第5話 2月〜3月 万里への告白

「おっ、マリリン」


「ごめん、聡吾君、待った?」


 僕は万里のことをマリリン、万里は僕のことを聡吾君と呼んでいた。合コンの時、呼び名を決めようと正宗が言い出して、そう呼ぶことになった。万里のことをマリリンと呼ぶのはなんだか少し気恥ずかしいが、今は二人の距離が縮まった気がして嬉しく思っていた。


「聡吾君、大学の期末試験は余裕だったんでしょ?」

 お台場の駅から目的のレストランへ歩く夕方の道、万里が聞いてきた。


「まあ、普段から勉強しているからね」僕は答える。

「すごい。私の口からは絶対に出てこないセリフだ」万里はのけぞって、さも驚いている素振りでそう言った。


 2月上旬まであった期末試験を終え、春休みを迎えた。万里も大学生で春休み。僕らは5回目のデートをここお台場で迎えていた。


 目的のレストランへ向かう途中の道のショッピングモールは楽しげな空気に彩られている。行き交う人々も笑顔の人が多い。


「見て、可愛い雑貨屋さん!」万里が声を弾ませる。

「まだ時間があるし、ちょっと見て行こうか」僕も頬を緩めながら言う。


 雑貨屋の隅はアロマのコーナーで、様々な香りのアロマが売られていた。万里はアロマのコーナーでしばらく立ち止まっていた。


「買ってあげようか? 何か欲しいのはあるかい?」万里に喜んでほしくて、聞いてみる。


「本当!? 嬉しい。ありがとう!」万里の笑顔が明るく弾ける。


 6種の香りのアロマオイルが入ったセットを万里のために買い、僕らは雑貨屋を後にした。 


 レストランに着くと、万里が明るい声で「おしゃれなレストランだね」と言ってくる。


「喜んでもらえて良かった」僕はほっとした気持ちで言った。インターネットでの店の下調べは入念に行っていた。


 今日こそは告白するぞと思っていた。この間も正宗からせかされたけれど、万里との距離が縮まっている今こそチャンスだと思った。


「Aコースでお願いします」

「うーん、私は迷ったけどBコースで」


 ウェイターにオーダーする。おいしいと評判のイタリアンのレストランだ。料理もきっと喜んでくれるに違いない。


 前菜を食べ終わり、パスタがきた。


「この蟹のクリームパスタ、すごくおいしいよ」


 万里は笑顔だ。

 よし、好きだと言おう。僕は決心を口にした。


「マリリンのことが好きなんだ。付き合ってほしい」

「ええ!? 突然!?」万里はパスタを食べる手を止め、こちらを凝視してきた。


 そうか、告白するにも話の流れが必要なのか。初めて告白というものをする僕には勝手が分からなかったのだ。


「気持ちは嬉しいんだけど……」万里は視線を下に落とし、声のトーンを低めて言う。

「ごめんね、聡吾君とは付き合えない」はっきりと万里は言った。


 OKの返事がもらえるとばかり思っていた僕は気が動転した。やっと口にできた言葉は……、「なんで?」。とても早口にくぐもった声で言った。僕の顔色はみるみる青ざめていく。端から見れば、悲壮な様子にも見えたかもしれない。


「だって聡吾君、何を考えているのか分からないんだもの」


 万里はまたはっきりと言った。


「あ、でも会うのはとても楽しかったよ」



 帰り道は地獄だった。本来ならOKの返事をもらって、今ごろは観覧車に二人で乗っているはずだった。悲しくて、悲しくて、i-podに入っている音楽を聴いていたら泣けてきた。


 電車の座席にもたれながら、本当に涙が出てきた。家までの道を遠く感じた。永遠に家に着かないんじゃないかと思っていたら、乗っている電車が自宅の最寄り駅を通り過ぎていたことに気付いていなかった。



 家に着くと、家族に何も言わずにすぐに寝た。受けたショックの大きさからだろうか、次の日は早朝の5時に目覚めてしまった。昨夜のことを思い出すと、また涙が出てきた。顔を洗って、しっかりしなきゃと思った。


 3月はずっと寝込んでいた。告白を断るなら、なんで僕と5回もデートに付き合ってくれたのだろう? 正宗にも言われて、万里は僕に気があるはずだと思っていた自分が恥ずかしい。笑顔の可愛い万里ともう会えないのは辛い……。


 中二病丸出しの詩的な表現をすれば、光から耐えきれずに顔を背けても、暗闇を苦しまぎれにクロールしても、万里の顔が浮かんでくるばかり。息苦しさで寝られない日もあった。初めて出会った時から万里のことがずっと好きだった。屈託なく笑うその表情、凛とした横顔。今まであまり運が向いてこなかった自分も、こんな子と付き合えれば幸せになれると思っていた。


 初めての失恋の痛手と統合失調症の憂鬱な気持ちが重なって、気持ちは下降線をたどるばかりで沈痛な面持ちで毎日を過ごしていた。家族も「大丈夫?」と心配したほどだ。正宗にも電話で話して慰めてもらったが、気分は全く晴れなかった。


 3月末、僕の心は悲痛の極みに達し、誰もいない所では、ことあるごとに「死にたい」と口に出すほどだった。インドでは失恋で男が身を投げることもあるという。僕もいっぺん死んでみようかと冗談半分本気半分で思っていた。ナナの話に乗ってみるのも手かもしれないと思いかけていた。

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