8話「失敗作は気分転換した」


 俺たちの住む魔物の森から南東。魔物の狼の背に乗り、風をきるような速さで駆け抜けること約一時間。決して短くはない距離を経て、都――ベルグラドに到着した。

 この街は商業都市と呼ばれるほどに商業が盛んで、食料から衣服、日用品に雑貨、はたまた武器や鎧まで様々な物を売る店舗が立ち並ぶ。マイナーな商品もここを探せばどこかに取り扱っている店はあり、世界の全てはここで買うことができる、なんて言われるほどだ。

 気分転換にはちょうどいい街だ。


「といっても、特に欲しいものはないんだけどな」


 真昼間という時間帯もあってかあたりに溢れかえるほどの人を、人混みから少し離れたベンチに腰掛けながら眺めてそう呟いた。

 大きな通りに敷き詰めるように並ぶ露天商。レンガが敷き詰められた通路を靴で鳴らす、老若男女様々な人々は皆多くの荷物を抱え、その表情は皆太陽のようだ。

 だが普段大勢の人間になれていない俺にとってこの状況はなかなかいいものではない。クラクラとちょっとした眩暈を覚えながら、異世界ともいうべき目の前の状況を白目で見つめていた。


「欲しいものはなくても、ただ見るだけで楽しいものだよ」

「そういうものか……?」

「そういうものだよ。少なくともボクにとってはね」


 俺の独り言に反応して、隣で同じく座っていたミズキはそう言った。

 信じられないことにミズキもサラベルもこの人混みはなんてことないらしい。なんで俺だけ、と溢そうとしたところ、狙ったかのようにミズキと目があって、誤魔化すようにモゴモゴと口を動かした。


 人混みは平気らしいといっても、ミズキはどこか疲れているようだった。

 やはり能力を使ったからだろうか。能力は体内の魔力を使うので、疲労感も感じるし、もちろん限界だってある。

 だからこそ今俺とミズキはこうして休憩しているのだ。ちなみにサラベルはここにいない。「ちょっと先に行ってますわ」とだけ残して、人の波の中に飛び込んで行った。なかなか度胸があるものだ。


「どうだ? 楽になったか?」

「ああ、まあね。すまないね、手間取らせて。もうボクは大丈夫だよ」

「もう少しくらいゆっくりしててもいいんだぞ?」

「今日は君の気分転換のために来たのだろう? ボクのためにずっとここにいては意味がない」

「俺はそれでもいいんだけどな」

「フフフ。まったく。ボクの主は優しいね」


 フワリと笑いながら首の鎖に触れた。今のは本気だったんだが、どうにも気遣っていると思われているようだ。なかなか思い通りにはいかないものだと息を吐いた。


「なら、サラベルが戻ってくるまではここにいるか」

「うん。それでいいかな」


 再び人ごみに視線を戻す。

 サラベルが戻ってくるのにそう時間はかかるまい。


 そんな俺の予想通り、サラベルはそれから少しして俺たちのもとに戻ってきた。


「まったく。人が多すぎですわ」

「サラベルなら能力使って、退かせればいいんじゃないのかい?」

「そんなことしたら私まで退いてしまって、結局何も変わりませんわ!」

「不便な能力だな」


 サラベルは紙袋を片手で抱えながら乱れた金髪を手くしで整えていた。頭あたりはところどころピンピンと跳ねているのに、一番乱れやすそうな二つの縦ロールは全く乱れていないのには思わず目を見開いた。


「サラベル、それ、何買ってきたんだ?」


 俺はサラベルの抱えている紙袋を指さしてそう尋ねた。するとサラベルはフフフと得意げに笑ってみせる。


「よく聞いてくれましたわ。買ってきたのは――これですわ!」


 そう言って袋の中に手を入れ、人の手のひらほどの大きさの何かを勢いよく取り出した。

 一見して、それは串にささった、ガリガリに痩せこけたなにか。まず一目見てそれが何かわからず、そしてジッと目を細めた。少ししてだんだんと全容が明らかになっていく。痩せてボコボコにへこみいびつな形の丸い球体に、そこから延びる八本の針金のような足。その丸い球体にはまさにそれが毒物といわんばかりの派手な模様が描かれ、火で焼いたのだろう焦げ目が所々にこべりついている。


