2話「失敗作はまた頼った」
「はぁ……くっ……はぁ……」
状況は芳しくなかった。なにせ、ユーマの容体がどんどん悪くなっている。
やはり出血がひどいことが一番だ。今歩いている間にも絶え間無く血は流れ続け、俺たちが歩く後には赤い線が引かれている。ユーマの顔色も真っ青を通り越して白くなっていた。
本当に急がないとヤバいかもな。
焦燥感が俺の心中で湧き上がる。だがここで歩くスピードを上げれば出血がひどくなる気がして、それもできずにいた。もともと俺は医療関係にはあまり詳しくないのだ。
「ほら、踏ん張れ。後少しだ」
「はぁ……はぁ……ああ」
ユーマの体にまた力がこもる。
事実残りの距離はそこまでなかった。出口の扉がもう見え始めている。
俺たちが向かっている出口は、俺が入ってきた入り口とは別にある。非常用なのか、監禁部屋から外に出られるようなドアがあった。しかもそれは俺が通ってきた地下通路よりも短い。なら使わない手はなかった。
俺は行きもそこを使おうと思っていたが、どうやら外から中へは入れないようだった。なんとも面倒な造りをしている。
そして扉までたどり着いた。監禁部屋の入り口のような、ボロボロの扉だ。
それに手をかけ力を入れると、ブチブチブチという音とともに扉は開いた。どうやら草で覆われていたらしい。それらが力任せに開かれ、引きちぎられる。
飛び出すかのようにその扉をくぐった。視界いっぱいに緑の景色が飛び込んできた。そういえばここは森の中だったと今更ながら思い出す。背後を見てみると、そこには崖だけがあって俺が侵入した屋敷は見当たらない。あの地下通路はなかなかの長さだったらしい。
地下通路のこもった空気と違う、澄んで綺麗な空気が美味しい。一応危機は乗り切った故の安心感から、大きく深呼吸をした。
だがいつまでも気を抜いているわけにもいかない。ユーマが手当てしないと危険な状態であることになんの変化もないのだから。もはや意識すらほとんどなく、俺が担いでいるも同然になっていた。
とりあえず、一刻も早く拠点に向かわないとダメだ。
あそこまで行けば手当ての道具もあるし、なんとかなる。問題はそこまでユーマが持つかどうかだ。ここからそこまで歩けば十分程度かかる。正直そこまでユーマが持つかどうかと問われても、素直に首を縦に触れないのが現実だった。
だが前に進む以外にできることもない。こうして悩んでいる時間すら勿体無いと、一歩足を踏み出そうとしたその時だった。
ガサリという音とともに草をかき分けて、一人の少女が俺たちの目の前に現れた。
「メル!?」
思わず俺は声をあげた。
彼女――メルリア・アビライズがここにいるわけがないのだ。
彼女は俺を見て安堵に顔を綻ばせたが、すぐにその表情は曇ってしまう。
「メル……なんでここに。待ってろって言っただろ」
「そうだけど、アリウスのことが心配だったから……ごめんなさい」
そう言って彼女は、空色の長髪を夜風で揺らしながら、シュンと俯いた。気まずそうに、徹底的に布で巻かれ露出のない腕をさする。その姿は俺と年齢は同じで十代後半だというのに、それよりも幼く見える。いわゆる童顔なのだ。
正直、来て欲しくはなかった。単純にここはまだ危険なのだ。音を聞く限りそんな様子はないが、もしかしたら今にも衛兵が地下通路を通ってここまで来るかもしれない。
メルリアも戦えないこともないが、彼女自身戦いは好きじゃない。それに服装もワンピースと、おおよそ戦闘向きじゃない。
――ここで怒るべきなんだが……。
本当に落ち込んでいる様子の彼女を見ていると、そんな気も消えていくようだった。
――まあ、反省してるようだし……いいか。
そんなことをすぐに考えてしまう俺は、やはりメルには甘いらしい。
