第3話
◆
ガタンと時折小さく馬車が揺れる。背後には硬い木の感触が、目の前には塗りつぶしたみたいな青空が広がっていた。寝転がった俺を包み込む柔らかな日差し。爽やかな風が吹けば、視界の隅で赤い髪が揺れていた。
今はちょうど馬車で移動中だ。見張りはミズキ。だというのに俺は一週間前と同じくミズキに言われ、馬車の屋根で横になっていた。暇だ、ということらしい。
かと言って俺とミズキの間に会話はない。正直俺はそこまで元気がない。首を傾けて彼女に視線を向けてみると、彼女も目に見えてやつれていた。ただただ後ろへと流れる景色を呆然と見送るその姿は、ちゃんと見張りの仕事ができているか怪しいものだ。
「……なあ、ミズキ、ちゃんと見張りしてるか?」
「……してるわよ」
「ぼーっとしてるようにしか見えないけど」
「しょうがないじゃない。疲れてるんだから」
彼女は表情にいっそう影を落としながら、重くため息をついた。
「もう
「別にいいけど、どうなっても知らないよ? 僕もまだまだ初心者だからね」
「ならいいわ。はぁ……これも全部星噛みのせいね」
俺もファウロさんもミズキの言葉に重々しく頷いた。
なぜ俺たちがここまで遅れているか。それは彼女の言葉通り、星噛みのせいだった。
シロナを助け出してから一週間、俺たちは毎日のように星噛みに遭遇し、それらを殺してきた。星噛みを殺すのは星狩りの本分だ。でもこの頻度が異常だった。
星噛みは突然現れる。場所も決まっていないその出現に対応するため、星狩りは旅をするのだが、かといってしょっちゅう遭うわけじゃない。頻度も多くて三日に一回程度。しかしおかしなことに、シロナに出会ってから俺たちは毎日星噛みを殺していた。星噛みを殺せば、その後処理で時間を使う。それをほぼ毎日やって、気がつけばもう一週間経っていた。
それから会話はなく、馬車は進む。俺もミズキもファウロさんも疲れていたし、クロナは俺を気遣ってか、馬車の縁に腰掛けて足をぶらぶらさせているだけだ。シロナもその表情の乏しさを裏切ることなく、口数はかなり少なかった。きっと馬車の中で、人形みたいにジッと座っているだろう。
見渡す限りの大草原。ポツポツと木も生えているし動物の姿も見えるが、景色としては随分と退屈だ。前の方から、馬を操作していたファウロさんのあくびが聞こえてくる。運転手がそれで大丈夫か。なんてことを考えた時、ちょうど「あっ」と彼が喜色の混じった声を漏らした。
「ユルト、ミズキ、シロナ、見えてきたよ」
「「――っ!!」」
聞こえた瞬間、俺とミズキは勢いよく振り返った。そのせいで馬車が大きく揺れて、屋根越しに「わ」とシロナの小さな悲鳴が上がる。
「やっと、ね……」
「ああ、やっとだな……」
無意識に漏れ出したような声にも、やっぱり覇気はない。
進む先にあるのは、大きな門だった。見上げるほどの大きさで堂々と佇むそれは、氷のように冷ややかな石門だ。そこから左右に伸びる外壁も石でできており、巨大な街をぐるりと囲みこむ。全てが無機質なそれからは、何者も侵入させないと強い意志を感じるようだった。
あれが俺たちの目的地。この国で五本の指に入るほどに栄えた街――ハイラテラ。
やっとついた。もちろんそれは嬉しいが、それ以外の理由でも笑みが浮かんでいることに気がついた。
俺はかつて、集落が排他主義だったこともあって、外に出たことがほとんどなかった。星狩りに拾われて数ヶ月旅したが、よったのは小さな村ばかり。あんなに大きな街なんて訪れたことない。
「ユルト、楽しみですね」
ふと横から声がかかる。クロナがこちらに笑いかけていた。いつもの意地の悪い笑みというよりは、純粋に楽しみにしている子供のような笑み。クロナも俺と同じくあんな街に行ったことはない。彼女も楽しみなんだろう。
