5話「失敗作は出迎えた」


「ただいま戻りましたわ! アリウス様!」



 一人の少女が、両手を広げながら飛びついてきた。


 だが俺はそれを受け止めることもなく、一歩横に動いてそれを交わした。

 少女の両手が俺がさっきまでいたところで閉じられ、空ぶる。ソコソコの勢いがあったから、少女はそのまま勢い余って倒れそうになっていた。


「おっ……とっ……と」


 少女は片足でトントンと軽く飛んで、勢いを殺した。その動きに呼応して、頭に二つ付いた金髪の縦ロールが揺れる。

 彼女は態勢を立て直すとこちらに向き、責めるように整った眉をひそめ、ビシッ! と効果音がなりそうな勢いで俺に指をさした。


「ちょっとアリウス様! どうして避けるんですの!?」

「いやまあ、突然来たからとしか言いようがないな」

「それでも毎回毎回避けなくてもいいではありませんか!」

「毎回毎回突然来るからなぁ」

「いい加減学習したほうがいいんじゃない? おサルさん」

「メルさん! 私はサルではありませんわ! よく覚えておきなさい。私の名前は、サラベル。高貴なるサラベル・フルベリアですわ!」

「知ってるけどね」

「知ってるけどな」

「なぁ!?」


 サラベルはグググ……と悔しそうにスカートを握りしめながら俺たちを睨みつける。

 その反応が面白くて、ついつい俺もメルもからかってしまうのだ。彼女はそれをわかっているのだろうか。

 だがそこでサラベルの表情が変わった。少し得意げな顔をしたかと思えば歩き出して、俺の正面に立つ。

 その真意がわからず、俺もメルも首をかしげた。


「フフフ……『アリウス・ベール。前に進みなさい』」

「な!? お前……!」


 その声を聞いた途端、俺の意思に反して自分の足は勝手に前に進み始めた。そしてサラベルも俺と同様に前に進み始める。抵抗しようとしても意味はない。まるで自分の体が自分のものじゃなくなったような、変な感覚だった。


 これがサラベル・フルベリアの能力。彼女も失敗作なのだ。

 彼女の能力は神の勅令ゴッダ・エディクト。彼女は相手に逆らえない命令を下すことができる。誰にでもというわけでもなく、相手の実力でもある程度効果は変わってくる。でも大抵の相手にそれは有効で、その勅令は誰も逆らえない。

 だが彼女も失敗作。その能力には欠陥が存在する。

 それは『誰に向けての命令でも関係なく、それは自分にも効力を発揮する』ことだ。

 要するに相手に命令すれば自分もその行動をしてしまう。

 相手に寝ろと命じれば自分も寝るし、死ねと命じれば自分も死ぬし、前に進めと命じれば自分も前に進む。ちょうど今のように。


 俺とサラベルが共に前に進み、その距離はだんだんと埋まっていく。

 なるほど、俺の目の前に立ったのはこのためかと、手遅れだが気づいた。


「フフフ……これでもう逃げられませんわ……」

「くっ……」


 別にハグ自体が嫌なわけじゃない。

 彼女は綺麗だと思う。絹のような髪やスッと伸びた鼻筋、それに凛とした目つきは高貴な印象を与え、彼女をより引き立てる。サラベルが元貴族というのも納得できそうだ。

 だから嫌というわけではない。ただ、単純に恥ずかしいのだ。ここにはメルもいるし、新しく仲間になったユーマもいる。その目の前でハグをするというのは、俺にとってなかなか難しいことだ。

 

 そんなことを考えながらも俺と彼女の距離は迫っていく。彼女は再び腕を広げ、勝ち誇ったような笑みを浮かべた。

 あと少しで俺とサラベルの体が触れる――その時だった。


「え?」


 俺とサラベルの間に人影がスッと入り込み、そいつが俺の代わりにサラベルを抱きしめた。俺はそいつの背中に軽くぶつかり、サラベルの能力の効果が切れる。


「……どういうつもりですの? メルさん」


 メルより背が高いサラベルは、見下ろすような形でメルに視線を向け、メルにそう問いかける。

 視線を向けられた彼女はやはり得意げに、フフンと笑ってみせた。


「サラベルは私じゃ不満?」

「そういうわけじゃ……はぁ、もういいですわ」


 仕方ないですわねと苦笑をこぼしながら、サラベルはその空色の髪を撫でる。メルは嬉しそうに目を細め、サラベルを抱きしめる腕の力を強くしていた。

 まもってくれた……のだろうか。いや、守ってくれたというほどたいそうなものじゃないし、守らないといけないほど危険なものでもないが。そもそもが彼女の好意からくるものだ。だから身代わりになってもらえて嬉しそうな表情をするのも憚れて、かといって不満そうな表情をするのも癪だ。