「これこそ! 今この街で流行りの『ジェリースパイダーの丸焼き』ですわ!」


 ビシッ! とそれを俺たちに突き付け、抱える袋が揺れた。そしてその袋の口からサラベルが持っているものと同じものが垣間見える。背筋も凍るような光景に、俺は何も声を出せなかった。目だけ動かして隣を見れば、ミズキも似たような様子だった。あまりの驚愕に目を見開いて、瞳孔が細かく震えている。


 そんな俺たちを無視して、その『ジェリースパイダーの丸焼き』とやらの説明をサラベルは淡々と垂れ流す。


 なんでもこれは本当にこのベルグラドで流行っているらしい。その見た目のグロテクスさのわりに味は絶品で、その異常に丸い胴体の中には舌が溶けるほどに甘い蜜が蓄えられている。その味と見た目のギャップから若い女性の間で人気に火が付き、今では見ての通り、これを求めて遠方から人が押し寄せる騒ぎだ。


「さあ! 私、アリウス様にいただいてほしくてこの人ごみの中買って参りましたの! ――まあ、そこで疲れ果てているミズキさんにもあげないこともありませんわ」


 俺に対しては嬉々として。ミズキに対しては素っ気ないながらも少し照れを垣間見せながら。彼女は俺たちにそれを突き出した。俺とミズキはそれを顔を引き攣らせながら見つめる。そしてどちらからということなく顔を合わせると、同時にうなずいて立ち上がった。

 「え?」とサラベルの戸惑った声が上がる。それを無視して、俺たちは歩き出した。


「え!? ちょっと、アリウス様!? ミズキさん!?ど こにいくんですの!?」

「「…………」」

「何か言ってくださいな!」


 背後からサラベルの声が聞こえた。心なしかその声は少し震えているように感じる。

 すまない。きっとそれは好意からだろうが、それが流行っていようが、それを食べようとは思えないんだ。


 好意を裏切ったことに心の中で謝罪をしながら、人ごみの中に向かう。


 あのよくわからない蜘蛛から逃げるためなら、あんなに辟易していた人ごみの中にも平気で突撃できるような気がした。




「意外にたくさん買ってしまったな」


 両手に買ったものをいっぱいに詰めた袋を持ち、古着屋から出る。ここに行こうと言い出したミズキとサラベルも満足そうに笑みを浮かべていた。

 ちなみにサラベルはもうあのおぞましい紙袋は抱えていない。おそらく全部食べてしまったのだろう。おそらくというのは、正直直視したくなくて、食べているところを見ていないからだ。気が付けば袋は消えていた。それに俺もミズキも安堵の息を漏らしたのは想像に難くないだろう。

 正直能力を使われたらどうしようと思っていたのだ。彼女は食べるのが嫌という風でもないし、となると彼女の欠陥も能力のストッパーという意味をなさなくなる。


 通りに出てまだ気温的には熱くもないというのに、人の多さゆえのムワッとした熱気が顔に直撃する。思わず顔をしかめ、息を一つ吐いた。

 背後から「ありがとねー!」というおばちゃんの声が響き、俺に続くようにミズキとサラベルも店から出てくる。


「いや、すまないね。良さげなものがたくさんあったせいで」

「まったくですわ。おかげでこんなに荷物が多くなってしまいました」

「ん、気にするな。これくらいなんともない」


 まだまだ余裕だとでもいうように、俺は二つの袋を上げ下げしてみせる。多いといってもここに入っているのは所詮衣服だ。それほどの重さはない。

 だがサラベルには思うところがあるようで、納得したようではなかった。

 またあれが始まるのか、なんて考えながら人ごみから外れ、裏路地に入った。


「せめてご自分の荷物くらい自分でお持ちになったらどうなんですの? 端的に言ってしまえば、アリウス様の荷物を請け負いなさい、ですわ」

「だから俺は大丈夫だと――」

「アリウス様を小間使いのような扱いするなんて許されません!」

 