一つをため息をつくと、彼女が何か見覚えのある箱を持っているのが目に入った。
「なあメル。こいつの手当て、できるか?」
俺はそう言ってこいつだと示すように肩を揺らした。
「あ、ユーマってその人? ってうわ!すごい怪我……」
メルはユーマの怪我を痛々しそうに眺めていた。彼女は顔を苦痛に歪ませていた。まるで、自分が"同じ怪我をした時のこと"を想像しているかのように。
俺は思わず眉をしかめた。ただ同情するためのその思考も、彼女にとっては別の意味を持ってしまう。俺はそれが怖かった。
――やめろ。まだ"そう"考えているとは限らないじゃないか
何か余計なことを口にしそうになって、そう自分を律した。行き場のない感情を吐き出すように、重く息をこぼす。
「……メル、確かできるだろ? 持って来たそれで頼めるか?」
俺はメルが持って来た箱を指差した。その中には手当てに使える一式の道具が揃っている。結構中身は本格的で、かなりの怪我でも一命を取り留めるくらいにはできる。
「うーん……でもこれじゃ無理かも」
「無理?」
「うん。この中の道具じゃ、多分死んじゃう……」
「っ……そうか」
メルは顔を今にも泣きそうなくらいに歪め、俺は苦虫を噛み潰したような顔をしてしまう。
「でも、大丈夫。私がやるから。私が、治すから」
彼女は顔を上げた。そこにもう悲しそうな表情はなく、何かの覚悟を決めたような、凛とした強い表情だけがあった。
「いや、でもそれは……」
それがユーマを助けるには一番とわかっているのに、俺はそれを拒否するような一言を言わずにはいられなかった。
だがやはり口にしてから後悔した。まるで俺がユーマを助けるなと言っているようで。
それにメルが言っていることも事実なのだ。
彼女も失敗作だ。彼女の能力は
だが彼女は失敗作だ。失敗作の能力には必ず欠陥が存在する。
俺が渋っているのは、それが理由だった。
「でも、そうしないとユーマ、死んじゃうでしょ?」
「だが、それだとお前が……」
「それでも、だよ」
そう言って俺を見つめるその瞳はどこまでも力強い。
ユーマを助けることを考えれば、それを断る理由はない。なのに俺はそれを止める理由を言おうとして、考えつかなくてやめての繰り返し。空気を求める魚のように、パクパクと口を動かすだけ。
「じゃあ……やるね。寝かせてくれる? ついでに服も脱がせてほしいな」
「っ……ああ」
どうしようもできなくて、結局メルに言われるままにユーマをうつ伏せで寝かせ、服を脱がせた。緋色の傷口があらわになる。出血は治り始めているが、どちらにせよこのままだとまずい。膿んだり、感染症にかかっても面倒だ。
メルはその横に膝を落とした。
「ふぅぅ……よし」
メルリアは小さく意気込み、その傷を覆うように両手を重ねた。
すると、彼女の両手は淡い光を放ち始める。
はじまった。
俺はメルリアを止めたいという衝動をなんとか理性で殺しながら、少し離れたところからそれを眺めていた。
「……っ」
メルから押し殺したような息が漏れた。眉間は何かに耐えるように顰められ、額には大粒の汗が浮かび始める。明らかに顔色が良くない。
「……よし、終わったよ」
数秒してからメルはそういった。
また一つ大きく息を吐きながら、メルリアは手をどかす。そこにあったはずの傷は、跡形もなく消えていた。それを見てメルリアも安堵の息を漏らす。彼女はこのままでは辛いだろうと、ユーマの体勢を仰向けに変えていた。
とりあえずこれでもうユーマは大丈夫だ。いろいろ思うことはあるが、安心したのは俺も同じだった。
メルに向かって手を差し出せば、彼女はそれをとった。
「おつかれ」
「うん……ちょっと、疲れちゃったかな」
いいとは言えない顔色のまま、彼女はハハハと軽く笑みをこぼす。それを見て、やはりなんとも言えない気分になった。
