第12話 6月② 誕生日

 6月16日、僕の誕生日だ。夜、リビングルームで母親の買ってきたケーキを食べた。ケーキの上には22歳を表す二本の大きなロウソクと二本の小さなロウソク。「そうご、おたんじょうびおめでとう」と書かれたチョコレートのプレートがケーキに刺さっている。家族の皆でケーキと母親が作ってくれたごちそうを食べ、両親も妹も僕を祝福してくれた。


 誕生日の夜、自室に戻った後はスマホでソクラテスの悲鳴のネット生配信を観ていた。ソクラテスの悲鳴は動画の生配信をよくやっている。ネット配信の先駆け的バンドなのだ。ソクラテスの悲鳴のフロントマンである千葉亮介は今日が誕生日で、誕生日配信をやるという。一番好きなアーティストと自分の誕生日が同じなんて、なんという偶然の巡り会わせだろう。


 バンドメンバーが千葉さんの自宅でまったり会話しながら生配信は進んでいく。生配信を観ている人の書きこんだコメントが画面上に流れるようになっており、そのコメントに対してもメンバーは「ありがと!」や「そうなんだよねー」などと口でコメントを返している。


 そして、バンドメンバーからのサプライズで誕生日ケーキが運ばれてくる。それを見た千葉さんは立て掛けられていたストラトキャスターのエレキギターを持って、そのエレキギターで誕生日ケーキを叩き割り、粉砕した。僕は画面を観ながら半ばあっけに取られていた。


「いいかぁ! 俺らは一歳ずつ歳を取る。人生は一回きりなんだ。叶えていない夢に向かって俺はケーキを叩き割る!」


 いつもながらのハチャメチャなパフォーマンスだ。笑いを意味する「wwww」や拍手を意味する「88888」などのコメントが大量に流れる中、「クッサーww」というコメントも流れてきて、言葉が臭く思えてもこの熱さが魅力なのにと僕は残念に思った。ケーキを粉砕した後、その粉砕されたケーキのかけらをスプーンで一つ一つすくいながらおどけて食べるバンドメンバーを見て面白おかしい気持ちになった。


 翌日、大学の授業で正宗に会うと、「これ、やるよ。誕生日だろ?」と言われて一冊の本を手渡された。洋楽ロックのディスクガイドだった。ロックのこれまでの歴史を振り返る、かなり分厚い本だった。「ありがとう」と僕は言った。


「今夜、俺んち来いよ」


 正宗が忙しい中、せっかく誘ってくれたので、誘いに乗ることにした僕は夜に正宗の家に行った。


「そうか、昨夜は家族といたのか。誕生日に男二人でいるのも気持ち悪いし、昨日は誘わなかったんだよ。アカネちゃんとはどうなった?」


「いつも一緒に駅まで帰るぐらいかな」


「そうか。長期戦でじわじわ攻める作戦か」


「え? それより、正宗こそ、今付き合っている彼女はいるの?」恥ずかしくてあまり突っ込まれたくなかった僕は話をそらした。


「ん、まーな」正宗はさも当然といった感じで言った。


「どんな彼女?」


「いい子だよ」


 彼女についての情報はなかなかくれない。人気バンドのフロントマンだから、彼女の素性は親友の僕にでも明かせないのだろう。それに、今はメジャーデビューがかかっている大切な時期だ。


「ベースは順調かい?」正宗が聞いてくる。


「毎日という訳ではないけど練習してるよ」


「日々少しずつでも楽器に触れることが大切なんだぜ」


 そう言って正宗はアコースティックギターを取り出した。


「よし、即興で歌うか。名付けて「誕生日おめでとうの歌」」


 正宗が弾き語りをし始める。「いつもありがとう」と「ハッピーバースデー」しか歌詞のない歌なのだが、歌声と伴奏に惹きこまれる。


「もうそろそろ、ご近所から苦情がくるからやめるか。誕生日おめでとな!」


「サンキュ。嬉しいよ」


「バンドの世界ってさ、結構ロクデナシの世界だから、聡吾のピュアなところが俺にはグッとくるんだぜ」


「えっ? 僕はピュアじゃないよ。汚れてるよ」


「計算や打算のない付き合いも俺には貴重なんだ」


 正宗はそう言うとへへっと笑ってみせた。


「時々苦しそうな表情を浮かべているけど、何かの病気なのかい? 俺にはなんでも話していいんだぜ。言いたくないなら別にいいけど」正宗は声のトーンを一段階落として言う。


 正宗なら話しても良い気がする。正宗なら信頼できる。


「統合失調症っていう病気なんだ」僕は思い切って言ってみた。


「そうなのか。俺の知り合いも統合失調症だから、その病気については知っているよ。実は俺も色盲でね、色の違いが分からないんだ」


「そうなんだ」


「まあ、お互い今までと変わらず付き合っていこうぜ。病気や障害があるかないかなんて、生きる上での不便さの程度でしかないんだ。それでその人を見る目が変わるということは俺にとってありえないことだから」


 正宗はそう言うと、またアコースティックギターをいじり始めた。


「ん? 弦高が高いな。調節するか」


 弦高の調節が終わると、「今日はここらへんでお開きにするか。おめでとな、22歳の誕生日」と正宗が顔に満面の笑顔のしわを作って言った。


 自宅に帰った後、自分の病気のことを人に言って良かったのか考え続けていた。今までどんな知人友人にも話したことのない自分の病気について打ち明けて良かったのか……。終わらない自問自答の煉獄で心が苦しかった。親からは「聡吾に不利益があるから誰にも病気のことは言ってはいけないよ」と言われていた。



 親の言うように社会で不利益を被るのは本当だ。今の世の中、統合失調症であることを正直に明かすと、就職も難しいし、生命保険にも入れないし、住宅ローンも組みにくい。


 統合失調症に対しては偏見を持っている人もまだまだいる。一度人に巣食った偏見は、なかなかなくすことが難しい。しかし、正宗なら僕を以前と違う目で見ることもないし、他の誰かに病気のことを漏らしたりすることもないだろうと思って自分を安心させようとした。

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