1話「失敗作は助け出した」
「はっ……はっ……はっ……」
息を切らし、肩を震わせながら足を忙しなく動かす。洞窟特有のひんやりと湿った空気がススで黒く汚れた頬を撫で、色素の抜けた白髪を揺らした。
周りに視線を巡らせる。今は真夜中のはずだが、地下のここでは関係なく、景色も大して変わらない。全てを拒絶するように冷たく無機質な岩の壁が、ロウソクのおぼろげな炎に照らされながら続いているだけだ。
カッカッカッと靴と岩肌がぶつかり音が反響する。冷たい風が吹けば、体を震わせた。
先ほどまで暑いところにいたせいで汗がひどい。シャツもベタついて気持ち悪い。その直後にこんなところに来てしまったのだから、風邪を引いてもなんら不思議はなさそうだ。
一度足を止め、神経を尖らせる。
周囲に人の気配はない。足音も聞こえない。ただ内容も聞き取れないほどの叫び声や怒号が、遠くの方でなっているのがよくわかった。
「誰もこっちには来てないか」
今頃上では衛兵たちがせっせと消火活動に勤しんでいるに違いない。この地下に侵入するため、とある貴族の豪邸に火をつけたのは他ならない俺だ。
いわば不法侵入をしている俺としては嬉しいことではあるが、これはこれでおかしなことで頭の奥で警鐘が鳴り響いていた。
「いや、やっぱりおかしい」
そうひとりごちて、警戒心を高めていく。
上で異常事態が起き得ているとは言え、普段上よりも警備が厳重なこの地下通路から警備がいなくなるなんて不自然すぎる。しかもこの先にあるものがものだ。
それにここまですんなりと事が進んでいることにも不信感を覚える。
「そうだ。それにこの先にいるのは『失敗作』なんだぞ」
人間は、転生者とそれ以外の二種類に分けられる。
転生者とは、他の世界の人間が、神から強力な能力と武器を与えられ、この世界に転生した者のことだ。彼らはその能力と、神の加護ともいうべき運の良さによってこの世界にとって大きな存在となっている。
だが光の裏に闇があるように、成功の裏には失敗がある。
それが『失敗作』。
転生時、精神の植え付けに失敗した人々のことをそう呼ぶ。文字通りの失敗した作品。転生するはずだった精神は消滅し、生まれるのは他と何も変わらない普通の子供。たった一つを除いては。
彼らは能力を持ちながらも、失敗作故かどこかに欠陥を持つ。だが欠陥があるとしても強力な能力を転生者は警戒し、失敗作達を監禁するようになった。
「俺は、失敗作を助けに来たんだ」
自分の目的を自分に言い聞かせるように、一人つぶやいた。
俺たちが住んでいる拠点から西に一〇キロ。そんな目と鼻の先にこの地下が存在するという情報が入って来たのは突然のことだった。
それまでここは全くのノータッチだったのだ。俺だってこの情報はもちろん怪しく思った。だがそれ以上に、居ても立っても居られなかったのだ。この先にあるものを考えたら。
「……行くしかないよな」
そう意気込んで再び足を動かし始める。
どれだけ悩もうと、警戒しようと、先に進む以外に道はないし、それ以外にするつもりも最初からなかった。
もともと個人が所有する地下通路だ。そんな長さがあるわけもなく、すぐに目的の場所は見えてきた。
山奥にある、貴族の豪邸の地下通路の奥。そんないかにも怪しい場所なのに、地下通路の突き当たりはなんとも貧相な木の扉だった。風が吹けば飛んでしまいそうなほどに痛んでいて、どちらかと言えば貧困層の家の扉のようだ。ドアノブすらないのだから、鍵だってあるわけもない。
この不用心さがさらに俺の警戒心を煽る。
「ふぅ……よし」
目をつぶって小さく息を吐く。一層集中力を高ぶらせ、目の前の木の扉に手をかけた。
やはりというべきか、扉はギィと唸り声をあげながら簡単に開いた。
「これは……」
扉の先にあった部屋を見て、思わずそんな声が漏れる。遅れてむせ返るような匂いが鼻をついた。
