3話「失敗作はすれ違った」

「な、なあ、どこに向かってるんだ?」


 歩き出して少しした頃、ユーマがそんな言葉を口にした。

 確かに不安ではあるかもしれない。今歩いている道とは言えないような道も、見える景色も全く変わらず進んでいないような錯覚さえ覚えそうなほどだ。そんな状態で向かっている先がなんなのかすら教えられず、ただついて行くだけというのはなかなか精神的にダメージがあるのかもしれない。


「拠点……っていうか、家だな」

「あれを家って言えるのかは微妙だけどね」


 淡々と答えた俺に、メルは横槍を入れる。

 確かにメルのいうことも事実だった。あれを家と言われて簡単に納得する人はそうそういないだろう。


「なんか、どんどん不安になってくんだけど」

「安心しろ。よほどのことがない限り、危険はない」

「微妙に安心できないな……」


 ゲンナリとしたユーマのつぶやきも無視して、足を進めた。

 また少し歩くとひらけた場所に出た。

 ひらけたというのは少し違うかもしれない。むしろ、ひらけ"させられた"というのが適切だ。

 今まで歩いていた森は樹木が密集し、その隙間を草花で埋めたような、土を見ることもないくらいに緑であふれた場所だった。

 だがここはどうだ。まるで地下の何かが思い切り爆発したように土があちらこちらに散乱し、そのひらけた場所を囲むように倒れた樹木や草花が押しのけられていた。そしてこの広場の中央にあるのは――


「なんだ……この木……!?」


 ユーマが目の前に悠然と佇む巨大な枯れ木を見上げ、驚愕の声を漏らす。

 樹齢一〇〇〇年はくだらない。両手を回しても半分も届かないくらいに太い幹。葉は一枚もなく、幾多の枝が方々へ伸ばされ、灰色の見た目からは命を感じることはできない。そして普通の木にはない、木に巻きつき紫色に怪しく光る鎖と、高さ3メートルはあろうほどに巨大な扉が、さらに異物感を高めて行く。


「な、なあ、扉あるけど……まさかここじゃないよな?」


 そう俺にたずねるユーマの顔は、面白いくらいに引きつっていた。そんなユーマに思わず笑みがこぼれる。


「まさかのここだな」

「そうだよ。ここが私たちの拠点で、家!」

「いやいやいや! てかこの木なんだよ! こんなの見たことないぞ!」

「こいつはイブ・ロブ。通称"デビルズ・ハウス"。ま、要するに魔物だな」

「ま、魔物!?」


 ユーマは素っ頓狂な声を漏らした。メルはそれを見て、クスクス笑っている。


 魔物というのは魔力の影響を大きく受けた、もしくは魔法的な力を持つ生き物のことを言う。魔力自体は誰しもが持っているが、種族や性別によってその量は変わってくる。そして魔力とは要するにエネルギーだ。

 その恩恵を受け異常な力を持ったり、体が大きくなったり、魔法や魔術を使ったりするやつらを総じて魔物と人々は呼ぶ。

 そして大抵の場合、魔物とは人々の、そして転生者の敵だ。なぜなら転生者たちは神から魔物を退治するために転生させられているらしいから。


「太古の昔、もう絶滅した悪魔たちが作った魔物だ。長い間枯れず、魔力を大量に蓄えた木を魔法で魔物化させたものらしい」

「マジか……でも魔法って――」

「ああ、もう使えるやつはいない」


 体内の魔力を特殊な技術を持って変換し、超常な現象を引き起こす。魔力によって自然の法則を捻じ曲げる。それが魔法。

 魔法はもう失われた技術だ。少し前までは魔術という魔法の劣化版を使える女性たちがいたらしいが、彼女らも全員殺された。

 いつだって人々は強い力を持つ人々を迫害するものだ。まったく、反吐がでる。


 メルは我先にとイブ・ロブに向かって歩き出した。そして巨大な扉に手をかけてた。ゴゴゴ……と重い音とは反対にメルにでも開けられる扉だ。そして彼女は慣れた様子でイブ・ロブの中に入っていく。俺とユーマもそれに続いて入った。


「え、いや、おかしくないか? 明らかに外から見たよりも広いんだけど」


 ハハハとユーマは引きつった笑みを浮かべた。初めてここにきた時の自分と重ねながら、俺も小さく笑みをこぼした。

 この家の作りは簡単だ。扉をくぐると大きな広間があり、そこからそれぞれの部屋や小さな部屋に続く扉がある。その広間は円形で、それだけでも外から見た木の外径より確実に広い。


