4話「失敗作は夢を見た」
懐かしい夢を見た。いや、夢というよりは、記憶の断片だろうか。
失敗作とか転生者とか、そんなこと何も考えずにいられた、世界の全てが輝いていたあの時。
俺が生まれたのはこの世界に点在する都からかなり離れた、魔物と人間の戦いの最前線近くのとある村だった。
時折魔物の唸り声を耳にして怯えながらも、まだ幼かった俺は楽しく日々を過ごしていた。
故郷のことはよく覚えていない。夢の中でさえ、霧にかかったようにその全体像はぼやけてしまっている。俺の能力が露わになって連行されたのは、随分と昔のことだ。
でもあいつの――幼馴染のメルリアとのことは鮮明に覚えている。
『痛い……痛いよぉ……』
『大丈夫? アクシス』
あの頃の俺はよく怪我をしていた。もともと体も弱かったし、それに加えてなぜかよく転んでいた。その度にどこか擦りむいては、メルに慰められていた。
『血……血が出てる……』
『大丈夫。大丈夫だよ……』
俺が傷つけば、真っ先に飛んできてくれたのはいつだってメルだった。その度に俺の頭を撫で、大丈夫、大丈夫と繰り返す。
あの時の俺は、子供ながらに頭を撫でてもらうのが好きだった。今とは違いまだ黒い髪を、壊れ物を扱うかのように優しく触れられるのが安心した。
『ほら、痛いの痛いの……飛んでけー』
そしてその傷を手で隠し、決まってあのセリフを言うのだ。
『わ、わあ。傷がなくなった! すごい! すごいよメル!』
『あはは。でしょ? 私が治してあげるんだから、もう泣いちゃダメだよ?』
『うん!』
あの頃の俺は気がつかなかった。それが失敗作の能力で、その傷の全てをメルが肩代わりしていることを。
あの頃のメルは小さな子供のくせにやけに大人ぶって見えたのだ。だから同い年なのにお姉さんのように感じて、俺は甘えていた。
『怪我をなくしちゃうなんて、メルは神様みたいだね!』
そんなある時、興奮してそう口走った。いつもみたいにメルは少し照れながらも笑って、頭を撫でてくれると期待して。
でも彼女は逆に、苦虫を噛み潰したような表情をしていた。幼かった俺は首を傾げた。
『神様なんて……ロクなものじゃないよ』
絞り出すような声であの時メルはそう言った。
何が彼女にそんな表情をさせ、声を出させるのかその時俺にはわからなかった。
ただ。
いつも綺麗な笑顔を浮かべるメルの苦しそうな表情が、幼いながらに俺の記憶に強く焼きついた。
それから数日後、魔物が俺の村を襲撃した。その時初めて俺は一度目の死を体験した。
そして、俺は自分が失敗作と知り、メルもそうだと知った。そしてメルと同じ施設で監禁されることとなった。
◆
窓――といっても壁に穴が開いただけだが――から差し込む淡い朝日に照らされ、目を覚ました。ぼーっとした頭のまま、ほぼ無意識に体を起こす。街で安かったから買った固いベットが、ギジリと音を立てて軋む。
寝起きはいい方じゃない。何もない虚空をただ眺め続ける。その時間、たっぷり五分。そこからようやく頭が回り始める。
窓から光が差し込むってことは、そうか、もう到着したのか。
そんなことでさえ寝起きでは思いつかない。
窓から見えるのは昨夜いた森と変わらない、乱立する木々。そこに一日の訪れを祝うかのように、小さな鳥たちが鳴き声をあげながら飛び回る。
いつも通りの、平和な森だった。
いつまでも寝ているわけにもいかない。ベットから降りると、そのまま自分の部屋から出る。
広間には誰もいなかった。いつも朝飯はここで食べる。ということはかなり早く起きてしまったらしい。ユーマの様子も気になったが、起きてくればわかる。後回しにすることにした。
一度起きてしまえば目は冴えて、二度寝なんて出来そうもない。
「……散歩でもするか」
そう思い立つとすぐに巨大な扉を開け、外に出た。一歩踏み出すと靴の裏にみずみずしい草と土の感触を感じた。無理やり地中から飛び出るイブ・ロブは、到着地点を昨夜の森と同じくひらけた場所にしてしまっている。
「んっ……んぅ……」
明るい日差しを体いっぱいに受け止め、体を大きく伸ばした。関節がほぐれ、ところどころコキコキと音がなる。
「さて、行くか」
迷うことなく足を動かした。ここは俺たちが拠点としている森だ。どこに何があるのかだいたいは頭に入っている。それに、こんな時俺が向かう場所は決まっていた。
木の隙間をくぐり、地面から飛び出した木の根をまたいでまっすぐ進んでいく。
この森自体、それなりの大きさがあるが、かなり大きいというわけでもない。せいぜい人の住む平均的な街程度の大きさだ。目的地である場所はこの森のちょうど中心にある。一五分程度歩いたところで、そこに到着した。
「相変わらず綺麗だなここは」
目の前に飛び込んだ光景に嘆息する。
ここは湖だ。いや、大きさ的に池だろうか。
底が肉眼で確認できるくらいにここの水は澄んでいて、それがさらに朝日に照らされてキラキラ輝いている。綺麗な水の周りには命が集まるもので、ここら一体に生息する植物も他より一層生き生きしているのは勘違いじゃない。ここの水を飲もうと、鹿やはたまた狼まで、様々な動物がここに訪れる。
