第25話 9月① 成長

 8月が過ぎ、9月になった。厳しい残暑は続く。その暑さと現実感で、惑星スカーレットで過ごした日々はだんだん遠くなっていく。僕は渋谷のタワーレコードで試聴機を順繰りに聴いていた。気に入った音源を買おうかどうか迷っているところで、ふと時計を見ると、もうだいぶ時間が経って夕方の5時だった。お母さんの作ってくれる夕食の時間に間に合わなくなると思い、そそくさと店を出た。


 タワーレコードから渋谷駅までの間、もっとも会いたくない奴に出くわした。中学時代に僕をいじめていた奴だ。こんな偶然ってあるのか。僕は彼から目をそらして歩いていたが、相手は僕に気づいたようだ。相手は5,6メートル離れたところからつかつかと僕の方へ歩み寄り、威圧感のある声を出してきた。


「よう。よく見ればこんぶ頭じゃねぇか」


「すみません。急いでいますので」僕は人違いを装おうとした。


「髪まっすぐにしやがって、しゃれっけづいたか?」


そうなのだ。僕はひどい天然パーマのため、現在は定期的に美容室で縮毛矯正している。モジャモジャ頭でなくなってまっすぐな髪の毛になると、いつだって僕はルンルン気分だ。「ルン」は四つどころでなく、ルンルンルンルン気分と言ってもよい。だが、そんなことは今はどうでもよい。


 僕は彼の隣を潜り抜けようとしたが、彼に邪魔されて道を通れない。ああ、こんな時にスカーレットクローズを着ていたら難なく事を逃れられるのにと、僕は馬鹿なことを考えていた。


「久しぶりに会った記念に金貸せよ」冗談にしては笑えない冗談だ。彼は眉を寄せ、目をきつく細めてすごんでみせた。中学時代の毎日続いた軽い地獄のような嫌な記憶がまざまざと蘇った。


 以前の僕だったら、財布に入っているなけなしの三千円を彼に渡して、しょんぼりしながら家に帰っていただろう。だが、今は違う。変わった自分を見せなければいけない。惑星スカーレットでテロリストから襲撃を受けた際、勇気を振り絞って懸命に動いた自分の行動を思い出していた。


「勝てないと思ったら逃げていいんだよ」という以前の正宗の言葉が頭をよぎったが、ここでは要は逃げ方の問題だ。今の僕には昔と違って少しの知恵もある。


「警察呼ぶぞ」僕は相手をにらみつけて言った。


「なんだと!」相手の目つきが変わる。


「この人通りの中で助けを呼ぶために思いっきり叫んだら、どうなるか分かっているだろうな?」少し離れた場所には見回り中の警官の姿もあった。


「てめぇ」


 しかし、相手もそこまで先が見通せない奴ではないようだ。「覚えてろよ」と不良の決まり文句を言って踵を返そうとする。


 その後ろ姿に向かって「よくも昔、イジメてくれたな」と僕は大胆にも鋭く言い放った。


 相手は振り返り、「あれはお前が天パーだからイジってただけだよ」と言い、唾をぺっと憎らしげに吐いた。


 家に帰ってから、僕は悔しくてたまらなかった。言葉でも暴力でもこっぴどく僕をいじめていたあいつが、僕をイジっていただけだって!? 怒りと悔しさは巡りまわって毒になり、統合失調症の症状と共に僕を苦しめた。僕は自室でひざまずき、両腕で床を強く何度も叩いた。叩いた拳が痛くて泣けてくる。


 煩悶して苦しんでいたその時、自室の隅にナナが空間跳躍で現れた。


「聡吾、大丈夫?」


「うん……」僕は覇気の全く感じられない声を出す。


「よかったらこれを飲んで。心をリラックスさせるジュースよ」


 ナナからジュースが入ったコップを手渡され、「ありがとう」と僕は言って、ココナツの匂いがする甘いジュースを飲みほした。


「ありがとう。おいしいよ」


「惑星スカーレットではこんなに苦しい思いをする必要もないのよ。統合失調症の症状は寛解するし、人々は優しいし、少しのいじめやどんな犯罪も警察が取り締まるから。どう? 星に帰る気がわいてきたかしら?」


「まだ来年の2月まで時間はあるんでしょ? 考えておくよ」


「そう。じゃあ、また」とナナは言って、また空間跳躍でいなくなった。


 僕はベッドに横になった。ナナのくれたジュースのせいか、心がやすらぐ。今日の自分のしたことを振り返り、前よりも僕は強くなったなと自分のことを思った。正宗とナナのおかげだ。今ならどんな勇気も出せる気がする。少し気が大きくなったところで、僕は眠りについた。

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