第11話 6月① 惑星スカーレットのハンバーグ
6月11日。ここ一週間は憂鬱な日が続いていた。特にこれといったきっかけはない。強いて言えば、雨が続く天気のせいか。今年は梅雨入りが早く、6月3日には梅雨入りした。統合失調症の陰性症状による憂鬱は僕の心を曇らせていく。脳みその回路が鈍くなって、心がぐったりとして重くなる。
16日には僕の誕生日があり、僕は22歳になる訳だが、それが特別嬉しい訳でもない。子供の頃は誕生日はそれはそれは嬉しいイベントだった。普段食べられないケーキやごちそうも食べられるし、誕生日のプレゼントももらえる。今は歳を取ったって、社会に出るまでのモラトリアム期間が短くなっていくだけだ。
前期の期末試験の勉強にも身が入らない。平日の夜、僕は椅子に座り、勉強机を前にして宙を仰いでいた。
その時だった。自室のドアをノックする音が聴こえた。家族は皆出掛けているはずだし、誰だろう。
やや間があって入ってきたのはナナだった。
「この間は登場が突然だって言われたから、ドアをノックして入ってみたの」ナナが真顔で言う。
「どちらにせよ、突然だよ」この子は天然なのかもしれない。背をのけぞり気味にペン回しをしながら、僕は当たり前のツッコミをした。
「惑星スカーレットの見学予定期間だけど、地球暦で××年8月10日から20日に決まったわ」
「10日間も見学できるの!?」ペン回しを止めて興奮気味に僕は言う。
「ええ、たっぷり10日間よ」
だけど、待てよ。8月10日から20日までということは……。
「でも、その期間にはお盆も含まれていて祖母の墓参りしなきゃなぁ……」
「あら、そうだったわね。地球にはお盆や墓参りという非合理的な習慣があることを忘れていたわ」
「まぁ、いいよ。手続きの変更は「面倒くさい」んだろ?」
「よく分かっているじゃない。お盆の期間が含まれることは私のミスだわ。ごめんね」
「こちらこそ、準備してくれてありがとう」
ナナは珍しく唇に嬉しそうな小さな笑いを含めながら、自室内と開けた窓から見える外の街を見渡した。
「それにしても日本の6月は蒸し暑そうね。惑星スカーレットは気候操作技術により、年中22℃、湿度50%に設定されているから、どんな人でも快適よ」
「あれ? 気温調整できる服を着ているから、天候の操作は必要ないんじゃないの?」
「惑星スカーレットの住民は余暇や仕事でいろいろな星を巡っているわ。私たちの星のように、天候を操作している星は限られているの。気温調整する服を着ているのは、惑星外に出た時のためよ」
「快適な温度と湿度に設定されているなら、惑星スカーレットにいる間だけでも気温調整する服を着る必要はないんじゃないの?」
「前も言ったけど、服を変えるのは好き者のすることよ。大人になってきてある程度骨格や体つきが決まってきたら、みなお気に入りの一つの服を選ぶのよ。惑星スカーレットの服だから、スカーレットクローズと呼ばれているの。惑星スカーレットはその名のとおり、赤い星だから赤い服を着る人が多いわね。銃弾や刃物など危険物を察知したらプロテクトもしてくれる優れものの服よ」
「あれ? じゃあ、惑星スカーレットの気候を調整する訳は?」質問は堂々巡りだ。
「あなたは質問ばかりね。快適な気候に設定しておけば、ペットの動物や観葉植物も快適でしょう? それに、惑星スカーレットにも世捨て人やホームレスと呼ばれる人たちもいるわ。そういった人はスカーレットクローズを着ていないから、人権保護にもなる。あと、惑星スカーレットに訪れる他惑星の人たちはスカーレットクローズに類する衣類を着ていないことも多いから」
「でも、その温度や湿度で生きていけない動植物もいる訳でしょう?」
「惑星スカーレットにはそういった動植物は太古の昔からいなかったわ。地球のように生物にこれほど多様性のある星は珍しいのよ」
「そうなのか。でも、これまでのナナの話を聞いて、惑星スカーレットにますます興味がわいてきたな」
確かに蒸し暑い気候だが、外から入ってくる風が心地よい。
「聡吾、勉強で疲れているみたいだから、差し入れにこれをあげるわ」ナナはまた口に笑みを含みながら言った。
「なんだい、これは?」
見ると、赤い色をしたアボガドのような見たこともないような食材をスライスしてハンバーグに乗せた料理が赤色のお弁当箱にデカデカと入っていた。
「惑星スカーレットの料理よ。ハンバーグは地球由来だけどね。これ一つであらゆる栄養が取れるし、疲労もストレスも軽減されるわ」
「ありがとう。いただくよ」
僕が礼を言うと、ナナは胸に手を当てた。
「また行ってしまうのかい」と僕が言うと、ナナは「次に会うのは8月10日ね」と返し、目の前からすっといなくなった。自室にはまた僕一人になった。
惑星スカーレットのハンバーグを食べると、今までの鬱気味の症状が嘘のように、気持ちが軽快になった。こんなハンバーグなら毎日食べたい。味も肉汁あふれ出すハンバーグでおいしかったのだが、ナナの手づくりだろうか。
自宅の和室にある祖母の位牌の前で線香に火をつけて手を合わせ、ごめんね、ばあちゃん、今年はお墓参りできなさそうだよ、と僕は心の中で言った。その後に仏具の鈴りんをチンと鳴らすと、仏壇に立てかけられた写真の中の笑顔の祖母が許してくれる気がした。
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