命にあふれたこの池の周りでは、肉食獣も草食動物も争うことはない。
「ふぅ……」
朝故かこの命溢れる池故か、澄んで綺麗な空気を目一杯吸い込んで地面に腰を下ろす。
だいたい嫌なことや心が乱れた時にはここにきてしまう。乱れたというのはいうまでもなく、昨夜のメルのことだった。
ここで少しでも落ち着けなければならない。
彼女はそういう性格なのか、あんな空気になっても次の日になればいつも通りに接してくる。それなのに俺だけ暗い空気でいてはいけない。
その時、背後の茂みがガサリと音を立てた。
「――っ!」
反射的に飛び上がり、戦闘体制に入る。その茂みを睨みつけ、いつでも"出せる"ように準備して。
「お! いたいた!」
だがそこから飛び出てきたのは俺の知る人物だった。
その顔に軽快な笑みを浮かべながら、手を挙げている。
そいつと俺の緊迫感の差がなんだかバカらしくて、軽く笑みをこぼしながら緊張を解いた。
「ユーマか。よくここがわかったな」
「メル……リアが教えてくれたんだよ。多分この池だって」
メルとリアの間に少しの間。自分の中ではメルと呼んでいるのだろうか。
「それにしても綺麗なところだな」
「だろう。俺のお気に入りの場所だ」
「へぇ……」
ユーマは俺の隣に腰を下ろし、まじまじとこの光景を眺めていた。
自分が好きな場所を他人が好んでくれるのはなかなか嬉しいものだ。
ユーマは端から端まで視線を滑らせ――
「ん?」
そう声を漏らした。
「どうした?」
「なあ、あれ……狼か?」
「ん? ……ああ、そうだが」
「…………デカすぎね?」
彼の視線の先にいるのは狼の群れ。首に紫の鎖を巻いた一匹の灰色の狼の周りに、その子供か少し小さめの狼がいた。
だが問題なのはそのサイズだ。彼らはいわば普通の狼とは大きさがまるで違う。親狼なんて人が三人くらい乗っても問題がなさそうだ。
「ああ、そりゃそうだ。あいつらは魔物だからな」
「また魔物かよ! てかよく見たらいっぱいいるし!」
気づかないうちにもう数匹来たようだった。だが彼らは俺たちを襲うことなく、その池に口をつけ水を飲むだけだった。
「なんでこんな魔物が……」
「ま、ここは魔物の森だからな。魔力だってこの森はかなり多いし、しょうがない」
「魔物の森って……アリウスたち、死にたいのか?」
信じられないと言った様子でユーマは俺を見た。
ユーマは魔物を見たことすら少ないのだろう。そもそも魔物自体一般人なら早々見る機会はない。
この世界は人間の住む領域の周りを囲むように魔物の世界がある。人々はその魔物を駆逐し、人間の領域を広げて来た。
この森があるのはその人間の領域内だ。だがこの森がもつ魔力の膨大な量故に、魔物が次から次へと現れる。
だから人間はこの森を立入禁止区域にし、放置した。
追われる立場である俺たちからすれば格好の場所だった。
「大丈夫だ」
「大丈夫って……」
「とにかく襲われることはないから安心しろ」
そう言えばユーマはとりあえず頷いていた。と言っても完全に信用した、という感じではなさそうだが。
「そういえば、体は大丈夫か?」
「あ、ああ。なんともない。本当に怪我したのか疑っちゃうくらいだ」
「そうか。それはよかった」
「メルリアが治してくれたんだよな?またちゃんとお礼しないとなぁ……」
「ああ……そうだな」
俺の声が少し沈んだのを自分でも感じた。
全く整理できてないじゃないかと、自己嫌悪。そもそも傷が治ったのだから喜んであげないといけないのに。
お前のせいでメルが代わりに傷を負ったんだと思ってしまう自分も確かにそこにはいて。
そんな俺を見て、やはりユーマも表情を沈ませる。
「そうか……メルリアが代わりに傷を負うんだよな……ごめん」
「いや、メルだってあいつが望んでやったんだ。そう思い詰めることもないぞ」
「そう言ってくれると嬉しいけどさ」
これは俺の問題だ。ユーマとメルに関していえば、きちんとお互いに了承しているのだから気にする必要もないのだ。
ただ俺が勝手に思いつめているだけで。納得できていないだけで。
「……ああ、そういえば何か俺に用があったのか?」
「あ、そうそう! もうご飯にするってメルリアが」
「もうそんな時間か。……よし、じゃあ帰るか」
「おう!」
俺が立ち上がり、それに続くようにユーマも立ち上がる。そして元来た道を辿るように歩き始めた。
基本飯を作るのはメルだ。彼女の飯は美味しい。今日はなんだろうかと、心の中で気分が高揚した。
とそこで、一つの疑問が頭に浮かんだ。
浮かびつつも、自分の中で否定する。
いや、もしかしたら彼女が自分で言ったのかもしれない。少し俺は信じられないが、ひょっとすると彼女もユーマに対して思うところがあったのかもしれない。
そんなことを考えながらもその疑問はしつこく頭から離れてくれない。
――俺、メルの欠陥のことユーマに話したか?
