第24話 8月⑩ バカンス/地球の世界に
今日は惑星スカーレットでバカンスの日。僕は産まれてこの方、バカンスというものを経験したことがない。家族での温泉旅行をバカンスというのなら経験したことがあるが、普通は違うだろう。僕は「バカンス」と聞いたらハワイやグアムやモルディブでビーチパラソルの下、海辺の美女たちを見やりながらバカンスチェアに横になるのを想像する。そのうち、気持ちよくなってうとうとと眠りにつくのだ。惑星スカーレットでのバカンスとはどんなものか、僕は期待に胸を膨らませていた。
僕たちは精神治癒の街の看護師や医師に礼と別れの言葉を言った。皆、笑顔で僕たちを送り出してくれた。
「聡吾、行くよ」ナナの後ろを歩き、記号の書かれた扉をくぐって精神治癒の街からバカンスの街へ空間跳躍する。
すると、砂浜と海が広がり、人々で賑わっている、バカンスと聞いて思い描くとおりの場所に到着した。なんだ、地球のバカンスと同じじゃないか、もっと驚くような場所を少し想像していた僕は肩透かしをくらった気分でいた。
砂浜では、赤色のスカーレットクローズを着ている人も多いが、僕と同じ来賓用の青色のスカーレットクローズを着ている人もいるし、ナナと同じ黒を着ている人やオレンジ、黄色、紫色など色とりどりのスカーレットクローズを着た人々であふれていた。スカーレットクローズを着ずに水着のみの人もちらほらいる。海パン一丁で体操をしている人なんかもいてちょっと面白い。
ビーチバレーをしている人もいる。点数を表示する機器は人が操作しなくても自動的に得点を表示するようだ。海ではこちらも色とりどりの水着を着た人が泳いだり、海上に建てられたアスレチックで遊んだりしていた。
ナナが先日に言っていた有翼種の人もいた。背中に鳥のような大きな翼があった。その有翼種の人が空を飛ぶ瞬間を見ようと思ってじろじろと眺めていると、ナナに「失礼よ」と言われて、視線を向けるのを止めた。
しかし、人が多く集まる所は苦手だ。なるべく人の少ない所に行きたい旨をナナにそれとなく言った。
「おすすめの場所はここよ」
ナナと歩いて着いたのは、砂浜の人もまばらで海ではイルカによく似た生物が海面から飛び跳ねている場所だった。
「惑星スカーレットにもイルカがいるんだね」と僕は言った。
「ナツイントールと言って、正確にはイルカと違う種だけど、そうね、地球のイルカに似ているわね。でも、尾びれが二本あるでしょう? 私は海岸でこのナツイントールを眺めているのが好きなの」ナナは照れくさそうに今日初めての笑顔を見せて言った。ナナの笑顔を見ると僕も嬉しくなる。
「バカンスチェアを出しましょう」
ナナがそう言って、胸に手を当てると、目の前に日よけのビーチパラソルと2脚のバカンスチェアが現れた。
「こんなこともできるんだ」僕が少し驚いて言う。
「前にも宇宙船を取り寄せたじゃない? 空間跳躍の対象は自分自身だけではないわ。物を空間跳躍で取り寄せることもできるの。こないだのテロでは、本当はもっと強力な武器を取り寄せられたはずなんだけど、空間跳躍禁止の結界内だったからできなかったわ」ナナは残念そうだ。
「どう? 少し海で泳いでみる? 更衣室なら近くにあるわよ」ナナが優しい声色で聞く。
「いや、ここでバカンスチェアに横になりながら、ナツイントールを見ているよ。そっちの方が心が落ち着くしね」
「そう。それならそれでいいわ」
くつろぎながらナツイントールを見ていると、心が次第に安らいでいった。海も透き通ったターコイズブルーの水で美しいし、ナツイントールが飛び跳ねると水しぶきが上がるが、水しぶきまで美しい。
