第28話 10月① バンド結成

 10月に入り、大学の後期の授業が始まった。後ろの方の座席は私語でがやがやするので、僕は一番前の座席に座り、一人で授業を聞いていた。僕は正宗と授業を受ける時以外は、大抵一番前で授業を受ける。


 午後一番の刑法の講義だが、将来、何の役に立つのか分からない。結果無価値論、行為無価値論? 弁護士などの法曹にでもならない限りは単なる頭の体操で、論理性を鍛えるくらいしか有益な効果はない気がする。でも、それをいったら、音楽を聴くことだって何の役に立つのか分からないじゃないか。一見無駄に思えることでも自分のためになっているはずだとは高校時代の担任の弁だ。僕もそう信じて勉強しているし、勉強は苦じゃない。



 しかし、刑法を担当する教授が教科書の棒読みなのは困る。さすがに退屈だ。僕は試験に出そうな箇所の暗記に努めていた。ふいにスマホが振動して机の下で画面を見る。なんと、高校以来連絡の取ってない友人の藤原竜太からの電話だった。一番前の席で電話のために退席するのは目立つので授業後にこちらからかけることにした。


「藤原? 仲村だけど」もう何年ぶりだろうか。久しぶりに話すので、やや緊張しながら電話をかけた。


「おっ、久しぶり!」藤原の声は高校の時から変わっていない。人懐っこい声とでも言おうか、少なくとも強面な声とは違う。


「どうしたんだ?」


「こないだ、ミカンズについてネットで検索していたら、たまたまお前のブログを見つけてさ、懐かしくて電話したんだよ」


「えっ、あの過疎ブログを見つけたの? どうして俺だって分かった?」


「ああ。ペンネームはナカソウだし、高校のことをK高校ってイニシャルで書いていただろ? それで、ミカンズについてあの語りぶり。もう、仲村聡吾しかいないと思ってね」


「藤原の推理、すごいな」


「いや、誰だって分かるだろ」藤原は呆れたような声で言う。


「ミカンズ、まだ聴いているんだね」


「そういうお前こそな」


「俺、ミカンズみたいなバンドに憧れて、最近ベース始めたんだ」


「ブログにも書いてあったから知ってるよ。お前のブログはさかのぼって全部読んだからな。俺も今、バンドサークルでギターやってるんだ。もしよかったら、今度セッションで一緒にスタジオ入らないか?」


「いやー、でも俺は初心者だしなー」もしスタジオに一緒に入って藤原にがっかりされたら困るのでそう言ってみる。


「そんなこと言ってないで久しぶりに会おうぜ。積もる話もあるだろうし」藤原は、もうスタジオに入る気満々だ。


 その後、お互いの最近の身の内話をして盛り上がり、スタジオに入る予定の日を決めて電話を切った。


 そして、一週間後、スタジオに入る当日。電車に揺られながら背中に背負うベースはなかなかに重い。スタジオは藤原の希望で、藤原の地元にあるスタジオに入った。藤原は「このスタジオは安いから」と言うが、ネットで調べるとこのくらいの値段のスタジオはいくらでもあるし、単に自分の家から近いからだろう。


「藤原ー、久しぶりだな」ギターケースを後ろに抱えた藤原を見て僕は言う。顔付きはあまり変わっていないようだ。身長も160cmくらいで小柄な体型なのも変わっていない。久しぶりに会えて嬉しくなる。


 だが、藤原は清潔感のないヒッピー風の格好をしていて、服装に藤原のセンスがあふれていると思った。本人はおしゃれのつもりなのだろうし、見る人によれば確かにおしゃれなのだろうが、自分にはそう思えなかった。


「おお、仲村!」僕がそう思って藤原の格好を見ていることも知らずに、藤原は満面の笑みだ。


 二人でスタジオに入る。初めてのスタジオだ。安めの価格の部屋なので、狭くてこじんまりとしている。ベースに繋いだケーブルをアンプにも繋げる。藤原はエフェクターも用意しているため、セッティングに時間がかかるのでベースの音を出しながら待つ。スタジオで大音量で鳴らすベースの音にドキドキすると同時に気持ちよくなった。


 藤原もセッティングが終わり、音を出すが、藤原のギターの音は耳をつんざくように大きい。スタジオで音を出すとはこういうことなのだろうと一人で勝手に解釈してギターの轟音を我慢した。


 ギターとベースの二人だけで課題曲にしていたミカンズの曲を演奏したり、コード進行を決めて音を出したりした。僕のベースのレベルは自分から見ても初心者以下だが、藤原のギターのレベルもそこまで上手くなくて安心した。



 その後、二人で喫茶店に入り、小一時間話をした。


「お前、病気で入院していたんだな。初めて知ったよ」


「ちょっと肝臓系の病気でね」精神病と明かしたくない時のいつもの嘘だ。


「俺はちょうど出版会社に就職が決まったところだよ」


「へぇ。どんなところ?」


「BLとかレディースコミックとか女性向けの漫画の出版社だよ」


「ふうん」


「採用の倍率も百倍以上あるんだぜ」


「すごいね」確かに出版系の企業は内定が難しいというし、百倍というのも誇張ではないのだろう。


「いつか独立して自分の雑誌を作るのが俺の夢だ」そう夢を語る藤原がまぶしかったし、少し感動してしまった。


 帰り際、「今日は楽しかったよ」と僕が言うと、藤原は「なあ、一緒にバンド組まないか?」と聞いてきた。


 僕は藤原の申し出に驚いて声が出なかった。


「俺でいいのか?」僕はやっと声に出して聞いてみる。


「おう。これから一週間に一度のペースでスタジオに入ろうぜ」


 こうして、僕と藤原によるバンドが結成された。バンドサークルに入っているのなら、バンドを組む相手なんていくらでもいるはずなのに、どうして?と僕は思っていたが、どうも藤原はギターボーカルをやりたいらしく、ギターボーカルをさせてくれるメンバーがバンドサークル内にいないようだ。僕としては、せっかくベースを練習しているのだからバンドもしたいし、二人の希望は一致したという訳だ。


 ドラムは藤原のバンドサークルの後輩がサポートで入ってくれることになった。バンドサークルに所属している割には、このドラムもあまり上手くない。8分音符さえ満足に叩けていない。でも、初心者の僕にはこのくらいの演奏スキルのバンドがちょうどいいバンドなのだ。


 それから週1でスタジオに入り、ミカンズの曲をカバーしたり、オリジナル曲の制作に取り掛かったりした。誰かと一緒に音を出すのは本当に楽しい! 家でできない、頭が馬鹿になるくらいの大音量の演奏も病みつきになる。


 正宗が「セッションの時に音楽で会話していると感じる瞬間がある。音楽が成立していると思うと嬉しくなるよ」と以前語っていた。その域までこのバンドのレベルを高めたいと思った。音楽で会話できるなんて最高じゃん!


 バンド名は藤原に僕のわがままを聞いてもらい、「スカーレット」にした。もし、惑星スカーレットのことを忘れた後でも、ナナと過ごした思い出の痕跡をどこかに残しておきたかった。バンドの主導権を握りたい藤原は、僕がバンド名を決めることを快く思っていないようだったが、僕にバンドにいつづけてもらうために恩を売っておくのも良いだろうと判断したのだろう、渋々OKしてくれた。

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