◆
メルお手製の朝飯を食べた後は特にやることもない。
メルは広間の淵のほうにある流し台でカチャカチャと音を立てながら片づけをしている。ユーマはどこか落ち着かなさそうにキョロキョロと視線を彷徨わせ、俺はといえば椅子に腰かけて読書にいそしんでいた。
誰も話す人はいない。木製も皿がぶつかる音だけが鳴り、時間は等速で過ぎ去っていく。
とそこに窓から一匹のカラスが迷い込んできた。真黒な翼を羽ばたかせながら、迷うことなく俺の目の前まで飛んできて机にとまった。
「アリウス、なんだ? そいつ。カラスか? うわ……気持ち悪いな……」
ユーマはそれを見て眉を顰め口をゆがませる。
わからなくもない。そんな表情をしてしまうほどにこのカラスは普通とはかけ離れた姿をしていた。
そんなユーマの態度が気に食わないのか、カラスは頭あたりにある"一つの大きな目玉"をぎょろつかせながら、カアと一声鳴いた。すこし動けば首に巻き付いている紫の鎖が揺れた。
「あまりそういうことは言うな。こいつペットなんだよ。飼い主に怒られるぞ。ちなみにそいつの名前は『ブルバ』らしい」
「一つ目カラスをペットにするなんて相当なゲテモノ好きなんだな……。どうせそいつも魔物なんだろ」
「ま、そうだな」
あきれたようにユーマは苦笑を浮かべる。
「――と、そんなことより……」
俺はブルバの体をまさぐるように手を伸ばした。こいつが飛んできたということは、どこかに飼い主からの手紙を持っているはずなのだ。
それを探そうとしたが、ブルバが先に自分の片足を自分の嘴でつついた。ここだと言いたいらしい。確かにそこには羊皮紙が結び付けられていた。
それをほどくとブルバは羽を数回羽ばたかせ、役目は終わったとばかりに飛び立っていった。
「なに? ブルバ来てたの?」
ちょうどその時、洗い物が終わったらしいメルが布で手を拭きながらこちらに歩いてきた。その表情は心なし嬉しそうに見える。
「ああ、ちょうど今な」
「手紙にはなんて?」
「今から読む。ちょっと待ってろ」
羊皮紙を開くと、そこには何ともあいつらしいきれいな字で書かれた文字列が二行だけ並んでいた。
「もうすぐ帰るってよ」
「わあ! そうなんだ!」
メルはその喜びを隠そうともせず、輝くような笑顔を巡らせた。余程うれしいのか、少し跳ねて空色の髪が波打った。
だがそれに首をかしげるのがユーマだ。
「ん? まだ仲間がいるのか?」
「ああ。あと二人な」
「どんな人なんだ?」
「まあ実際に会えばいいさ。どうせすぐに帰って――」
そこまで言って言葉を止めた。そして大きな扉をにらみつける。
――何か……いるな。
かすかに音が聞こえたのだ。疑惑の視線を俺にぶつけるメルとユーマを無視して扉に向かった。
耳を添えればいくつかの音が聞こえてくる。
――足音が人間と動物のが一つずつか……。
扉から耳を離し、少し後ろに下がる。
すると、ギギギ……とうなり声をあげ、大きな扉がゆっくりと開いていく。
誰が来たのか。何が飛び出してきても大丈夫なように身構えた。
両開きの扉がその隙間をどんどん大きくしていき、人ひとりが通れるくらいにまでなった瞬間――
「ただいま戻りましたわ! アリウス様!」
一人の少女が、両手を広げながら飛びついてきた。
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