 少し考えた末に、仲良くハグしている彼女たちを見ているとどうでもよくなって、一つだけため息を吐くことにした。


「なあなあ」

「ん? ――ん!?」


 ユーマに声をかけられ、強引に腕を引かれる。彼はそのまま俺を引き寄せ、肩を組んで顔を近づけてくる。そして「聞きたいんだけど」と小さな声で問いかけてきた。


「あの子ってさ、お前のこと好きなのか?」

「なぜそれを俺に聞くんだ……」

「なぜって、初対面の女の子にそんなこと聞けるわけないだろ!」

「張本人に聞くっていうのもおかしな話だろ」


 こんな質問、肯定しようが否定しようが俺にとってはマイナスだろうに。

 肯定すればなんだか自意識過剰みたいで嫌だし、否定すればあんなあからさまでとぼけるのか、なんて言われるのは目に見えている。


「いや、だって他に聞けそうなやつもいないし」

「メルはどうだ?」

「女の子と恋バナはちょっとレベル高くて無理だ。で、どうなんだ?あのサラベルって子、お前のこと好きなのか?」


 しつこい。思った以上にしつこかった。意識してうんざりした表情を浮かべているが、ユーマはどうも気にした様子ではない。

 さて、どうやって躱すか……なんて考えている時だった。


「そこの人! その通りですわ!」


 いつの間にかメルとのハグを終えたサラベルは、ユーマを指差してそう言った。


「アリウス様は私を助けてくれました。絶望に沈んでいた私を、文字通り"死んでまで"あの監禁部屋から連れ出してくれた。そんなアリウス様をどうして好きにならないでいられるでしょうか、いや無理ですわ!」

「――それにはボクも同意かな」


 そこに新たな声。低すぎず高すぎず、聞いていて耳に心地よい落ち着いた声。

 ああそうだ。遅いが今更ながらそれに気がついた。ブルバが来たということは、彼女がいるということだ。


 声のした方に目を向ける。


「……ミズキ」


 そこにいたのは一人の少女。

 落ち着いた不思議な雰囲気を纏いながら、紫の鎖を首に巻いた巨大な狼を撫でていた。その後ろにはつい今外されたであろう荷台と、そこには多くの荷物が積まれている。

 黒いショートカットの髪を風で揺らしながら、「ありがとう」と小さく微笑んで紫の鎖に触れる。するとその鎖は弾け、巨大な狼は何事もなかったかのように森に消えていった。


 ミズキ・ユバス。

 彼女も失敗作だ。

 その能力は魔物操術ネクロマンサー。その名の通り魔物を隷属し、操ることができる能力だ。

 その能力は強力。俺たちがこの森に住み魔物に襲われないのは彼女のおかげで、この森の上位に位置する魔物をほぼ全て彼女が隷属しているからだ。


 彼女はこちらに向き、歩き出す。彼女の方に止まっている、あの一つ目カラスの大きな目玉がギョロリと俺を映していた。


「あの時はもうダメかと思ってた。死ぬまでこの能力を利用され、最後にはゴミみたいに捨てられると思ってた。そんな時に助けてくれたのが君だった、アリウス」

「……大したことじゃない」

「そんなことあるもんか。だからこそボクは、君に忠誠を誓っているんだ」


 そういって彼女は自分の首にかけられた鎖に触れた。

 それは隷属の証。ミズキが誰かに隷属していることの証明だ。

 これがミズキの能力の欠陥である。つまり、魔物を好きに隷属できる代わりに、彼女は『常に誰かに隷属していなければならない』。

 彼女が言うにはそれが切れた途端、全身に耐え切れないほどの激痛が走るとか。


 ミズキは俺の目の前まで歩いて来て、薄く笑みを貼り付けながらひざまづく。そして流れるような仕草で俺の手を取った。


「ただいま戻りました。――我が主よ」


 ミズキがそう言うやいなや、手の甲に柔らかい感触。

数瞬遅れて、ミズキが俺の手の甲に口づけをしたと気がついた。


「なっ!」

「え!」

「ちょっとミズキさん!?」


 ユーマ、メル、そしてサラベルが驚きの声を上げる中、彼女は動じることなく目を細め怪しげに微笑んでいた。


「……どうした、ミズキ。普段こんなことしないだろ」


 極めて冷静を保ちながらそう問いかけた。

 だが正直心中は穏やかじゃない。動悸が激しいし、ふと気を抜けば変なことを口走ってしまいそうだ。おかしな表情をしないように、顔に力を入れる。


「何もおかしなことはないさ。ボクは君に隷属してるんだ。これくらい普通じゃないかい?」

「隷属って言っても、形式上だけだろ」

「君に取っては、ね。自分が思っているのと同じ通りに相手も思っているとは限らないよ?」


 また彼女は首の鎖に手を添える。さらに今度は頬を染めるのもプラスして。『ボク』という一人称とかその喋り方とか女の子らしくないというのに、こういう仕草だけはそれらしいというのがまた困る。

 それに彼女は自分のことはあまり語らない。ある程度のヒントだけ渡してきて、結論だけは俺に考えさせる。それがあっていようが間違っていようが関係なく。

 俺はなんだか気恥ずかしくて、思わず視線を逸らしてしまった。


「ハーレムじゃねえかよ! ラノベかよ!」

「ははは……まあ似たようなものだよね」


 ユーマが悔しそうに叫び、メルが苦笑いを浮かべる。

 まあ、否定はしないし、できない。


「仕方ないだろ……」


 魔力は生物すべてが持っているが、その量は個人差がある。人間においてそれは特に性別で顕著に表れる。

 女性は男性と比べて圧倒的に多いのだ。いや、この場合男性に少ないといったほうがいいかもしれない。それほどに人間の男が持つ魔力量は生物全体から見ても少ないのだ。

 そしてこれが失敗作が生まれる原因でもある。


「失敗作は女性に多くて、男性はめったにいない。俺は失敗作を助けてきたんだから、周りに女性が集まるのは当たり前だろ」

「それはそうだけどさ……」


 精神を赤ん坊に埋め込むのは神の力を使う。そして魔力とは神と相反する魔族の力だ。だから魔力の多い女性は精神の植え付けを魔力が邪魔して、失敗作が生まれる。逆に魔力がほぼゼロに等しい男は簡単に転生者が生まれるのだ。

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