ナナも隣のバカンスチェアで表情を緩めながらナツイントールを見ている。僕たちは海に来たのに泳がないでいる怠け者のカップルみたいだなと僕は思った。
恋愛感情ではないけれど、ナナのことは好きだ。人に対しては基本面倒くさそうな態度をするが、心の底に優しさと熱さを隠し持っている。ここぞという時は、こちらが軽く泣けてしまうくらいの温かな思いやりを見せる。
テロの際、僕のことを守ろうとした時のあの真剣なまなざしと必死の行動を僕は忘れることはないだろうし、記憶消去の憂き目にあっても忘れたくない。ナナ一人だけならテロリストの目をかいくぐって逃げることもできたはずなのに、自分の命を危険にさらしてまで僕を守ってくれた。
出会った当初は顔立ちが綺麗なことに目を奪われていたが、次第にその内面の魅力にも僕は気付き始めていた。
「落ち着くでしょう? 地球で言うマイナスイオンもたっぷりここの空気には含まれているのよ。地球の海辺のマイナスイオンの量の二倍はあるよ」ナナは穏やかな表情で、くつろぎきっているようだ。
「そうだね。すごく落ち着くよ」僕の心ものびのび伸びきって、安心感と爽快感に満ちていた。
夜はサーカステントの中でダンサーたちのショーを観た。アゲアゲの音楽に合わせたキレキレのダンスに歓声が上がったり、ゆったりした音楽に合わせたフラダンスのような踊りに見入ったり、目を離す隙もない。素人目にも最高級と分かる音楽とダンスで、クラシックの交響曲のようにストーリー性の感じられるショーを作り上げていた。
ふと横のナナを見ると、業務で僕のそばにいるはずなのに、ナナも身体を音楽に合わせて小さく揺らしながらショーに魅入っていた。それを見てなぜか僕も心嬉しくなり、一緒に身体を小さく揺らしていた。
次の日、僕たちは例の宇宙船に乗り、地球上にある砂漠まで一瞬で着いた。惑星スカーレットにいたという余韻を感じさせない一瞬の移動だった。その後、僕の家の近くまでナナに空間跳躍で送ってもらった。
「ありがとう。目まぐるしい日々だったけど、とっても楽しかったよ」と僕は目元と口元をほころばせながら言った。
「テロの件はごめんなさいね。アルエさんの話によると、生き残りの三人のテロリストは私たちを恨んでいるようだけど、地球までは来られないから。ビバルゲバル星系から地球までの距離は、私たちの乗った宇宙船ぐらいの技術力を用いた乗り物がないと空間跳躍できないはずよ」
「分かったよ」
「念のため、私たち惑星公務員の方でも警戒レベルを上げて任務に当たるわ」
「ありがとう」
ナナと別れを告げ、自宅に戻り、家族に挨拶して自室に入った。もやもやした気分だ。惑星スカーレットではあんなに晴れ晴れした気持ちでいられたのに、地球に着いてから僕の心の周囲を重たいもやが取り囲んでいる。統合失調症の症状が戻ってきたのだろう。調子の悪かった6月に感じたような憂鬱さと気だるさだ。この症状が寛解するのなら、惑星スカーレットに行くのも一つの手だと、以前に考えたことと同じようなことをぼんやりと考えた。
スマホを取り出すとアカネからメールが入っていた。「おかえりなさい。旅行は楽しかったですか?」というそのメールを読んで、地球で頑張る気がまたむくむくと沸いてきた。
そして、もしアカネに告白して万里の時と同じようにフられたらと思うと、いてもたってもいられなくなるのだった。
僕は「メールありがとう。とても楽しかったよ」とだけ返信した。眠る前は、おみやげとかないし、どうしようかなとひとしきり困っていた。アカネに対しては、おみやげを買うのを忘れたから、池袋のデパートでお菓子を買ってきたよと取り繕うことにした。
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