第36話 12月③ クリスマスの夜

 12月25日、クリスマスの日の夜、僕は池袋駅の待ち合わせ場所にいた。アカネとの待ち合わせ時間よりも20分も早く着いてアカネを待っていた。何かあって遅れるのも嫌だから早く出発したし、アカネを待たせる訳にはいかなかったからだ。


 約束の時間の5分前、アカネはニットのワンピースにチェックのストールという出で立ちでやってきた。僕は手持ちの自分の服の中で一番高価なカシミアコートを着ている。アカネとのデートに合わせて奮発して買ったのだ。


「ごめんなさい。待ちました?」アカネが優しく聞いてくる。


「僕も今来たところだよ」僕は顔をほころばせて言った。


 予約を取ったレストランは、美術館の裏の隠れ家的なおしゃれなレストランだ。僕たちは席に着き、コースの注文を済ませる。


「いい所ですね」アカネが微笑む。


「もう敬語は使わなくていいよ。僕のことも「仲村さん」じゃなくて聡吾でいいよ」僕は拳を握りしめ、勇気を奮って言った。


「そーさんでいいですか? 呼び捨てはなんだか照れくさくて」


「うん、そーさんでもいいよ。僕は佐藤さんのこと、アカネって呼ぶね」これで一歩前進だ。


 アカネも僕も20歳を過ぎているのだが、食前のワインはミネラルウォーターにしてもらった。アカネはお酒が飲めないと以前に言っていたし、僕は統合失調症を患っているのであまりお酒を飲んではいけないのだ。


 お互いに手に持っているミネラルウォーターのグラスをチンとかち合わせて「乾杯!」と僕が元気よく言う。アカネも照れた笑いを顔に浮かべながら「乾杯」と言ってくれた。


 コース料理が運ばれてきて、おいしくたいらげていると、残りはデザートと食後のコーヒーのみとなった。僕はここで意を決して言う。


「友達からカウントダウンのロックフェスのチケットをもらってさ。12月31日のチケットで夜通し行われる日のチケットなんだけど、一緒に行かないかい? 僕も友達からタダでもらったし、お金はいらないよ」


「え、いいんですか? ぜひ」アカネはにっこりとして言った。可愛すぎて抱きしめたくなる。


 これで第一段階はクリアーだ。僕はロックフェスに誘うことが成功したら、ロックフェスが終わった後の帰り道でアカネに告白することを決めていた。それを考えると心臓が今からバクバク鳴り出すのだった。


 だけど、食後のデザートとコーヒーはひとまずの勝利のご馳走といった感じでおいしかった。アカネはお菓子やスイーツには目がないらしい。「このタルト、すごくおいしいです」と言って爛漫とした笑顔を見せてくれた。


 会計をする時、僕が支払おうとすると、アカネはかたくなに断る。アカネは本当にかたくなだった。「店員さんに迷惑だから」と一旦僕が支払って店を出ると、外でアカネが私も支払うと言って頑としている。「いや、いいよ」「支払います」の問答が5分ほど続いたところで僕が折れて、アカネに半額出してもらうことになった。奨学金を返すために頑張って働いているはずなのに、割り勘でお金を出してもらって本当に悪いことをしたと思った。


 今回のアカネのこの感じだと、次に一緒に食事することがあっても、お金を半額出そうとするだろう。次があれば、もう少し安めのレストランにしよう。次があると祈りたい。


 外の道を池袋駅に向かって二人で歩く。アカネの歩調に合わせてゆっくり並んで歩く。肌寒い12月の気候の中、僕はほの温かな気持ちでいた。


「次に会う時はロックフェスだね」別れ際に僕は言った。離れ離れに帰るのが名残惜しい。


「ええ。楽しみにしています」アカネはこくんとうなずきながら言った。


 帰りの電車で聴く音楽はひときわ心地良かった。でも、ロックフェスが終わったら、僕はアカネに告白するのだ。この心地良さはロックフェスの後も続くのだろうか? 告白のフレーズを今から考えておこう。僕は前に進むんだ。

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