「俺もよくわかってないが、空間拡張の魔法がかかってるらしいな」

「……無茶苦茶だな」

「悪魔ってのはそういう生き物だ。もう絶滅したけどな」


 そんなことを言いながら恐る恐るユーマは足を進める。一歩一歩過剰なぐらいにビビりながら歩くその姿は、なかなか側から見てて面白い。

 だがメルはそれに目もくれず足を止めることはない。手当の道具が入った箱を広間の中央にある大きな木の机に置くと、さっさと自分の部屋に向かってしまった。


「はぁ……どうしていつも……」


 俺は閉じられたその扉を見つめながら小さく息を吐く。

 いつまでも変わらない自分に嫌気がさす。またメルを傷つけてしまった。


「……ユーマ」

「ん? なんだ? アリウス」

「お前の部屋はとりあえず一番端のあそこだ。今日はとりあえず寝とけ。と言ってもまだ何もないし、もちろんベットはないから今日のところは床でしか寝れないけどな。いろいろ面倒な話はまた明日だ」

「あ、ああ……」


 少し早口気味にまくし立てれば、ユーマは一応返事を返した。

 俺はそれを確認するより早くメルの部屋に向かった。


「……イブ・ロブ。ここから東に一〇キロ。いつもの場所までだ」


 途中で中央の机に手を添えながらそう呟く。

 驚くことにこのイブ・ロブは地中を移動することができる。しかもその間中は揺れることすらない。とりあえず俺の命令を聞くことにはなっているから、これでいつもの場所まで移動してくれるはずだ。


 机の上のメルが置いていった箱を持ち、メルの部屋の前に立つ。数回扉をノックするが、何も帰ってこない。なんとなく察して、また一つため息をついた。


「……入るぞ」


 返事はなかったがいつものことだ。扉を開けると、部屋の一番扉から離れた場所にあるベッドの上に、メルは座り込んでこちらに背を向けていた。その脇に置かれたランプの淡い光が、メルの空色の髪を照らしている。


「……メル」

「アリウス……?」


 俺の声に反応し、ゆっくりと振り向く。その顔色はやはりよくない。メルは気まずそうに目線を忙しなく動かした。

 俺はまた一つため息をつき、彼女のもとに向かう。


「……見せてみろ」

「……っ」


 一瞬メルの体が硬直し、眼を見開く。だがそれは一瞬だけだ。諦めたように視線を伏せると、俺に背を向ける。ランプに照らされオレンジに光るワンピースに手をかけた。裾を握ってそのまま皮をむくように脱ぐ。メルの顔は伏せられたままだ。

 空色の背中まで届く長髪が揺れ、その隙間から白くきれいでみずみずしいうなじが顔をのぞかせる。

 次いで、スルスルと胸にまかれた布をほどいていく。自分の背中を俺に見せつけるようにメルは自分の髪を前に回した。彼女の背中がロウソクの火に照らされ、橙色に光る。


「んっ」


 そっと彼女の背に触れれば、彼女は肩を震わせた。


「――ごめんな」


 その言葉は自然と口から出ていた。口にしてから後悔する。こんなことをさせたのは自分なのに、どの口が言っているのか。


「……私が勝手にやったことだし、アリウスが謝ることじゃないよ」

「そんなことない。もっと俺がしっかりしてれば――」

「それに、これが私の役目だもん。私にできることだもん。ならやるしかないでしょ?」


 首だけすこしこちらに向け、軽く笑いかけてくる。きれいな笑顔を向けられ、何も言えなくなった。でも俺の中の気持ちが消えるわけじゃない。


「ならせめて、手当くらいさせてくれ」

「……うん。わかった」


 箱から包帯を取り出して俺もベッドの上に腰掛け、彼女の背に視線を向けた。逃げないように、まっすぐ。


 彼女の背の、切り裂かれたような傷・・・・・・・・・・に目を向ける。

 それだけじゃない。彼女の体には、数えるのも億劫になりそうなほどの傷跡があった。切り傷に火傷の跡、打撲痕のようなへこみなど種類も多い。布で巻かれ確認することはできない手足でさえ、傷跡で溢れていたはずだ。

 年頃の女子にしては異常なほどの傷跡に、俺まで目をそむけたくなりそうになる。

 そして無数の傷跡の中で一際目立つのは右肩から左の横腹にかけて痛々しく紅に光る、大きな切り傷だった。さっきまでユーマが追っていた傷に似ている。というよりその傷の度合いこそメルのほうがましだが、位置は完全に一致していた。


