの表情がついに歪む。苦し紛れに短刀を突き出した。それはまっすぐ俺の胸に向かう。

 その軌道上に手を差し込んだ。ズブリと短刀が俺の手を貫通し、ザラリとした嫌な感触が全身を撫でる。突き刺すような痛みがジワリと、だがそれでいて一瞬で全身を駆け巡る。

 頬を汗か、何か液体が伝った。


「この人っ……!」


 メルが戸惑いの声を漏らす。

 それにわざわざ反応してやる必要もない。今俺の頭にあるのは、メルを正気に戻すことだけ。

 痛みに叫び続ける脳内で、なんとかそれだけを考える。

 とりあえずは動きを止めなければ。

 そう思い立ち、メルの短刀を持っていない方の手を掴んだ。そのまま足に力を入れ、メルを押し倒す。


 ドサリとその華奢な体が倒れ、空色の髪が揺れる。衝撃にメルの顔が歪んだ。ツンとした血の匂いが鼻をつく。


「メル! しっかりしろ!」


 腹の底から叫んだ。自分の気持ちをぶつけるかのように。言葉で殴りつけるかのように。

 メルはバタバタと暴れ出した。身をよじり、足を忙しなく動かせる。何度も何度も背中に鈍い痛みが走った。それに顔を歪ませながら俺は何度も叫び続ける。


「俺だ! アリウスだ! メル! 正気になれ!!」


 ただメルに元に戻って欲しくて。その一心で叫び続ける。何度も何度も。

 広いこの広間に、俺の叫び声だけが木霊していた。


 すると不意に、彼女の動きが止まった。


「う……ぐっ……」


 目を固くつむり、苦しそうに呻く。何かに耐えるように喘ぐ。

やっと現れたメルの変化。これがチャンスとばかりに、俺はさらにまくしたてた。


「俺だ! アリウスだ! わかるか!」


 やはり彼女は苦しそうにしていた。額に大粒の汗がいくつも浮かんでいる。

 そして彼女は一度ビクンと体を震わせると――


「あ、れ……?」


 ゆっくりと目を開け、そう呟く。


 雰囲気が豹変した。不気味な雰囲気が霧散した。


「メル……?」


 恐る恐るそう尋ねた。メルはこちらを見つめ、目をパチパチと瞬かせる。

 不意に腕に力を受けた。メルが起き上がろうとしている。

もう暴れる様子もないし大丈夫だろう。

 そっと押し倒した状態から退いてやる。メルは何が何やらわからないといった状態のまま、ゆっくりと起き上がった。


「アリ……ウス?」


 ポソリと消えてしまいそうな声でメルは呟いた。

 俺を理解している。たったそれだけのことなのに、泣きそうになるのは何故だろうか。

 目の奥が熱くなるのを感じながら、「ああ……ああ!!」と応答する。

 だが嬉しかったのはそこまで。


「ちが……ちがうの……!!」

「え?」


 メルは顔を真っ青にしてそう言った。思わず間抜けな声が漏れる。


「違う……私じゃ……私じゃないの……」


 俺の腕を掴み、狂ったようにまくし立てる。「違う」「私じゃない」とそれだけを繰り返す。


 胸が痛かった。もっと泣いてしまいたくなった。何が彼女をこんな風にしたのだろうか。

 思わず人を殺してしまったこと?それとも俺を攻撃してしまったこと? それかその両方だろうか。


 それを見ていて胸が苦しくなった。心臓をナイフでグサグサ刺されているかのようだ。感極まって、俺はメルを抱きしめる。


「え?」

「大丈夫……大丈夫だ」


 温かい体温が伝わって来る。それこそメルが生きている証明だ。彼女を助けることができたのを実感し、無性に泣きたくなった。でもここで泣くわけにはいかない。

 「大丈夫、大丈夫」と繰り返しながら、ギュゥと強く抱きしめる。すると彼女の震えが俺にも伝わってきた。


「ごめん。辛い目に合わせて」

「そんな……私……」

「もう大丈夫だ。お前は何も悪くない」

「う、あぁ……」


 震える背中をさすってやる。するとまた大きく肩が揺れた。


「あぁ……ぐすっ……あぁああああ!!」


 それはまるで咆哮。彼女の抱える恐怖の大きさを体現するかのように、大きく泣いた。泣いて泣いて、俺はその間背中をさすり続けた。「大丈夫、大丈夫」と繰り返しながら。

 何があったとか、どうやって切り抜けたとかはもうどうでもいい。今はただ、助けることができたという事実に酔いしれる。


 向こうの方にミズキとサラベルが見えた。二人とも心配そうにこちらを見つめている。彼らに視線を向ければ、俺の意思が伝わったのか、ミズキは神妙に頷いてみせた。

 相変わらず察しのいいやつだ。ミズキは頭にハテナを浮かべているサラベルを連れて歩いていった。


 メルが泣き疲れて眠ってしまうまで、俺はメルの背中をさすり続けた。

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