第23話 8月⑨ 安らぎの部屋

 取り調べが全て終わった頃には、すでに夕方になっていた。アルエと別れ、僕とナナは精神治癒の街に空間跳躍で来ていた。僕は惑星スカーレットに来てまだ二日目。色々なことが起こりすぎて困惑している。ナナの話では、僕は精神的外傷トラウマを今回の件で負ったという。当初の予定を変更し、八日目まで僕の精神的外傷のケアに充てることになった。六日間あれば、惑星スカーレットの最先端の精神医療技術なら精神的外傷を完全に治癒することができるという。



 それから八日目までは広々とした部屋で装置を当てられながら寝て起きて音楽を聴いての繰り返しが主だった。医師や看護師さんにも症状を見てもらったし、カウンセラーと話もした。カウンセラーにはいじめられた過去の話もしたが、それは今回の治療の対象外で、自分で答えを見つけるしかないとのことだった。


 躍動感があり、神秘的に聴こえるケルト音楽のような惑星スカーレットのヒーリングミュージックを聴けるのは嬉しいが、なぜ精神的外傷のケアに音楽を用いるのか不思議でナナに聞いてみた。


「武器は死のエネルギーを持っているけど、音楽は生のエネルギーを持っているわ。あらゆる芸術は生のエネルギーを持っているけれど、音楽は聴き手が受動的でも生のエネルギーの照射を受けられるし、あなたは音楽が好きだから」とナナは答えた。


「生のエネルギーか。僕は音楽は能動的に聴くタイプだけどな。一つ一つのパートや音に注意しながら、かつ全体を聴くように注意を払って聴いているよ。もちろん、ケースバイケースで受動的に聴く時もあるけれどね。でも、それはごくたまにだよ」


「能動的に聴いてももちろん、生のエネルギーの照射は受けられるよ。でも、そんなに頑張って音楽を聴かなくても、そこに音楽があれば、音楽は自然に耳に入ってくるのが音楽の良い所の一つじゃない」


「そうだね。人によって聴き方は分かれるだろうね。歌詞にしか注意が向かない人もいるだろうし」


「どんな聴き方でもいいけど、生のエネルギーを身体全体で感じてね。精神医学や脳科学的にも効果が実証されている音楽だから」ナナが柔らかな声色で言った。


 ナナはその後、「この香りのアロマ、私は好きなの」と言ってカルダモンと呼ばれる種類のアロマを部屋で炊いた。爽やかなレモンの香りが僕の部屋の空気を満たした。万里とアロマを買ったことを少しだけ思い出してしまった。でも、良い香りだ。少々スパイシーな香りも鼻を突き、僕の意識をぱっと醒ます。


 高校生の時に授業で教わった、高村光太郎の「レモン哀歌」という詩を思い出した。あの詩は爽やかな響きがあるのに、悲しい詩だった。


 ナナはアロマを炊いた後、僕の隣で一時間くらいヒーリングミュージックを聴いて部屋を出ていった。



 散歩で外に出ることも数回あった。人工的に作られたという風に安らぎを感じる。ナナと一緒に木でできたアーチをくぐり抜けたり、ところてんのような素材でできた地面を歩いたり、その場で寝転がったり……。太陽の光も穏やかで、僕は繭に包まれたような心地良さを感じていた。ナナはいつもポーカーフェイスだったが、ナナが本当に心地良いと感じる時は口元を緩め、僕に向かって微笑んでくれた。時折見せるその笑顔に僕は安心感を覚えた。


 食事の際には、最初は惑星スカーレット名物の料理が出た。出てきた一つの料理は、火吹き竜のステーキなどという代物で、クセがある上、塩辛く自分の口に合わなかった。その旨をナナに言ったところ、ナナはいつも通りのわずらわしそうな表情をしていたが、次の日からは地球の料理が出るようになった。


 フランス、イタリア、中国、インド、タイ、日本など地球のあらゆる国の料理に僕はうつつを抜かしていた。スペインのバスク地方に伝わる創作系ピンチョスは今まで食べたことのない美味さだったし、フォアグラのりんごのジュレ和えは舌の上でとろけるようなおいしさで、二度もおかわりをしてしまった。



 八日目の夜も同じ部屋でベッドに横たわった。ナナが個室のドアをノックしてベッドのそばにやってきて、「どう? 休めた?」と聞いてくる。僕は「たっぷり休めたよ」と答えた。


「聡吾が惑星スカーレットに持ってきたボストンバッグなんだけど、テロの件で音楽街のホテルごと焼失してしまったの。探したんだけど、荷物は全て黒焦げだったわ。ごめんなさいね」


「いいよ、いいよ。大切な物なんて入っていないし」僕は努めて明るく振る舞った。でも、荷物を入れていたボストンバッグは結構高価な代物だったんだよな。


「そう。そういう風に言ってくれて助かるわ。荷物は惑星スカーレットの技術で同じ物を復元しておくわ」


「なんだ、それならそうと早く言ってよ。ありがとう」この星の技術は何でもできるのだなと思った。


「お休みなさいね。いい夢を」真顔だったナナの頬が少し緩む。


「うん。ナナもお休み」僕がそう言うと、ナナは部屋をそっと出ていった。



 六日間休んだことで気力体力共に充実している。明日からはバカンスだと聞いている。楽しみにしながら僕は深い眠りに落ちた。

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