そうわかった途端に胸が弾むようだった。
どんなものがあるんだろう。どれだけ人がいるんだろう。何をしよう。何ができるんだろう。
気づけば体を蝕んでいた疲労も消えてしまっていて。
「ああ、そうだな」
隣にミズキがいるのも忘れ、気がつくと俺はそう返していた。
◆
ハイラテラはよく石の街とよばれる。その名の通り、ハイラテラの建物はすべて石でできているのだ。そうクロナに聞いたとき重苦しそうな街だな、なんて考えたものだが、いざ訪れてみるとまったくそれは違うと思い知った。
人が多いのはもちろんのこと、今まで訪れたどの場所よりも活気がある。ここには他の栄えた街と違い、貴族がまったくいないことも関係しているんだろう。なんというか、誰もが開放的な顔をしていた。
「なのに、なーんでユルトはそんな暗い顔をしてるんですかねー」
わざとらしく言うクロナ。わかってるくせにと内心文句を言いながら、額を伝う汗を拭った。
初めて訪れた、田舎出身としては憧れといっても過言ではない都だ。門を通り星狩り専用の場所に馬車を止め、ミズキやファウロさんとは別れた。それは別にいい。ここには遊びに来たわけじゃないし、ファウロさんには食料調達、ミズキは星噛みの情報収集と役割がある。初めて訪れた地でわけもわからず歩くのも、探検みたいで悪くない。俺が憂鬱なのは、また別の理由のせいだった。
「あ……」
不意に背後で漏れた細い声。人混みの中、雑踏の中、それは不思議と耳に入ってくる。
一つため息をつきながら振り返った。すれ違う人とぶつかったらしい、すこし小走りで近づいてきていたのはシロナだ。
彼女が身にまとうローブはミズキのもので、身長差もあって明らかに背丈にあっていない。白髪はフードに隠れ、子供が布団をかぶってワタワタしているようにしか見えなかった。
さっきからこればかり。俺の後ろをついてくるのはいいんだが、不器用というかなんというか、やたらと人とぶつかる。はぐれていないのが不思議なくらいだった。
「……ほら」
「え」
「はぐれたら面倒だろ。袖でも掴んでろ」
彼女の顔を見ることなく腕を差し出した。「ん……」とほころぶような声を小さく漏らし遠慮がちに袖を掴む。
「もうちょっと言い方なかったんですかねー」
呆れた言い方のクロナ。ここは騒がしいから少しくらい声を出してもバレないだろう。俺は小さく「なんだよ」と返した。
「少し言い方変えれば優しい人になれるのに。そんな素っ気に扱わなくてもいいじゃないですか」
「いいだろ、別に。実際はぐれられたら困るんだから」
「それならそれですよ。『はぐれないように手を繋ごうぜっ!』とでも言えばよかったのに」
「なんだ今の。もしかして俺の真似か?」
もしそうだとしたら、かなり不満だ。クロナに抗議の声を上げようとしたとき、彼女はもうそこにはいなかった。相変わらず、そしてこんな状態になってさらに神出鬼没になった彼女。行き場をなくした言葉を、俺はしかめ面をしながら飲み込む。
わかってるんだ、冷たく接してしまってるというのは。彼女は星狩りが保護した、星噛みの被害者。クロナとはなんの関係もない。そうわかっているはずなのに、どうしても考えてしまう。
今だってそうだ。クロナなら、こんな人混みきにすることなくスイスイ進むことができるのに。同じ顔をしていながらもここまで違う彼女を見ていると、気持ちが落ち着かない。
不意に腕を、いや袖を引かれる。また誰かとぶつかったらしい。また小走りで俺の横に並ぶ。フードに隠れその表情は見えない。
「なあ、お前なんで俺についてきたんだ?」
俺としては当たり前の疑問だった。シロナはミズキに、誰についていくか尋ねられたとき、俺を選んだのだ。
宝石のような右目が俺を見あげる。フードのせいで白い髪は左目を隠す前髪しか見えない。
「いや、だった……?」