「なあ、メル。お前――」
「――ん」
寝そべったままのユーマから小さく声が漏れる。俺たちはほぼ反射的に、視線を彼に向けた。視線を向けられたユーマはピクリと体を震わせる。そして、ゆっくりと目を開け、そのまま上体を起こす。
「あれ……俺……」
「……よう。目、覚めたか?」
「アリ……ウス?」
「ああ、俺だ。どうだ? どこか、体に違和感とかないか?」
「違和感って……俺確か結構な怪我して――あれ?」
ユーマは背中に手を回し、ゴソゴソと動かした。まるで何かを探すかのように。でもそこにあるはずの傷は、もうメルリアが消したのだ。
そんなことを知るはずもないユーマは、どんどん表情の困惑の色を濃くしていく。
「怪我ならメルが治した。安心しろ」
「治した!? っていうかメルって……」
「私だよ。私がメル。メルリア・アビライズ」
メルはそう言って微笑み、手を差し出した。ユーマはまだすこし困惑しているようだ。「あ、ああ……」と曖昧な返事をしながらもメルリアの手を取った。
「あ、でも、メルってアリウスは……」
「まあ、あだ名みたいなものだよ」
「そうか。じゃあ俺も――」
「んー……君はまだやめてほしいかな」
「えー……」
わかりやすくユーマは肩を下ろす。
だが俺からしたら特に不思議もなかった。俺たちは失敗作は、基本他人を信用しない。それが同じ失敗作だとすこしは緩まるが、メルリアは特に他人と親しい人の線引きをしっかりしている。メルと初めに呼んだのは俺だが、彼女にとっては特別らしかった。なにせ、自分を助けてくれた彼女らにすら、その呼び方をすぐには許さなかったくらいだ。
にしてもこいつも失敗作ならそれくらい理解しているし、自分自身だってそうだらうに。何なのだろうかこの落ち込みようは。まあ、命の恩人と親しくなりたい、っていうのは理解できないわけでもないが。
「ま、そう落ち込むな。仲良くなれば許してもらえるさ」
「なるほど。まずは好感度を稼げと」
「そういう言い方はどうなのかなぁ……」
メルリアは苦笑いを浮かべていた。俺はよくわからなかったが。
「とりあえず、ユーマはもう歩けるだろ? ならさっさと移動しよう」
「え、早くないか?」
「早いもクソもない。すぐそこにあの地下とつながる扉があるんだ。いつ敵が来てもおかしくないだろ」
「だねー。いつ来るかわかんないし」
「そういうわけだ。それに――」
そう言って俺はメルに目線を向ける。彼女もちょうど俺のほうを見ていて、目があった。やはり顔色は良くない。彼女も俺が何を言いたいのかわかっているだろう。なのにそれを隠すかのように、「何?」と言って微笑みながら首を傾げている。
「――いや、なんでもない。よし、行くぞ」
「ああ」
「うん」
俺に続くようにユーマとメルも歩き出す。向かう先は少し行ったところにある拠点だ。さっきメルが出てきた茂みに、俺たちも入っていく。
いつ背後から敵が来るかわからない。一応警戒のために、メル、ユーマ、俺の順番で並んで進んだ。俺の視線は、まっすぐメルの背中に向かっている。
なんとなく、後ろを向いた。真夜中だというのに、向こうの方の空は一部紅に染められ、まるで小さな夕日のようだ。それを絶え間無く湧き上がる黒煙が薄く覆い隠す。
まだ火は消せていないらしい。これならまだ衛兵も追ってこないかもしれない。
そう思い、視線を前に戻す。
メルの背が目に入り、やはり気分が沈む。
いや、やめよう。いくら憂鬱になってもしょうがない。彼女は優しい。だからしょうがない。
そう自分に言い聞かせながら、彼らの背を追うように茂る草木を掻き分ける。
頬を撫でる風は、冷たかった。
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