内装は思ったより綺麗だった。と言ってもお粗末であることに変わりはない。ここにある家具だって痛んだ机一つとそれを挟むように配置された椅子二つだけで、ゴツゴツした岩の壁と相まって殺伐とした印象を受ける。
普段ならそれで終わったのだろうが、今俺が訪れたここはそれだけに終わらず、鮮血が辺りに飛び散っていた。そして地に伏せる二人の男の周りに紅の水たまりができている。この部屋に似合わず一目で高いとわかるその服装からして、こいつらはこの屋敷の衛兵だろう。
次いで、部屋の奥に目を写した。
そこには一人の男が壁にもたれかかっていた。男というよりは少年だろうか。顔は俯いて茶色の髪に隠れてよく見えないが、時折のぞかせるその表情は幼さを孕んでいる。下手したら二〇もいっていないかもしれない。服装も衛兵二人とは正反対に、粗末なことこの上ない。ボロ切れをそのまま体の形に合わせて縫い合わせたような服だ。
そいつは倒れ込んでいる二人と違い、死んではいないようだった。呼吸のリズムにあわせてその貧相な肩を上下させている。
だが瀕死ではある。ぱっと見彼に傷はないが、辛そうに荒い息を繰り返している。背中にでも傷があるのだろう。もたれかかったその壁から地面に向かって真っ赤な血が多く伝っていた。
彼の脇に一本の剣が置いてあるのを見るに、二人の衛兵を殺したのは彼らしい。
衛兵が上に行って手薄になったところで、意を決して脱出を図った……ってところだろうか。
バカなことをしたものだと思う。俺が来るまでまっていれば、衛兵の二人くらい殺すなんてわけないことだったのに。
まあ彼はそんなこと知りもしないのだからしょうがないわけだが。
「はぁ……」
重くため息を吐いて、少年の元に歩いていく。どちらにせよ、計画していたものよりめんどくさいことになりそうだ。
「おい」
彼の目の前に立ち、そう呼びかけた。彼はピクリと肩を震わせると、顔を上げ、その瞳に俺の顔を写した。
「へぇ……」
少年に聞こえないように小さく息を漏らす。
瀕死だというのにまだ光が消えていないその目を見て、俺は感心した。出血量からして、そもそも常人なら死んでいてもおかしくないほどの怪我だ。それなのに生き延び、意識を保ち、なおかつ光を失わないとは大したものだ。
「……ま、らしくはないんだが」
「……?」
ポソリと声を漏らした俺に対し、彼は首を傾げた。
「お前、名前は?」
俺は跪き、彼と視線の高さを合わせる。
俺がここに来たのは、この部屋に監禁されている失敗作を助け出すためだ。
その人物というのがおそらくこいつなのだが、一応確認しておいて損はない。
やはり話すのは辛いのか口を数回震わせ、彼は声を出す。
「ユ、ユーマ……だ」
ビンゴ。
情報と一致した。
「そうか、わかった。俺がお前を助けてやる」
「あ、あんたは……?」
彼の瞳が大きく揺れた。助けてくれるのはありがたいが、信用できない、といったところだろうか。
「俺の名はアリウス。アリウス・ベール。お前の同類だ」
「同……類?」
「ああ。俺もお前と同じ――『失敗作』だ」
瞬間、彼の瞳がさらに大きく揺れた。失敗作は基本監禁されて、彼らに人権はない。それに転生者による徹底的な情報管理のせいで、一般人はその存在すら知ることはない。こんなところにいて、なおかつ助けてくれるなんて信じられないのかもしれない。
だが彼は俺以外に今縋る相手はいない。だから俺を信じるしか道は無いのだ。
「ほら、立てるか?」
彼に向かって手を差し出した。
彼はプルプル震えながらも、なんとか手を伸ばし――目を大きく見開いた。
――なんだ?
俺は思わず首をかしげる。何かに驚いたような表情だ。その視線は俺に向かって――
――いや……ちがうっ!
俺は勢いよく振り返った。そして視界に剣を振り下ろさんとする衛兵の姿が入ってくる。二つの瞳をギラつかせ、俺を殺さんと意識をまっすぐ俺に向けていた。
――まだ死んでなかったか!