「いやというか……」
相変わらずの乏しい表情に、シロナの内側は見えてこない。
その無機質さが俺の感情を助長させていくのだ。
でも結局、それは全部俺の都合。シロナは何もしてない。
唸りながら逆の手で頭をかきむしり、彼女の手を取った。
「あーもう、わかったよ。ほら、いくぞ」
「……そっちは、違う。表通りから外れる」
「お前疲れてるだろ。さっきからフラフラしてるしバレバレだぞ。少し休む」
「……ん」
「おー、かっこいいですよ、ユルト」
突然現れては野次を飛ばしてくるクロナに、「うるさい」と小さく返す。
「……ありがとう」
その声はやけに暖かく感じて。俺はそれを、聞こえないふりをしながら歩き出した。
とにかく人混みを抜けよう。できれば日向も避けたい。ほぼ全ての建物が石でできているせいで、この街は外に比べてかなり暑いのだ。
そんなことを考えながらとりあえず歩けば、自然と路地裏にたどり着く。世界の裏側に来たように錯覚しそうなほど、表通りとは違っていた。俺たち以外に人は見当たらず、ひゅうと建物の隙間を縫うように冷たい風が吹く。
雰囲気がいいとはお世辞にも言えないが、涼しいし休みやすくはあるかもしれない。結構歩いたせいで俺自身も少し疲れていたところだ。適当なところで足を止め、壁にもたれかかったとき――
建物の隙間から人影が飛び出す。
その数、三人。彼らは剣を抜きながら俺とシロナを取り囲んだ。
「――っ!」
反射的に戦闘態勢へ。背中の何かをつかもうとして空を切る。ああ、そうだった。今俺は武器を持っていない。小さく舌打ちをしながら、シロナをかばうようにして彼らの前に立つ。
なんだこいつら。探るように彼らに視線を向ける。数は三人。
明らかに友好的には見えない。シロナと同じようにフードで顔は見えない。が、敵意があることだけは間違いなかった。
そのうちの一人がこちらに突撃してくる。やけにガタイのいいやつだった。男だ。
そいつは大きく剣を振りかぶり、切り下す。そこには戦闘の経験を感じない。武器がないとはいえ、こんなやつに負けるようじゃ星狩りなんてやってられない。
その刃が俺を切り裂く直前、やつの腕をつかむ。思った以上の体重が体にのしかかった。「ぐっ」とうめき声を漏らす。技術はなくても力はあるらしい。
「行け!」
突如として目の前の男が叫ぶ。野太い声は路地裏に響き、そして残りの襲撃者はそれを合図に動き出す。向かう先はシロナだ。
「死ねやあ!」
「ひっ……!!」
襲撃者の一人が剣を振り下ろす。シロナは小さく悲鳴を上げ、倒れこむように横へ。剣は宙を切り、シロナは倒れこんだ。クロナに似た彼女の顔が苦痛に、恐怖に歪む。
「クロナ!!」
気が付けばそんな言葉が飛び出していた。目の前の男の腹を蹴り、怯んだ隙に抜け出す。彼女の元へと駆け、しかしそれを防ぐかのようなタイミングで別の男が襲いかかってくる。そいつに対処すれば先ほどの男が。
「くっ……!」
いくら相手が素人とはいえ、武器もなしに二対一はさすがにきつい。しかも彼らに殺意はなかった。完全に足止めだ。
ということは狙いはシロナ? やつらの狙いを探ろうにも顔すら見えない。
「星狩りの兄ちゃん、すまんがおとなしくしてくれや」
「お前ら、俺が星狩りって知ってて襲ってるのか? ハッ、ずいぶんと頭が悪いんだな」
星狩りというのはこの国の中で最も危険な職種だ。しかしそれゆえに数多くの特権と高い地位が与えられている。星狩りを襲うというのは、よくて投獄、最悪死刑になる重罪。
脅しをかけても彼らはひるんだ様子はなかった。剣の刀身をぎらつかせながらジリジリ近づいてくる。
目の前には二人の男。背後から聞こえてくる取っ組み合うような音が背筋に嫌な汗をにじませる。
シロナはクロナと違って強くない、弱いんだ。そう長くはもたない。どうする……!
