第29話 10月② どんな夢も見られる錠剤
ある日の夜。眠りにつこうとベッドに横になって毛布をかけたところで、ナナがベッドの横に空間跳躍で現れた。
「この薬、面白いよ」とナナが言って、横になっている僕に何の変哲もない外形をした一粒の丸型の錠剤を手渡す。
「自分が眠る直前に思い描いていた夢が見られるの」とナナがポーカーフェイスを崩さずに少し得意げに言う。
「へぇ。それはすごい」僕の頭は早くもどんな夢を見ようか考え始めていた。
「最近、この薬の精度が上がって、夢で見る内容をかなりコントロールできるようになってきたの。もとは悪夢で毎晩うなされる人のための薬なんだけどね」
「ナナはこの薬でどんな夢を見ているの?」
「絶景を見る夢とか、素晴らしいアートを鑑賞する夢とかかな」
「惑星スカーレットでは、夢を見なくても、最初から見られるじゃん」2ヶ月前の惑星スカーレットを旅行した時のことを思い出しながら聞いた。
「夢の中で体験するとまた格別なのよ」ナナはポーカーフェイスを崩して恍惚の表情を浮かべながら言う。
「何の夢を見ようか考えるだけでも胸が弾むよ」
「じゃあ、またね。夢の中までは監視できないから、どんな夢を見てもいいんだよ。この錠剤は値段が高いから、この一回きりよ。いい夢を」ナナはそう言って消えた。
さて、この薬でどんな夢を見ようか。アカネと付き合う夢は正夢にしたいから、他の夢がいい。
下手に利口ぶらずに、欲望に忠実な夢を見ようか。巨乳の美女とイチャイチャするとか、エッチな夢は見てみたい気もする。だけど、清廉潔白な紳士の僕はそういう夢は見ないのだ。というか、そういう夢を一瞬想像しただけでも、「清廉潔白な紳士」とは言いがたい気もするけれども。
そうだ、好きなバンドであるソクラテスの悲鳴のメンバーと会う夢にしよう。千葉亮介さんと一度話してみたかったんだ。僕はナナから手渡された錠剤を飲み、千葉さんと会っている場面を想像しながら寝た。
夢の中で僕と千葉さんは公園にいた。千葉さんは25歳で僕よりも年上なのだが、高校生と言ってもおかしくないくらい童顔に見えた。千葉さんは一人でブランコに座っていた。千葉さんの傍らには、統合失調症を発症した時に幻覚で見た赤い自転車が置いてあった。
「千葉さんですよね!? いつもソクラテスの悲鳴を聴いています」僕はそばにいた千葉さんの元へ走り寄って言う。
「あー、ありがとう」返事がそっけない。目もうつろで、千葉さんはオフモードのようだ。千葉さんにはステージ上などの時の躁的なオンモードと、プライベートの愛想ないオフモードがあるのは知っている。千葉さんの近くにいれて直に話しできるなら、オフモードでも別に良かった。
「千葉さんの作る曲は魂がこもっていて聴いていると熱くなります」《魂がこもっている》とか《熱くなる》とか普段使わないような言葉だが、僕はてらいもなく感想を素直に伝えた。
「あー、うん」千葉さんはやはりそっけない。
「こないだ「ストレンジャーの聖書」のミュージックビデオに出てくる聖書を実際に見たんですよ」アルエが持っていた聖書のことだ。
「え、どこで見た?」千葉さんの表情が変わる。声色にも意気がこもっている。オンモードの時の鋭い目つきだ。さっきまで気の抜けていたような表情をしていた千葉さんが途端にシリアスな表情になる。
「惑星スカーレットで見ました」夢の中なので機密とか関係ないのだ。
「そうか。俺と君は産まれる前に同じ所にいたのかもな」千葉さんはそう言うとふっと人懐っこく笑った。
千葉さんが言ったことはどういうことだろうと思っていたら目が覚めた。ああ、千葉さんともっと話していたかった!
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