おそらく死んだふりをしていたのだろう。床に倒れていた二人のうち、一人が消えている。
俺は急いで頭を巡らせた。
武器を……いや、"出して"も多分弾けない。避けることもできるがそれだとユーマに当たる。
もう彼が振りかぶった剣は振り下ろされている途中だ。今からあの剣が俺に当たるまでにできることはほぼなかった。
無傷で乗り切ることは絶望的。背後のユーマを見捨てれば可能だが、あいにく俺にはそんな選択肢はじめからない。
――しょうが、ないか……。
俺は覚悟を決めた。
ユーマの隣にある剣を手に取りながら振り返る。背後の彼をかばうように両手を広げ、一歩だけ前へ。
そして両手を強く強く握り、歯をくいしばる。だが目は目の前の男から逸らさない。
そして数瞬後、衛兵の剣が俺を切りつけた。
「がっ!」
衛兵の直剣が俺の左肩にめり込んだ。
ザラリとした金属の感触。一瞬遅れて手足が引きちぎれるかのような痛みが全身を駆け巡る。さらに手を強く握ると、手のひらにチクリと痛みを感じた。強く握りすぎて爪が手のひらを傷つけている。
「ぐ……がっ……」
覚悟したとはいえ、強い痛みに叫んでのたうちまわりたくなる。
大丈夫だ。俺が今まで経験した痛みはこの程度じゃない。あれらに比べれば、これなんてたいしたものじゃない。大丈夫。耐えれる。俺なら、耐えれる
自分に何度もそう言い聞かせた。
奥歯がギリと鳴り、汗なのか頬を液体が伝わる。
一歩前に出たおかげでその剣は振り切られることはなかった。
俺は動きが鈍った体に鞭を打ち、剣を持ち上げる。
「らあっ!」
そして衛兵に向かって突き出されたその剣は、あっけなく彼の体にズブリと沈み込む。
もともと限界だったのだろう。衛兵はすぐに倒れた。俺の足元に血溜まりが広がっていく。
――もう、死んでるな。
さすがにもうないとは思うが、一応脈を確認しておく。間違いない。確実にこの衛兵は死んでいた。
「はぁ……っ……はぁ……」
荒い息を吐きながら、倒れるように地面に腰を下ろす。ゴツゴツして、氷のように冷たい岩肌が俺を冷やしていくようだった。
「おい、あんた……大丈夫か……?」
背後から声がかかる。首だけ振り返るとユーマが俺を心配そうに見つめていた。その視線はまっすぐ俺の左肩に向かっている。かなりひどい怪我なのだろう。正直見たくないから自分で目を向けることはせずにいた。
なんにしろ彼にとってこの状況が不安に感じるのは当たり前のことだった。なにせ、せっかく助けに来てくれた人が重傷を負っているのだから。
「ああ、大丈夫だ。ちょっと待っててくれ」
「え?」
俺はポケットから一つの小さなビンを取り出した。蓋を開け、中にたくさんある紫色の小さな粒から一つを取り出す。
「……薬?」
「みたいなものだ」
ユーマの言葉を適当に返しながら、それを口に入れて目を閉じた。体の力を抜いて、口の中のそれを噛み砕く。
「……っ」
一瞬遅れて、体が体内から燃やされているかのごとく熱くなる。頭もガンガン痛み、心臓も握りつぶされているかのように苦しい。息もできなくなった。
俺が意識を失うのに、大して時間はかからなかった。
だがそれも一瞬のこと。俺はすぐに意識を取り戻す。
――慣れないな。
小さく息を吐いた。
何度も経験したが、これだけは本当に慣れることがない。これをした後の、この全身に感じるザラリとした寒気のようなものが気持ち悪い。
目を開けると、体の感触を確かめるかのように手を握ったり開いたりを繰り返し、ゆっくりと立ち上がった。
「ほら、いくぞ」
「え……あ、ああ」
俺はユーマの手を半ば無理やり掴み立ち上がらせ、肩を貸す。ズシリと片側に重みがのしかかった。その時丁度、ユーマの右肩から左の横腹にかけて痛々しい切り傷があるのが目に入った。
なるほど、思ったよりもひどい。これは急いだほうがいいかもしれない。
「な、なあ。その薬、俺にもくれよ」
「無理だ」
痛みから絞り出したかのようなユーマの頼みを、俺は迷うことなく断った。別に俺が非道というわけじゃない。事実不可能なのだ。
だがユーマは拒否されたというのに、その幼い顔に特に変化は見られなかった。そのことに俺は違和感を感じながらも、どうでもいいかとすぐに思考を切り替える。
「とりあえずさっさとここから出るぞ。出たら手当てしてやる」
「そうか……なら、急がないとな……」
そうニヤリと笑い、強がる彼の顔色は先ほどよりも悪い。思ったより出血がひどいらしい。
これで耐えてるなんて、本当にたいしたものだ。
――やっぱり、急がないとな。
彼を連れ、歩くスピードを上げる。
今更思い出したかのように、左肩に触れてみた。そんな必要もないと、俺が一番わかっているのに。
――そこにあったはずの傷は、跡形もなく消えていた。
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