「べつに兄ちゃんには何かするつもりはねえよ。だからおとなしくそいつをよこしな」
「やっぱり狙いはシロナか……。なぜシロナを狙う」
一歩背後に下がれば奴らも一歩接近。やつらは武器を持ち、俺は完全に無防備だ。振り返りシロナを助けにいこうにも、きっと背を向けた瞬間やられてしまう。口からは言葉を発しながらも必死に頭では策を練って。しかし何も思いつかない。焦燥感だけがたまり、いつもより早口になっていることに気が付いた。
「なぜ? まさか、星狩りのあんたが知らないなんて言うんじゃないだろうな」
「なんのことだ。本当になにもしらないぞ」
「おいおい、ふざけるなよ」
男の声に怒気がこもる。
どういうことだ。俺は本当に何も知らないのだ。
「それなら教えてやる。いいか、あいつは――」
「――がっ!!」
「は?」
男の声を遮り聞こえたうめき声。次の瞬間、背後から何かが飛んでくる。それは俺の横を通り過ぎ、地面にたたきつけられ。そこで初めてそいつは襲撃者の男と理解した。彼らは吹き飛ばされた男に駆け寄り、大丈夫かと声をかける。死んではいない、しかし気絶はしているらしい。人形のような彼を男達は担ぎ、
「くそ、退くぞ!」
そう言って駆け出していく。しかし俺は追えなかった。それどころかゆっくりと、彼らに背を向け、シロナを見る。
「シロナ……?」
思わず漏れる間抜けな声。当然だった。背後にいるのはシロナだけだったはずだ。吹き飛ばされたのはシロナを襲っていたやつで。シロナの位置からここまでそこまで離れているわけじゃない。でもシロナがそんなことできるとも思えなかった。
すぐそこで座り込みながら震えている彼女に、どうしてそんなことができるだろう。表情は乏しいながらも恐怖に歪み、右手を押さえ込むように手首を掴んで地面を見つめていた。
しかし襲撃者がシロナの方から吹き飛んできたのもまた事実なのだ。
一体何が……?
「ユルト!」
「――っ!」
突き刺さるような声を飛ばしたのはクロナだった。そちらを向けば、真剣な表情をしたまま頷く。
「早くここから移動しましょう。いつさっきのやつらが仲間を引き連れてくるかわかりません」
「あ、ああ、そうだな。……すまん、ありがとう」
「お礼を言われる筋合いはありませんよ。ほら、さっさと行動してくださいな」
相変わらずなクロナに少し笑みをこぼしながら、シロナの元へ。フードの隙間から、揺れる瞳が俺を捉える。
「ほら、行くぞ」
「ごめん、なさい……」
「謝らなくていい。シロナは何も悪くないんだから」
「ごめんなさい、ごめんなさい……‼」
シロナを立ち上がらせ、歩き出した。今度はシロナの手を握ってだ。裾を掴んでいるだけじゃ、今のシロナでは不十分だろう。シロナの手は冷たく、そして震えていた。
歩く間も彼女はごめんなさいと繰り返す。それが何に対してか俺にはわからない。ただ何も言わず受け止めるくらいしかできなかった。
路地裏を表通りに向かって歩く。流石に人がいる場所で襲うことはないだろう。
わけのわからない奴らだった。目的もよくわからない。あの男はシロナがどうとか言ってたが。
そこでふと、思い立つ。
「クロナ、お前ならシロナのこと、見てたんじゃないのか?」
「何がです?」
「襲撃者が吹き飛ばされた瞬間を見てたんじゃないのかってことだ」
俺はともかく、クロナは俺以外には見えていない。彼女はあの場で唯一自由だった。それに、彼女があの場の流れを見落としていたとも考えられない。
彼女が俺をじっと見つめる。しかし一瞬表情が歪んだかと思えば正面に向き直り、
「さあ、知りませんね」
俺はそれ以上何も聞くことができなかった。
俺がお前を殺した日 こめぴ @komepi
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