 サラベルは興奮気味に少し詰め寄りながらそう言い放った。

 また始まった。裏路地通りとは百八十度変わった空気の中、俺とミズキは頭を抱えた。

 サラベルはどうにも俺を丁重に扱いすぎなところがあるのだ。しかもプライドが高い。不快でも有害でもないのだが、一人の男としては何とも微妙なところではある。

 呆れながらひび割れたレンガ造りの壁に手を当て、転がっているゴミをまたいで進んでいく。


「だから片方ボクが持てと?」

「いえ、両方ですわ」

「それはおかしいんじゃないかい? 君の分もあるだろう。それまで持てと?」

「貴族に荷物持ちをさせるんですの?」

「"元"、な」


 少しだけ空気が悪くなる。ここまでいつもの通りだった。サラベルが俺をやけに尊重し、その結果ミズキが貧乏くじを引く。それがいつもの流れ。でも特に止めようとも思わなかった。なぜなら、この後の流れも決まっているからだ。

 なんでもいいが、俺を挟んで言い争わないでほしいものだ。まあ慣れたものでもある。

 気にすることなく、次の分かれ道を右に進んだ。そこも先ほどと何も変わらない、薄暗い路地裏だ。


「えー。いやだよ。君が持てばいいんじゃないかな」

「だから私はっ――」

「そこまで言うなら能力を使ってボクに持たせればいいじゃないか」

「言われなくても!」


 そして狙い通りとでもいうように、ミズキの形のいい唇が三日月に曲がる。


「『ミズキ・ユバス! アリウス様の荷物を持ちなさい!』」

「フフフ、はいはい。仰せのままに」


 ニヤニヤ笑いながら棒読みで楽しそうにそういうと、ミズキは体の俺から荷物をもらい受けた。――一つだけ。

 そしてもう片方は、反対側からサラベルが受け取る。その表情は俺まで思わず笑ってしまいそうになるほどにおかしな顔をしていた。


「フフフ。なんて顔してるんだい? そんなに目を見開いて。まさか自分の能力の欠陥を忘れたわけじゃないだろう?」

「グググ……ミズキさん!!」

「お前ら本当に仲いいな」

「そうだね。仲良しだよ」

「違いますわ!」


 ミズキは相変わらず楽しそうに笑い、サラベルは悔しそうにうなる。

 毎回こうなのだ。ミズキが貧乏くじを引きそうになっても、乗せられやすい性格のせいで、結局サラベルも巻き込まれる。しかもミズキがからかっているようで、楽しんでいるところもあるからなおさらサラベルにとってたちが悪い。

 まあ、仲のいいことはいいことだ。

 ほほえましい彼女らを見ていると、こっちまで自然と笑みが浮かんでくる。


次の突き当りを左に進んだ。すると大きな広場に出た。集会場のようだ。いや、公園だろうか。ここは通りと違いレンガで舗装されておらず、地面にあるのは土。それでも手入れはされているのか荒れてはいない。今は何もイベントもないからか人影は見えず、閑散としている。先ほどの人にあふれた通りとは雲泥の差だ。


だが、俺にとっては都合がいい。


「ミズキ、サラベル――やるぞ」

「はぁ……やっぱりかい。なんとなく気が付いてはいたけどね」

「本当に狙いは私たちなんですの?」

「ああ。多分な。人ごみに紛れても、裏路地に入って迷路みたいな場所を曲がりまくってもずっとついてきてたぞ――背後の俺たちのあとをつけているやつらは」


ずっとなんとなく視線は感じていたのだ。でも俺たちの後をつける必要がないし、そもそも俺たちは隠れて生活しているから俺たちのことを知っているやつ自体ほとんどいない。

だからカマかけるつもりでこんな人気のないところに来たのだ。

その結果、ドンピシャだ。背後にいる何者かは、完全に俺たちをつけている。


「どういうつもりなんだろうね」

「直接聞いてみればいい話ですわ」

「その通りだ。それじゃ――」


俺たち三人はほぼ同時に振り返る。そして、隠すようなこともせずに、正々堂々と、真正面から叩きつけた。


「おい、そこにいるやつら、出てこい。お前たちは――なにものだ?」

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