「痛むか?」

「うん……っ……ちょっとだけ」


 布を水で濡らし、傷口を軽くふいてやる。やはり沁みるのかそのたびに体を震わせた。

 傷口をなぞるたび、布が赤く染まっていく。


「ほんと、不便な能力だな」

「そんなこと言わないでよ。こんなのだけど、みんなを助けれることはうれしいんだから」

「それでお前が傷つくとしてもか?」

「……うん」


 失敗作はしょせん失敗作だ。その能力には必ず欠点がある。

 メルの能力は治癒だ。いかなるケガも治すことができる。

 そしてその欠点とは――治した傷を自分が負ってしまうことだった。


 背中は俺が、そして前はメルに手伝ってもらって包帯を巻いていく。


「メルが優しいのは知ってる。でも……あまりその能力を使わないでくれ……」


 メルが能力を使うたび、メルが傷を治すたび、彼女は傷ついていく。

 彼女の体に刻まれたその無数の傷跡がそれを物語っている。

 あれのほとんどは監禁時代につけられたものだ。彼女も失敗作だから、俺が助けるまで監禁されていた。その間幾多の怪我人の治療を強制されていたのだ。


「なあ……」

「ん?」

「もう、やめてくれ」

「ははは……私が使うと、毎回この話になるよね」


 彼女は自嘲気味に笑って見せた。


「でもやっぱり、無理、かな……」


 ちょうど包帯が巻き終わる。この包帯自体いい包帯とは言えずむしろただの布に近いが、それですら赤く血で滲んでいる。残った包帯を片付けながら、俺も言葉を漏らす。


「俺は……お前に傷ついて欲しくない」

「っ……そんなのっ!」


 メルは勢いよく振り返った。胸元に脱ぎ捨てたワンピースを抱え、まっすぐ俺を見据える。その表情は今にも泣きそうなほどに悲しそうで、恨めしそうで、やり切れなさそうで、なんとも言えない。


「私だって、同じ……!!」

「…………」

「アリウス……今日、死んだでしょ」


 大きな瞳を目一杯潤わせながら、俺を睨みつける。それが俺の心の奥底まで覗いているようで、俺は思わず目をそらした。

 メルが短く息を飲む。俺の態度自体が、俺の答えを如実に表していた。

 メルは表情に曇りを見せながら、俺の左肩――ちょうど服が破けているところを如実に指をなぞらせた。


「わかってる。怪我したんでしょ? しょうがないって、わかってる。わかってるけど……納得はできないよ……」

「メル……」

「本当に死なないってわかってる。でも、私はアリウスに死んで欲しくない……。例えアリウスが――不死身だったとしても」

「…………」


 メルの言うことが全て正しかった。

 俺の能力は不死アンデット。死という概念が存在しない、世界の理から逸脱した能力。

 といっても厳密には少し違う。もっと細かくいうと、『死んでも生き返り、体の状態がリセットされる能力』だ。

 どんなひどい怪我を負っても、どんな重い病を患っても、手足が吹き飛んでも、毒に侵されても、死にさえすれば全てなかったことになる。

 それが俺の忌々しい能力であり、特殊体質だ。ちょうどユーマの目の前で、毒薬を飲んで・・・・・・傷を消したように。


「しょうがないだろ。俺の能力の欠陥、メルも知ってるだろ?」

「それは……そうだけど」


 俺もメルと同じく失敗作。その能力にもやはり欠陥が存在する。

それが『自己治癒力の欠如』だ。


「俺が負った怪我、病は、いかなる手段を持っても治癒することができない。転生者や失敗作の能力以外ではな」


 極端な話、小さな傷で俺はそのうち出血死するし、ちょっとした風邪でも死なない限り治らない。さらに俺は虚弱体質だ。その欠陥のせいかはわからないが、単純に体が弱いのだ。


「それに傷なんて今までいくらでも負ってきたし、何度も死んできた。今更なんてことない」

「そういうことじゃ……ないのに」


 メルは泣きそうな顔をしながら俺の左肩――かつて傷があったであろう場所に指をなぞらせる。


「私はアリウスに傷ついてほしくない……死んでほしくないんだよ……」


 そう蚊の鳴くような声でつぶやく彼女の表情は、明日世界が消えるような悲痛な表情で。


 俺は何も言うことができなかった。心にもないことを言うのは簡単だ。でも俺の口はなかなか動いてくれない。

 メルの手をどかして立ち上がり、彼女に背を向けた。


「……ごめん」

 

 何とかそれだけ口にできた。背後でメルの息をのむ音が聞こえる。それだけで胸が締め付けられるようだ。

 でも今の俺にはどうしようもできなくて。

 何も言わずメルの部屋から出るしかなかった。

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